独占欲
今日のわたしはうっきうきだった。レネに教えてもらったパイのお店に行ってイチジクのパイを食べられたし、店主さんにお店を出す流れが聞けた。
最初は屋台がいい、失敗しても借金が少ないからとぼそっと教えてくれた店主さんは、強面だけどいい人だった。城下町の平民が住んでいるところに初めて来たというアーサーがきょろきょろしても怒らなかったし。その横でエドガルドが、全種類制覇する勢いでパイを食べていたからかもしれないけど。
出店に関する本を探したけれど見つからなくて、周囲に聞こうにも知り合いは貴族ばかりで聞けるわけがない。その中で教えてくれた情報は、とても貴重だった。
アーサーが寮まで送ってくれ、ウインクをした。
「私が去って、10秒数えてから家へ入ってくださいね。ウマイカのピリュイを抜いたときのように!」
ウマイカのピリュイって何? 知らないもので例えられても、全然わからない。
一般的なご令嬢が知らないことを堂々とウインクしながら言うあたり、アーサーの普段の態度が垣間見える。こんな感じで、オヤジギャグとか、騎士内でしか通じないジョークとか言うんだろうな。
10秒待っているあいだに、アーサーは長い脚でさっさと去ってしまった。寮に入ろうと振り返ると、夕闇の中に人影が見えた。心臓が止まりかける。
「ノルチェフ嬢、突然すまない」
ロアさまがいた。
呼吸を整えつつ、うるさい心臓を押さえて頷いた。すまし顔をしておいたので驚いていたのはバレていないだろうけれど、いきなり出てこないでほしい。びっくりするから。
「その、休日にノルチェフ嬢と会うとみんな自慢してくるので……」
「もしかして、アーサー様と決闘したのはロアさまですか?」
「私ではない。だが、アーサーは本気だった。魔法まで使って勝っていたからな」
「そこまで……」
「それからアーサーは、ここでは好きなだけジョークを言ってもいいとか、ノルチェフ嬢に新しいオヤジギャグ? というものを教えてもらったとか、嬉しそうに言うんだ。おかげでアーサーと決闘して負けた相手のストレスが溜まっている」
「す、すみません……?」
「いや、あれは浮かれたアーサーが悪い。素のアーサーを受け入れてくれる場は少ないから、その気持ちはわかるが」
「ええと……あっ、立ったままでしたね。こちらへどうぞ」
もはや出しっぱなしになっている椅子に、ロアさまは素直に座った。このテーブルと椅子は、汚れや劣化防止などの機能がついているそうで、非常に高価らしい。野ざらしなのに未だに新品のようだ。
ロアさまに断りを入れてから家に入り、コーヒーとお皿を持ってくる。寮の窓から漏れる明かりと、テーブルの上のランプがどこかロマンチックに揺れる。
「今日、お気に入りのパイのお店に行ってきたんです。ロアさまもお好きな味だと思うので、よろしければどうぞ」
「ノルチェフ嬢が自分で食べるために買ったものでは?」
「わたしは違うものを食べますから」
晩ごはんに食べようと思っていたけれど、お腹のお肉が存在を主張しているので、食べるのはやめておこう。それに、ロアさまも好きそうなパイだし。
ロアさまがじっと見てくるので、わたしは小さなおにぎりを食べることにした。おにぎりを食べるわたしの前で、ロアさまはミートパイを食べる。
「これはおいしいな。確かに、好きな味だ」
「よかったです」
のんびり、穏やかな空気が漂う。
ロアさまもここが気になっているのなら来ていいんだけれど、みんながいる時には来にくいのかもしれない。わたしの中でロアさまはぼっちのイメージが強いので、来るように言うのも迷惑かなと思ってしまう。
「その……今度の建国祭だが。ノルチェフ嬢も出席するのだろうか?」
「はい。王都に住んでいるので」
「私は諸事情があって出席できないのだが、着るドレスは決まっているのか教えてほしい」
「数年前から我が家に伝わっているドレスにします」
「気に入っているドレス……なのか?」
