ロルフの独白
うちの親父はだいぶおかしい。
仕事は出来るが、その他が致命的におかしいのだ。何かしでかした時、どうしてそんな行動をしたか理由を聞いてもやっぱりわからない人間だ。そんな親父が浮気して出来たのが俺だった。
親父が政略結婚で結婚してすぐ、母は身ごもった。結婚はしていない、恋人もいないという親父の言葉を信じてのことだった。
避妊だって「こちらで避妊している。それなりに身分があるから、外で子供が出来たら困るんだ。そちらで避妊されると、こちらの避妊薬が効かなくなるかもしれない」と言っていたが、避妊なんかしていなかった。
母が懐妊に気付いて親父を問い詰めたら、そのままオルドラ伯爵家へ連行された。正妻の前で堂々と母を紹介した親父は、やっぱりおかしい。ふたりで目を丸くして見つめあったと、未だによく聞く。
「……奥様はいらっしゃらないって、言ってましたよね?」
「うん、その時はいなかったよ。今はいるんだ」
「恋人もいないって」
「婚約者がいるだけだったからね。婚約者は恋人じゃないだろう」
「避妊してるって」
「最初のうちはしていたよ。君に聞かれたときは、きちんと避妊している期間だったとも」
母の平手打ちがクリティカルヒットし、親父が床に沈み込んだ姿、心底見たかった。怒り狂った嫡母は氷点下の汚物を見る目で親父に問い詰めたらしい。
「……あなた。なぜ浮気をしていたか理由をお聞きしたいわ。そんなにこの平民の方を愛してらっしゃるの?」
「愛してないよ。でも、子供が出来るか検証しなきゃいけないだろう?」
「はい?」
「僕に子種があるか調べたかった。もしなかったら、早めに離婚して君に選択肢の多い未来をあげたかったんだ。それに兄弟は下の子のほうが器量がいいと聞いた。君の子に姉か兄が出来て、その失敗を見て学んでいけばいいと思ったんだよ。跡取りは君の子だしね」
「……それでは、この方の子はどうするのです。この方を弄んだのですか!」
「僕は望んだものをあげたよ。明日に怯えることなく安定した生活と、僕の恋心と、玉ねぎ。玉ねぎが大好きで毎日食べたいと言っていたじゃないか。僕だって好きな人間を抱きたいから、きちんと恋をしていたとも」
「玉ね……玉ねぎって、あなた……。愛していないけれど恋はしていると言葉遊びをするおつもりですか!」
「奥様、謝罪して済む問題ではないですが、本当に申し訳ございません! 真実を知らなかったとはいえ、奥様がいらっしゃる男と、こんな……。どうお詫びすれば……いえ、お詫びすらおこがましい……」
「あなたは悪くないわ。悪くないのよ……」
「よかった、これでハッピーエンドだね」
「あなたは黙ってらして!」
「うるさい玉ねぎ男! 確かに玉ねぎは好きだけど、毎回手土産に持ってくるな!」
「オルドラ伯爵家の当主ともあろう方が、手土産に玉ねぎ? ……本当に、なんということ……言葉もないわ。さあ、こちらへいらして、女同士ゆっくりお話いたしましょう。お腹の子によくないわ」
それから嫡母と母は、時間をかけて親友になった。
俺が生まれてから二年たって、待望の嫡男が生まれた。俺の弟だ。たまに喧嘩をしながらも本当に仲が良く育ったと思う。問題は俺が7歳のときに起こった。
真実を知らされたのだ。混乱したし、幼い頭では理解できない部分も多かったが、親父がどこかずれているのはわかった。プチ反抗期がきて、今まで父上と呼んでいたのを親父に変えた。家の中限定だったけれど、誰も咎めなかった。親父と呼んでも玉ねぎ男と呼んでも、気にした様子もなく返事をする男の頭の中がさっぱりわからなかった。
「ロルフ、君は跡取りではないから、他の道を歩まなければならない。人と仲良くなり、懐に入るのが向いている。突出したものはないが、何でもそつなくこなす。他人の機微がすぐわかるのもいい。僕と違ってね」
「ジョークかわからないことを言わないでくれ」
「大爆笑間違いなしと思ったんだが」
「まったく笑えないからやめろ」
親父の考えはわからないが、嘘は言わない。だから、あの時言ってくれた俺の美点は、親父が心から思っていたことなんだろう。
仕事に関しては一流の親父の見立てで、俺は人脈を作るためパーティに出ることになった。そこでうろたえたのが嫡母だ。
そりゃあ、跡取りの息子を差し置いて一足早く俺がお披露目されるなんておかしいだろう。オルドラ家の特徴である赤髪の息子を当主が連れているんだから邪推される。親父は一貫して跡取りは弟だと言っていたけれど、未来は誰にもわからない。母ふたりは猛抗議したらしいが、親父に一蹴された。
「ロルフの将来を潰してはいけない。ロルフはオルドラ伯爵家にいてはいけないんだ。このままいれば、いくら本人たちが否定しても、周りが勝手に当主争いを始めるからね。ロルフは外に出て、オルドラ伯爵家のために人脈を築いてもらうのがいい。一途に誰かに仕えて信頼を得る性格ではなさそうだから、今のうちに知り合いを増やしておかないと。顔が広く、どんな仕事もそれなりに出来て、緩衝材になる男に成長するだろう」
緩衝材扱いされたときの衝撃といったらなかった。嫡母でさえ口をわずかに開けて親父を凝視していた。
それから少しずつ家がぎくしゃくし始めた。弟は純粋に慕ってくれるし、俺も大切に思っている。だが嫡母からすれば、自分の息子より先にお披露目された赤髪の男だ。弟の綺麗な金髪もいいと思うけれど、オルドラ伯爵家では赤髪が何より重要だった。
