レネの独白
最近、第四騎士団では息がしやすい。ボクにきつく当たっていた奴の態度は軟化し、ストレスがほぼなくなった。騎士団最年少での入団を狙っていたのに僕にかっさらわれたから、八つ当たりをしていたらしい。いい迷惑だ。
そいつはマヨネーズにハマり、アリスにねだっては作ってもらっている。いいとこのお坊ちゃまなんだから、もっといいものを食べ慣れているだろうと思っていたのに、実際は反対だった。騎士になるために、食べるものもすることも制限されていたらしい。
そこまでしていたのに、田舎から突然出てきたボクが入団したのなら憎くもなるだろう。家でかなり叱責され、失望されたらしいしね。それでボクに八つ当たりをしていい理由にはならないけどさ。
少し息がつまりそうだった訓練で猫を被らなくなったのはロルフのおかげだ。
エドガルドとふたりして色々と相談してくるけど、剣に関する相談だけは絶対に訓練中にする。
ボクは独学で剣の扱いを覚えただけで、人に教えられるほどじゃない。だけど気になっている部分があるのに知らない振りをするのも気分が悪い。
「……ロルフは突きの動作の前に、右わきが開く癖があるから、そこは直したほうがいいんじゃない」
「えっ、そんな癖があるのか? ちょっと付き合ってくれよ」
剣を構えられ、軽く打ち合って癖が出た瞬間に打ち込む。
「これに気付いたなんてレネはすごいな! この癖を直すよう励むよ」
「別に……気付いてた人もいるけど、言ってないだけでしょ」
「レネ、僕の剣にも何か気付いたことはないか?」
「エドガルドは師匠がいたでしょ? ボクが教えたら変な癖がつくかも」
「自分の剣を模索中だから、いいんだ。僕に合っていない剣を教えられていたから」
確かに、長身のエドガルドにはもっと合った戦い方があるのに、とは思っていた。腕をさするエドガルドはどこか悲しそうだ。ロルフが心配した目でエドガルドを見ている。
「フェイントとか入れたらいいんじゃない? 剣筋が真っすぐすぎて簡単に防げる」
「フェイントは練習したんだが……すぐ見抜かれるんだ」
そのあとエドガルドのフェイントを見たが、下手すぎて驚いてしまった。フェイントに気を取られ、その後の動きがガタガタになって持ち味が全部殺されている。
「……無茶を言ったボクが悪かったよ」
「謝らなくていい。これですっきりしたよ。僕は少しでも多くの人を引きつけて攻撃を全部受け止め、真正面から戦おう。誰かを逃がす時は、そのために時間を稼ぐ。決して倒れない盾となろう」
「それでも少しは戦い方を変えなよ。そのままじゃ、一発当てる間に五発はくらうよ」
「レネはすごいな!」
きらきらした目を向けられるのには慣れていない。そっと視線を外して、周囲から妬みの感情を向けられていないか探ったけれど、そんなことはなかった。レネはすごい、そんな空気に満ちていて戸惑う。ロルフがウインクをした。
「レネは毎日独学で10時間以上剣を振ったんだ。相談するに値する相手だって言っただろ?」
「ロルフの言った通りだ。レネはすごいし、それを見抜いたロルフもすごいな」
「よせよエドガルド」
エドガルドに褒められて照れているロルフは、アリスのところでも騎士たちと訓練中でも、ボクが馴染めるように気遣ってくれている。同情からではなく、そうするのが当然とばかりに、自然と行動しているのがすごいと思う。
そんなある日の休日、ロルフに誘われてある部屋に入ったボクは、すぐに逃げたくなった。よくない予感がする。
部屋の中でただひとり、ソファに座っている人。第四騎士団では一番身分が高いアーサーを従え、シーロも後ろに控えさせている。その人は目立ってはいないが、誰もが一目置いている技量の持ち主だ。
じりっと後ずさりするボクの前で、その人はネックレスを外した。その途端現れた銀糸の髪と、王家の血筋しか持っていない青い瞳。とっさに跪いて顔を伏せたが、心臓がうるさくて頭がよく働かなかった。
「顔を上げてくれ。私はライナス・ロイヤルクロウだ」
うすうす気付いていた名を告げられ、困惑と共に、納得がすとんと胸の真ん中に落ちてきた。
「……ここに避難されていたのですね」
「そうだ。やはりレネは鋭いな」
感心した声で告げられ、ライナス殿下は自分を取り巻く状況と、ここに来た理由を説明した。大体がボクが予想した通りだったけど、まさか第四騎士団に隠れているなんて思ってもみなかった。
「私は深刻な病気を患い、陛下しか診察しない医師に診させるために、兄上とその家族しか出入りできない離宮で静養中ということにしている。だが、いつ露見するかわからない。いや、すでにわかっていて私の居場所を掴もうとしているのだろう。私は兄上と民を脅かすものを排除したい」
ボクが恩があるのは、ライナス殿下ではなく陛下だ。出来ることなら陛下に仕えたい。
「敵がいくら疑わしくとも、どんな計画を立てているかすらわからない。敵側へ送り込んだスパイは偽の情報を掴まされ、こちらがどう動くか、誰が出てくるか観察されている。スパイはその後行方がわからなくなっているから、おそらく……。かなり警戒されていて、今はもう使用人を送り込むことさえ出来ない。出入りの商人にスパイを入れたいが、そこも新しく人を雇わないよう徹底されている。反乱勢力の首領は、おそらく祖父だろう。あの人は……執念深くて周到だから」