「いえ、ドレスを買うお金を他に回しているだけです。毎年少しアレンジして全く同じドレスを着ているわけでもありませんし、それに気付くのは友人くらいです。友人たちは事情を知っているのでなにも言いません。母がドレスに合う小物を作ってくれるんですが、今年はコサージュなんです。とっても綺麗なんですよ!」
母さまは毎年、わたしが好きそうな小物を作ってくれる。流行りを取り入れながら、体調のいい時に数か月もかけて。それがとても嬉しい。
「母君が作ってくださったコサージュほど、ドレスに思い入れはないと?」
「はい。好きなドレスではなく、ほどよく流行を取り入れた、パーティーで浮かないものを基準に選びましたから」
「では、私がドレスを贈ってもいいだろうか」
「ええと、なぜ?」
思わず素朴な疑問が口から出た。ロアさまは緊張した面持ちで、まっすぐわたしを見てくる。
「パーティーに私はいない。せめてノルチェフ嬢は、私が贈ったドレスを着てほしい」
「せめて私が贈ったドレスを着てほしい」
オウム返しをしてしまったわたしに気分を害してしまった様子もなく、ロアさまは自嘲気味に笑った。
「ただの自己満足だが。ノルチェフ嬢はいつも、勤務時間外なのに私においしいものを作ってくれるだろう? 食後に甘いものをほんの数口食べたいと思えば、すぐに出してくれる」
「それが仕事ですし、ロアさまには味見もしてもらっています」
「ノルチェフ嬢にはたくさんの大切なものをもらった。少しでもなにか返せればと思ったとき、私にはこれしかなかった」
自己満足は覚えがある。するほうも、されるほうも。
「レディへの贈り物については、義姉上によく仕込まれているから問題はない。子爵令嬢が着てもおかしくはない上等なドレスを、と思っている。ノルチェフ嬢がドレスが嫌ならば、アクセサリーでも靴でもいい。プレゼントさせてほしいと願うこの感情は、ノルチェフ嬢にとっては押し付けだと感じられることもあるだろう。もちろん断ってもらっても構わない」
ロアさまはどこまでも真摯だった。
たまに、どうしてお前の自己満足に付き合ってやらなくちゃいけないんだと思うときがある。だけどロアさまは、自己満足と言いながらわたしのことを考えてくれている。
わたしがドレスに愛着がないことを聞いてから購入の提案をして、他のものでもいいと代案も出してくれた。そのうえ、断ってもいいと言う。わたしより身分が上だろうに、わたしの意思を尊重してくれた。
「ドレスを受け取っても、いいでしょうか」
「もちろんだ!」
「同じドレスを着ていると家族が気にするんです。父は娘にドレスも買ってやれないと嘆きますし、母は自分が病気でなければと気に病みます。わたしは好きでしているし、これを苦労とも思っていません。誰も気にしていないわたしのドレスより、弟の服を仕立ててやりたいんです。弟は成長期で、すぐに服が着れなくなりますから」
本心を言うのをためらっているうちに自然と言葉が途切れる。息を吸って、吐いて、自分の顔が夕闇でよく見えないことを祈った。
「……男の方に、プレゼントをいただくのは二度目です。青い花とドレスと。一度目も二度目も、相手がロアさまでよかった」
この場合、さすがに父さまとトールは除外しなければいけないだろう。
少し熱い顔を風で冷ましていると、ロアさまの手が伸びてきた。テーブルの上に置いたままだった手に、少し日に焼けた大きな手が重ねられて硬直する。
「私も、自発的にプレゼントを贈るのはノルチェフ嬢だけだ」
珍しく笑顔のロアさまの手が熱い。しばらくして夕日が落ちたので、これ以上遅くまでレディといるのはいけないと、ロアさまは帰っていった。
お風呂に入ってレシピ本を読みつつ献立を考え、早めに寝ることにした。明日も朝早い。
ふかふかのベッドに横になり、真っ暗な部屋の中で目を閉じ、カッと開いた。
「せめて私が贈ったドレスを着てほしいって何!?」