伝説の始まりとか言えればよかった
数十分ほどかかってようやく着いたのは、こじんまりとした建物だった。華やかさより頑丈さを優先した建物は優雅だが、王城を見た後では質素に見える。
エスコートされて馬車をおり、裏口にしては立派なドアから中に入った。
「本来ならばきちんとした入口からお入りいただくのですが、よく使うのはこちらでしょうから、先にこちらから案内させていただきました」
なるほど、裏口はキッチンに繋がっていた。
「基本的には裏口を使い、キッチン以外には立ち入らないようお願い申し上げます」
キッチンと食事をする場所は天井が高く、広々としていた。テーブルからキッチンは丸見えではないが、見ようと思えばいくらも見ることができる絶妙な配置。
明るい光を投げかける照明に、よく磨かれて飴色に光る床。大きな長方形の机が3つに、それぞれ椅子が5脚。どれも緻密な模様が彫られている。高そう。
広々としたキッチンには最新の調理器具がそろっていた。食器棚さえ一見してそうは見えないほどおしゃれだ。
「わあ……!」
「こちらは最新の機械です。野菜や肉、魚、何でもこれひとつで下ごしらえが出来ます。隣のものは、食器や鍋を洗浄してくれます。その隣は、指定した材料を入れ、これに登録されている料理なら何でもボタンひとつでできる機械です」
「すごい……!」
どれも気になっていたが、べらぼうに高いから買うのは諦めていたものだ。
こういったものを買うのは裕福な平民で、貴族はコックを雇うのがステータスだった。機械より、プロの料理人が作ったほうがおいしいしお金がかかるからだ。
だから、友達のあいだでも話題にできなかった。貴族なのに、と思われるのがオチだから。
「どれも活用していただいて構いませんが、こちらの機械だけはあまり使わないでいただきたいのです」
ボールドウィンが優雅に手で示したのは、なんでも調理できる夢のような機械、正式名称「便利調理器」だった。
「理由をお伺いしても?」
「ノルチェフ嬢は、騎士団にコックを雇わない理由をご存じですか?」
「いいえ」
「いまは戦がないとはいえ、騎士団は騎士団です。いざとなれば兵を率いて戦場へ行くでしょう。そのとき食べるのは質素なものです。まずいからといって食べず、実力を発揮できないなど、あってはならない」
なるほど。
深く頷いた。いつもおいしいフルコースを食べているばかりに、蒸かしたじゃがいもを食べられず空腹のまま戦うなんて、いい結果が出るとは思えない。
「便利調理器はおいしいものを作れます。ですから多用するのはやめていただきたいのです。平民の食べるものにしてはおいしいという程度のものを作っていただきたい」
「はい」
「毎食使う食材と量を指定します。ノルチェフ嬢はそれを元に献立を考え作っていただきます。余ってもいいので、すべて使ってください。献立と調理法、残った量などは毎日書いて提出していただきます。見本を置いていきますので」
「はい」
「もし足りなかったり、ほかのものも追加で作ってほしいと言われれば応じてください。試作もご自由に作ってくださって結構です」
ボールドウィンは紙の束を差し出した。
「こちらにすべて書いてあるので、読んで納得したらサインをお願い致します」
最後に案内されたのは、住み込みの家だった。
実家より立派だった。
家に帰ると、そわそわと待っていた家族全員でじっくり書類を読んだ。トールはまだわたしと離れることを嫌がっていたけど、働くのにこれ以上ない条件だという意見はみんな一致した。
今回の話は当てはまる令嬢がおらず本当に困っているらしく、できるだけ早くお返事を、と言われている。契約の書類にサインしたあとは家族との別れを惜しみ、その夜はささやかな宴をした。
トールは間違えてお酒を飲んで泣き上戸になって、なだめるのが大変だった。最後にトールとふたり、一緒のベッドで眠った翌朝、父さまに書類を託した。
・・・
「今回の令嬢はどうだった? なかなか見つからない条件だったと思うけど」
ボールドウィンは書類から目を上げ、主を見た。おだやかな笑みを浮かべる主は、座っているだけなのに気品がにじみ出ている。
「問題ないかと。私の顔を見ても無反応でしたし、騎士団の見学も断られました。無駄口をたたかず、しっかりした考えのご令嬢でしたよ」
「ボールドウィンがそこまで言うなんて珍しいね。それなら大丈夫そうだ」
「代々城で働いているノルチェフ家のご令嬢ですから、問題ないでしょう。代々出世には興味がないようで黙々と仕事をしていますが、難しい仕事もノルチェフに任せれば問題ないと言われています」
「肝心の料理はあまり期待していないけど、いざとなれば調理器を使えばいいから、まあ問題ないだろう」
ボールドウィンは黙ることで肯定した。本来なら料理の腕も見てから採用するが、今回はアリスひとりしか当てはまる令嬢がいないため省略した。
アリス・ノルチェフ、18歳。
なにも知らず眠りこけている、今後世間で話題になる人物であった。