可愛がってくれた嫡母と徐々に距離が出来たのは悲しかったが、俺がなにか言える立場ではない。俺のせいで母同士にも溝ができたのが、悲しくて申し訳なかった。
連れまわされてよかったのは、エドガルドと会えたことだ。年が離れたエドガルドとは不思議と気が合った。エドガルドの境遇を知り、いまは無力だけれどいつか力になりたいとも思った。
エドガルドと仲良くすると、嫡母と話すことはおろか会うことすら少なくなった。バルカ侯爵家の跡継ぎといると周りからどう見られているかわからないわけではないが、エドガルドと一緒にいたかった。
成長したエドガルドが第四騎士団という新設の騎士団へ入団の誘いが来たとき、うちにも誘いが来ていたこともあり、俺も家を出ることにした。これ以上俺の存在で家を冷え冷えしたものにしたくない。弟は寂しがってくれたが、お互いこれが一番いいと知っている。
「俺は家を出る。クソ親父の望み通り、外で緩衝材にでも何でもなってやる。それをオルドラ家の功績にしたかったらすればいい。跡継ぎは弟だ、俺じゃない。俺は一度もその立場を望んだことはない! 俺は家から出るから……昔の、みんなで笑いながら午後のお茶を飲んでいた家に戻ってほしい……」
「僕はお茶に誘われてないよ?」
「親父は誘ってねえよ!」
「あなたは黙ってらして!」
「うるさい玉ねぎ男! 未だに玉ねぎばっかり持ってきて!」
「父上は少し黙ろうか」
久しぶりにみんなで笑った時間だった。親父は納得いかない顔をしていたけれど、お茶に誘うわけがない。
母は悲しんでくれ、嫡母も複雑な顔をしながらも別れを惜しんでくれた。情が深く聡明な人だ。親父に一番振り回されたこの人が、少しでも穏やかであればいいと願う。
そうしてエドガルドと一緒に第四騎士団に来て、しばらくしてやってきたのがアリスだった。彼女自身に特別何か思うことはなく、わざわざ遠くまで外食しにいくことから解放される喜びと、貴族令嬢がどんなものを作るか少しの恐ろしさがあった。幸い上級貴族ではないから、作ったものを無理に食べなくてもいい。
だがアリスはいい意味で期待を裏切った。作るものは平民寄りのものばかりだが、汗を流した体に濃いめの味付けが嬉しい。特に揚げ物が絶品で、パンにも酒にも合う。
俺たちに近づきたいどころか異性が苦手な様子を見て、エドガルドに余計な虫がつかなくていいと思っていたが、いつの間にかふたりは仲良くなっていた。休日はよく一緒にいるエドガルドが、突然用事があると言い出したのが始まりだった。
その時は、そんな日もあるだろうと納得した。だがそれが続くと不審に思い、こっそり後をつけるとアリスと一緒にケーキを食べていた。頭を強く殴られたようなショックだった。
エドガルドが甘いものを好み、欲しているのは知っていた。入団してから何度か勧めたが、エドガルドはかたくなに断るばかりだった。幼いころ、こっそり俺が甘いものをあげたのを見られていて折檻されたことが根強く残っているのだろう。俺が無理やり食べさせたことにすればいいのに、エドガルドは俺を守って最後までひとりで勝手に食べたと言い張っていたと、後で噂で聞いた。
今だってそうだ。折檻を恐れているのではなく、俺の評判を落とさないよう、バルカ侯爵家の怒りが俺に向かないようにしているのだ。万が一露見しても俺を巻き込まないよう我慢し続けていたエドガルドが、何を思ってアリスと一緒に大量のケーキを食べることにしたのかわからない。わからないから、しばらく見ていることにした。
アリスが嫌な奴であれと願っていたが、そんなことはなかった。だから姿を現して一緒にいる中で探ろうとしたが、やはり望んだ悪女ではなかった。
3人でいるのがいつの間にか心地よくなり、探る目的でよく見ていたアリスを違う意味で見始めていることに気付いたときは、そりゃあ動揺した。どうして、なぜ、エドガルドの気持ちに気付いているのに。
必死にきっかけを探したが、思い当たることはない。何かきっかけがあってほしかった。例えば動物をめでる姿が可愛いとか、こちらが望む言葉をくれるとか、そういうのが。そうすれば、後で想像や事実と違ったと、恋から覚めることが出来るのに。
アリスはいつも穏やかで感情豊かだった。俺が少しだけ自分の生い立ちを話したときも、なぜか相手に謝罪されるとか、自分が慰めてあげるとか、今までの人間のような反応はしなかった。
「そうなんですね。綺麗な赤髪なのに」
ただあっさりと、赤髪を疎んでいることを残念がられた。それだけだった。
アリスはいつもさらっとした返しをして、深くこちらに踏み込んでこない。それが心地いい。ゆっくり、自分でも気づかないほど少しずつ、アリスは俺の心に降り積もっていく。
「ロルフ様が本当に辛くなったら匿うので、尋ねてきてくださいね」
いつかアリスが忘れてしまうであろう言葉がどれほど嬉しかったか、アリスはきっと知らないままだ。
今日だって、俺の愚痴を嫌がらずに聞いてくれて、エドガルドが来たら自分は席を外して話し合いの場を作ってくれた。エドガルドのために、俺もアリスを狙うと言った。エドガルドが俺に遠慮しないための言葉だったはずなのに。エドガルドの初恋を応援する気持ちに未だ偽りはないが、この感情から簡単に抜け出せない予感がした。