悪ノリと本気
この世界の男性は、初対面でもレディを褒めるのがマナーだ。日本だと熱烈に口説いていると思われる言葉を、さらっと口にする。
ロアさまもきっとそうだったんだ。あんまり笑うことがないし冗談を言うのも慣れていないようだったから、褒めるのも練習中だったに違いない。真顔だったからどう受け取ればいいかわからなかったけど、食後のゆったりタイムだっていつも通りだったし、気にしているのはわたしだけみたいだし、そう、あれは社交辞令だ。リップサービス。お世辞。
動揺しているのがわたしだけ、というのが何とも言えない気持ちになるけれど、考えないことにした。いまは店を出すことに集中したい。騎士団にいられるのは最長で3年、ということは、もっと短くなる可能性が高い。
キッチン・メイドはお見合いの場として人気がある。実際よく結婚が成立していると聞くし、玉の輿もある。いつまでも結婚する様子のないキッチン・メイドがいると知られれば、婚活お嬢様方から目を付けられるのは必須。ノルチェフ家は望まない形で家名が広がってしまう。
「パイは帰りに買うとして、先に屋台でなにか買って食べて……あっ、食べる前にドレスを決めないと」
休日に、久しぶりにひとりで城下町へ出かけた。建国祭が近いので、ドレスを買うなら早くしないといけない。
ロアさまがドレスを用意してくれているのは、下級貴族に人気のお店だった。珍しく店員さんは女性が多く、貧乏貴族で侍女を連れていけなくても「店員の教育のため」と、本来は侍女がするべき着付けなどをしてくれるのだ。
既製品に好きなレースや布を足して、ほかの人とドレスが被らないようにしてくれるし、お値段も懐に優しい。
高級なドレスを用意されていたらどうしようと思ったけれど、これならばいい意味で目立たないし、いざとなればドレスのお金も返せる範囲だ。ロアさまにお姉様がいて、プレゼントについて教えてくれていてよかった。
ドアマンが扉を開いてくれ、初めて店内に足を踏み入れる。明るくて天井が高い店内は、どこか結婚式場に似ている。全体的に白いからかもしれない。
「ようこそおいでくださいました」
優雅に出迎えてくれた店員さんに、ロアさまから渡された封筒を渡す。わたしに断ってから手紙を読んだ店員さんは、うやうやしく二階へ案内してくれた。広々とした個室にはソファとテーブル、そして色とりどりのドレスがずらりと並んでいた。
「どのドレスでもご自由にお選びください。代金はすでにいただいております」
ソファに座ってすすめられたまま紅茶を飲んでいると、3人の店員さんがいろんな形のドレスを見やすいように広げ、説明してくれた。
まるで本物の貴族みたいだ。これは……これは駄目になるやつだ!
「あの、おすすめはどれでしょう?」
「こちらを、とお聞きしております。きっとよくお似合いですから、もしお気に召しましたなら、こちらを選んでほしいと言付かっております」
出てきたのは、柔らかなレモンイエローのドレスだった。スカートの片側には、太もものあたりから大きくスリットが入っている。
「スリットの下の布はお好きなものをお選びください。たっぷりのひだとレースをおつけになると素敵ですわ。こちらをつけると、アクセントになっていいかと存じます」
ドレスの胸の下に、幅広の黒いシルクが当てられ、リボン結びにされた。黒いシルクの上に、繊細な白いレースがのせられると一気に華やかになった。さらに極小の宝石をちりばめると、とても可愛らしい仕上がりになる。
「可愛い……白いレースを重ねると素敵ね。そうだ、わたくし、このコサージュをつけたいの」
「まぁ、素敵ですわ! でしたら、こちらはいかがでしょう?」
店員さんからは次々とアイデアが出てきて、頷いているうちにドレスが決まった。
ドレスは綺麗なレモンイエロー。スリットから覗くのは、軽やかだけど透けない白い生地で、たっぷりのひだを作って華やかさに。アクセントの黒のシルクには、白いレースをつけた。そのレースと色違いの黒いレースをドレスの裾にぐるりとつけ、胸元には母さまが作ってくれたコサージュ。
「こちらの靴と、髪飾りもよくお似合いです」
「いえ、ドレスだけで」
「そうはおっしゃらずに。代金はすでにいただいております。もう少しお付けしないと、こちらが怒られてしまいますわ」
「あの方は、こんなことで怒る人じゃありません」
「まぁ」
思わず声を荒げてしまったのに、店員さんは柔らかに笑って受け流してくれた。恥ずかしい。
「そんな方だから、一式プレゼントしたいとおっしゃっておられたのですね。殿方は、お相手をご自分の色で染め上げたいのです。でも、そうですわよね。言われるがまま染まるのも嫌なお気持ち、わかりますわ」
「え、ええ、そうですの。ですから、ドレスだけで」
「では、目立つ髪飾りはおやめになってはいかがでしょうか。そうだ、靴にもドレスと同じレースをつけると一体感が出ますわ」
「わ、可愛い……!」
「では、このように」
しまった、店員さんってば話し上手!
