えいえいおー!
氷と蜂蜜をたっぷり入れた、綺麗なオレンジ色のシトラスティーが、グラスの中できらきらと光る。ロアさまはコーヒー派なので、便利調理器くん、縮めて調理器くんにブラックコーヒーを作ってもらった。調理器くんが飲み物まで作れるなんて思わなかった。そりゃ高いわけだよ。
並んで座って食後の飲み物を楽しむ、穏やかな時間。なんだか心地よくて、甘酸っぱいシトラスティーがおいしい。
「言われるまで気付かなかったが、食後のこの時間も息抜きになるらしい。確かに、ノルチェフ嬢とふたりでいると心が軽くなる」
「実はわたしもです。たぶん、お互いにあまり取り繕わなくていいからではないでしょうか?」
わたしはロアさまが小一時間ほど水切りに熱中する姿を見たし、青い花を千切るのも見てしまった。ロアさまは、わたしの淑女の仮面が徐々にはがれていくのを間近で見ていたし、エスコートに慣れていないのが丸わかりな奇行に巻き込まれている。
「そうかもしれない。気を張っていた私が、食堂でこんなふうにリラックスするなど、以前では考えられなかった」
「わたしも、男性と並んで座って心地よいと思える日が来るなんて、思ってもみませんでした」
「だからこそ、ノルチェフ嬢が困っているのが気になる。私では頼りないかもしれないが、良ければ話してもらえないだろうか? 私は何もできない……無力な存在だ。それなのに知りたいと願うのは分不相応だと思う。だがノルチェフ嬢が悩んでいるのに見て見ぬふりは出来ない」
「ロアさま……ありがとうございます」
嬉しさが、心臓から血液にのって体中に染みわたっていく。口にしていいか悩んだのはほんの少しで、ロアさまの優しさに後押しされ、意外とするりと悩みを口にすることができた。
「わたしは貴族令嬢ですが、将来はどこかで雇われて働きたいと思っていました。でも、騎士団に来て、自分の店を持つという選択があることを知りました。それを知ってから、小さくとも自分の店を持ちたいという夢は膨らむばかりで……。口では店を持つかわからないと言いつつ、平民に売れる味付けを研究し、すぐに真似されないようなソースを作ったりしていました」
「平民向けの店を持ちたいのか? 貴族令嬢が?」
「……わたしは、貴族向けの料理は向いていないんです。おいしいけれど、たまに食べたいけれど、わたしが好む味、目指す味ではないんです。この間はっきりわかりました」
「そうなのか」
「わたしが店を持ちたいと言うと、家族は応援してくれるでしょう。周囲に何を言われようと、思われようと、後押ししてくれます。むしろ言わないと悲しんで落ち込むし、言ってほしいと思うでしょう。だって、わたしもそうですから。わたしたち家族にとって、家族は大事で、かけがえのないものです。誰かの夢を叶えるためならば、みんなで協力します。だからこそ……言うのをためらうんです。言えば、絶対に協力してくれる。でも貴族は、王城に務めるか、自領を富ませる以外の労働は蔑視され、卑しいと罵られるでしょう? みんなはきっと、わたしを勘当したりしない。自分たちが窮地に陥ってもわたしを大切に思ってくれる。父さまが店の責任者になったら、いつかどこかから漏れて、貴族なのに、女なのに平民に混じって働いていると責められてしまう」
「ふむ……ノルチェフ嬢は、絶対に父君に責任者になってほしいのか?」
「そうではありません。けれどわたしには平民で異性の知り合いなんていませんし、いても責任者になってほしいと頼むほど信頼関係を築けるとは思いません。この世で一番信頼していて、絶対に裏切らないと思えるのが、父さまと弟なんです」
「ノルチェフ嬢の思いをそのまま伝えて、父君に信頼できる平民の知り合いがいるか聞いてみてはどうだ? ノルチェフ嬢に知り合いはいなくとも、父君にならばいるかもしれない」
「確かに!」
目から鱗が滝のように落ちていく。
「全然思いつきませんでした。……視野が狭くなっていました」
「悩んだり行き詰ったとき、視野や思考が狭まるのはよくあることだ。ノルチェフ嬢は相談できる人間だろう? 困ったときは、周囲の人が助けてくれる」
「ありがとうございます。わたしが困るといつも、家族や友人が話を聞いてくれました。貴族令嬢らしくポーカーフェイスでいるのに気付いてくれるのは、きっとわたしをよく見ていてくれるからです」
「ポーカーフェイス……そうだな」
「騎士さま方もロアさまも、国を守るために洞察力を鍛えているから、こうしてわたしの悩みに気付いてくれます。それに甘えて、自分から相談していませんでした。ロアさまや騎士さま方に相談しても、失敗すると思っていたとか、だから言ったのにとか、勝手にしろとか、きっと言いません。ロアさまはきっと、私の気持ちを蔑ろにしたりしないですよね。次からは、自分から相談するようにします。わたしも……一歩を踏み出す時です」
ずっと前世に囚われていた。傷付いていた心を、長い時間をかけて家族が癒してくれた。次の一歩を踏み出す勇気をくれた。異性を信じることを、騎士さま達が思い出させてくれた。今でも知らない異性は怖いけれど、男だからという理由だけで逃げたりしない。
「そう……だな。……私は自分の人生を、どこか諦めていたように思う。どうにもならないものに囲まれ囚われ、何も出来ないと思っていた。だが私には、私を信じてくれる者たちがいる。命をかけて私を守ってくれる者たちがいる。諦めるのは、その者たちにあまりに失礼だ。どうにかしたいと思っていながら、口先だけだったのかもしれない。私も抗う。ノルチェフ嬢と一緒に」
「ロアさま……」
「少しずつでもいいから、私に出来ることからしていく。私は兄上の役に立ちたくて、それが出来ないならばせめて足手まといにならないよう生きてきた。思うがまま振舞って、民に私の尻拭いをさせることも、自害も出来なかった。だから動かず機をうかがうことが最善だと思っていたが……これからは、自分の幸せについても考えてみようと思う。両立させることが出来ると信じて」
じっと見つめ合ったあと手を差し出すと、ロアさまが不思議そうな顔をした。
「これはエスコートではありませんよ。お互い頑張りましょうという決意の握手です」
「レディと握手するのは、これで二度目だ。ノルチェフ嬢はいつも私を驚かせ、新たな可能性を示し、私が大切に思えない私を大事なもののように扱ってくれる」
微笑んだロアさまの大きな手がふれて、力強く優しく握られる。
「お互い努力しよう。私も可能ならばノルチェフ嬢を支援する」
「わたしが返せるものはあまりに少ないです。ロアさまはどうぞ、自分の未来を大切にしてください」
「そう言ってくれるノルチェフ嬢だからこそ、支援したいんだ」
「では、将来お店を開けたら、ぜひ来てください」
「楽しみにしている」
ぎゅぎゅっと手が握られ、離れていく。最後に、えいえいおー! というとロアさまはよくわかっていないまま、一緒に拳を突き上げてくれた。ロアさまはやはりいい人だ。