「謀反を企てる者を一網打尽にしたいということでお間違いないですか?」
「ああ。私には志を共にしてくれる者があまりに少ない。険しい道になるだろうが、立ち向かうと決めた。一緒に進む仲間がほしい」
「陛下のためというお心、相違ないでしょうか」
「ああ」
その言葉に、目に、嘘はないと思えた。正体は知らなかったとはいえ、それなりに長く同じ空間にいた仲だ。こんな時に嘘をつく性格だとも思えない。
「最後にひとつだけお伺いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんだ」
「相手はライナス殿下の祖父。手心を加えること、決してないと言えますか」
殿下は目を開いてから、やわらかに細めた。どこか諦めが漂う目だった。
「あの方は、私の母を……自分の娘を、未だ探し求めている。父に負けないほど執着しているのだ。おそらく、常人の理解が及ばないことを計画し、実行しようとしているのだろう。だからこそ何が目的かわからず苦戦している。情がないと言えば嘘になる。だが、私は祖父に「娘の子供」としか思われたことはない。ライナスではない、母の子なのだ」
個人として見てもらえることと、誰かを通して認識されることは違う。今までの噂とこの言葉から考えるに、ライナス殿下は寂しく過ごしてきたのではと、思う。
「……考える時間をいただけないでしょうか」
「もちろんだ。側近を辞退しても責めることはない」
「では、契約書にサインをしておきましょう。口外することはございませんが、そのほうが安心できるでしょう」
「いらぬ。元から、口外すると思っている者に話しはしない」
自分を信用してくれているようで嬉しくなる。……いや、自分の正体を打ち明けて側近にと打診してくれた時点で、信頼してくれているんだ。
礼をして部屋から出ると、ロルフがついてきた。部屋の外で見張っていたエドガルドが軽く頷き、部屋に入っていく。ライナス殿下と一緒にケーキを食べるらしい。餌付け、という言葉が浮かんだ。
寮の裏手、滅多に人が通らないところに座り込むと、一人分空けてロルフも座った。こういう時、ロルフの自然な気遣いに気付く。
「……ロルフとエドガルドはもう側近になってたんだね」
「まぁな。主君は尊敬できる方だ。俺の場合、エドガルドが側近になったのが後押しになったけどな。主君もそこはわかってて、うまく俺を使ってくれるだろう。エドガルドが邪険にされることもないだろうし」
「他にいくらでもふさわしい人がいるのに、何でボクに声をかけたんだろ。聞けばよかったな。驚きすぎて頭が回らなかった」
「剣の腕と、それを裏付ける鍛錬という名の努力をし続ける強さだ。主は、努力を続ける者がお好きだからな。上級貴族のあしらいもうまいし、猫かぶってたレネが無理をしなくなって、のびのびしはじめたからだって言ってたぞ。今までレネがどんな人間か掴みかねていたらしいからな」
はぁ、とわざとらしくため息をつく。
「……本当は陛下にお仕えしたかったんだけどな」
「あの方なら、後で口添えしてくれるだろう」
「一度決めた主君を裏切るなんて、ボクの矜持が許さない。ボクだって、あの方の努力には感心しているんだ。変装前と後、体型が一回りも違う。人に触れられたら実際の体型と違うことに気付かれるから、違和感を抱かれないよう、常に人と適度に距離をとっておられるはず。そして、剣にもまったく違和感がなかった。絶対にどこか不自然になるはずなのに。しかも休憩時間にまでいろんな本を読んで学んでるし。はぁ、もう完敗だよ。そんだけすごい人に必要とされてるって言われて、嬉しくならないはずがないじゃん」
「じゃあ……」
「家族に何かあったらと思うと、気軽に頷けないけどさ。たぶんこれを姉に言ったら、また殴られると思うんだ。やらない理由に家族を巻き込むなって」
少し体が震えているのを隠すために、明るく振舞う。
「志半ばで目標を達成できず、無念のまま死ぬかもしれないのは怖い。家族が連座で死ぬ可能性があるのも。これまでの状況から考えると、殿下が王にさせられるとしたら、何らかの方法で傀儡になっている可能性が高い。その時には陛下も消されている。ボクは陛下に恩返しがしたい。陛下はボクのことなんてご存じないだろうけど、それでも。それが陛下のためになるのなら……そして、尊敬するあの方のためならば」
その日ボクは、想像していたよりずっと早く、自分の主を決めた。厳かで誇らしい気持ちになると思っていたけど、それに浸る間もなく、酒盛りに引っ張り出された。防音の魔道具まで持ち出して、どれだけ用意周到なんだ。
でも、酔っ払いの中で理想の未来を語り合うのは悪くなかった。友達というより、この場合は同志が近いんだろうけど、そういう人たちといるのは初めてだったから、まぁ、楽しかった。想像してたよりはずっとね。