結局ドレスと靴を選んでしまった。ここで2時間ほど待てば、仮縫いと本縫いまで終わらせてくれるというので、貴族令嬢らしく紅茶とお茶請けを楽しんで待つことにした。
念のため持ってきていたレシピ本を読みつつ、こっそり代金を計算する。おそらくだけど、キッチン・メイドの給金で足りる。いざとなったら返せる額でよかった。
最後まで調整を終わらせて店を出ると、もう昼過ぎだった。途中で実家によってコサージュを返し、母さまのお世話や家のことを少ししてから寮へ戻る。ドレスは実家に届けてくれるそうだ。
夕方に寮へ戻ると、エドガルドとレネ、ロルフとアーサーがそれぞれ打ち合っていた。
「おかえりアリス。聞いてくれよ、アーサーが魔法を使ってくるんだ」
「おやロルフ、実践で魔法を使う敵がいないとでも?」
「そうじゃなくて、寮に当たったら大変だろ」
「アリス嬢、おかえりなさい。荷物を持ちますよ」
「これ、あのパイのお店じゃん! アリスの口に合うと思った。ボクの見立てに間違いはなかったね」
次々にかけられる言葉が嬉しく、思わず微笑む。
「ただいま! お土産を買ってきたので、みんなでご飯にしましょう」
パイとケーキとローストチキン、作り置きしておいたスープを出し、少し早いディナーの始まりだ。アーサーが手持ちのマジックバッグから山盛りのパンを出してくれ、みんなでお腹を満たすことに専念する。
どうやら今日はみんなそれぞれ外出し、なにかを探していたらしい。ぼかして情報交換するくらいなら、ここでしなくてもいいのではと思ったけれど、ここで情報整理してどこかに報告するみたいだ。やっぱりここでしなくてもいいのでは?
お腹がいっぱいになって人心地がつくと、食後の紅茶を楽しんでいたエドガルドが、なぜか申し訳なさそうな顔をした。
「今日はアリス嬢にお付き合い出来ずにすみません。ひとりで大丈夫でしたか? 怪しい者はいませんでしたよね?」
「怪しい人はいなかったですよ。それに今日は、ひとりで行かなければいけないところでしたから。建国祭のドレスを決めに行ったんです」
エドガルドがハッとして、ドレス、とつぶやいた。
「こういう時はドレスを贈るのか……! アリス嬢、もうドレスを決められたんですか?」
「はい。エドガルド様、気遣っていただいてありがとうございます」
貧乏なのは周知の事実なので、安いお店の紹介をしてくれるつもりだったのかもしれない。
なぜか笑っているアーサーを、ロルフがじっとりと見ている。
「おいアーサー、何か知ってるのか? まさか……」
「私はできるだけ情報を集めているだけだ。情報操作のジョーはソーサーがお好きなのさ」
「さっぱりわからん」
「アリス嬢! もし……もしエスコートの相手が決まっていなかったら、僕がエスコートしていいでしょうか!」
突然立ち上がったエドガルドに驚く。返事をする前にロルフも立ち上がり、うやうやしくわたしの横に跪いた。
「俺も立候補する。アリス、どうかエスコートの相手に俺を選んでくれ」
「それならば私も。ノルチェフ嬢、私がエスコートしてもいいでしょうか?」
「ええー。アーサー様まで悪ノリしないでくださいよ」
「あのねえ皆、自分の身分を考えてよ! アリスをエスコートしたら、どこのご令嬢に目を付けられるか! もしアリスがエスコートの相手に困ってるなら、ボクでもいいから。ボクなら子爵だし、騎士団最年少って騒がれてるけど顔はあまり知られてないから、そんなに目立たないと思うよ」
結婚適齢期なのに婚約者も恋人もいないが故のモテ期。
「みなさん、ありがとうございます。でも、わたしは弟がエスコートしてくれるので」
「弟が相手なら、僕と!」
「いえ、エドガルド様が弟に恨まれるのを見過ごすわけにはいきません。その、弟はちょっぴりシスコンなので、数か月前からエスコートすると言って譲らないんです。学校で気になる相手でも出来たらよかったんですけど……」
その気配はない。未だにエスコートの相手が決まっていないらしいエドガルドががっくりしている横で、アーサーがどこか感心したような声を上げた。
「ノルチェフ嬢はすごいですね。キッチン・メイドをしていて、これだけ騎士と仲良くなっているのに、ご自分が好かれているとは思わないんですか?」
「アーサー様がおっしゃっていることはわかります。勘違いするなってことですよね? いいですか、よく考えてください。わたしはノルチェフ家の長女ですよ? 領地もなく、大したコネもない貧乏な家です。いえ、わたしは大好きで家族を誇らしく思っていますけど! でも、貴族の立場で考えれば、婚姻で繋がりたい家ではないとわかっています。あまりにメリットのない結婚相手、それがわたし! そしてわたしは結婚する気がない! 結婚したくない!」
感情に任せて机を叩く。
「本当にしたくない! それに、ここにいるみんなは性格がよく、顔も整っているじゃないですか。みんなの周りにいるのは、性格よし顔よし家柄よし、ついでにスタイルも抜群な美女でしょう? そんな人を見慣れているのに、わたしを好きになるなんて思うはずがありません!」
顔がよく性格もいいお金持ちの男性に囲まれている女性が、顔も性格もそんなにな貧乏人を好きになるか? という話だ。ほとんどの女性は、好きにならないと思う。
アーサーが大きく息を吐いた。
「なるほど。思い込みの力は侮れないですからね。騎士は誰もが思い込みを捨てろと言われますが、実際できない者のほうが多い」
「そのうち平民に紛れてお店を出すつもりなので、ぜひご贔屓に」
「わかりました。楽しみにしています」
「いくらダジャレを言ってもいいですよ」
「通います」
アーサーの即答がおかしくて、思わず笑ってしまった。珍しく酔いつぶれたエドガルドが、ちょっと可愛い夜だった。