レネとデート
ロアさまの息抜きに付き合った次の休みの日、エドガルドとロルフは来なかった。連続して来ないのは珍しくて、何かあったかと思ったけど、唯一来ていたレネに、
「ふたりだっていい年した貴族でしょ? いろいろあるって」
と言われて納得した。ここでしか甘いものを食べられないエドガルドはともかく、ロルフは来なくても不思議じゃない。
「ふたりとも恋人がいてもおかしくない年齢ですもんね。確か、爵位が高いほどなかなか婚約はしないとか。ロルフ様には婚約者がいるのかもしれないですね」
「貴族は数年で力関係が変わったりするからね。でも、あのふたりに婚約者はいないよ。そんな話、聞いたことない」
「ロルフ様は20代前半に見えますけど」
「ロルフは22歳、エドガルドは17歳。婚約者はいてもおかしくはないけどさ、恋人すらいないんじゃない? いたら休みのたびにここに来ないって」
いつの間にかふたりを呼び捨てにして、猫を被らなくなったレネは、騎士団にいるときより自然体だ。
「確かに。レネ様も恋人はいないんですね」
「ほっといてよ。それより、最近きな臭くなってるから気を付けて。王弟殿下を操り人形にして、陛下を失脚させようとしてる連中がいるらしい」
「そんなことが!?」
一大事じゃないか。
いまの王様には会ったことはないけど、好戦的じゃないし、国力を上げようとしておられたはず。貴族の女性が働くなんて恥知らずな! という風潮は未だ根強いけど、上級貴族の侍女とか、食に関することは女性がするのが当たり前だ。
この流れを作ってくれたのが現王で、ほかにも身分を問わず優秀な者を受け入れようとしているらしい。
「ボクが子爵なのに最年少で入団できたのは、コレーシュ陛下のおかげだよ。一昔前だったら、ほかの若い上級貴族が入団するまで待てとか、数年後に入団しろとか言われてもおかしくなかった。力のない子爵家なのに、騎士団歴代最年少入団という肩書きをくださった陛下には、本当に感謝してる」
「ノルチェフ家も代々親王派です。昔、先祖の誰かがクビになりかけたのを、その時の陛下が取りなしてくださったとか。王弟殿下は、どのような方なんでしょう?」
「平凡で、陛下との仲は悪くないってことくらいしか知らない。なかなか表に出てこないんだよね。噂から推測するに、周りを反王派で固められてるみたいだね。たぶん本人は反乱したくないから表に出てこないし、積極的に仲間集めもしてる様子もない。機をうかがってるんじゃないかな」
「王族なのにすぐに動けないなんて……」
「王族だからこそだよ。発言が何に使われるかわからない。自分を無能に見せて、無言を貫いて、反王派に抵抗してるんだよ。アリスも想像してみてよ、この騎士団が全部アリスの敵だったら? 言動も全部見張られて、粗相をすれば即、反乱と結び付けられるんだよ」
「こわっ」
「でしょ? 信頼できない側近に囲まれてさ、その側近がよそで『王弟殿下は、陛下の治世が不満らしい』とか言ってるって考えてみなよ。それで自分の名前で勝手に反乱勢力を集められて、いざとなったら首謀者ですって差し出されて」
「う、うわー! 陛下は何もしてらっしゃらないんですか!?」
「してると思うよ。ただ、完全に派閥が違うからね。ライナス殿下の周りはダイソン派で固められてるから、安易にもぐりこめないし、人を移動させることもできないんだよ。ダイソン家もまだそれなりに権力を持ってるし……むしろ、最近は前より……」
権力ってこわい。貴族ってこわい。
考え込みはじめてしまったレネの前に、試作のソースを置いていく。わたしは特別舌がいいわけでもないので悪戦苦闘中で、試作しすぎてよくわからなくなってる。考えすぎて頭が破裂しそうだ。
「レネ様、味見をお願いします」
「……このソース、酸味が強くていいね。暑いときによさそう。こっちは辛くて爽やかでボク好み!」
「ちょっと自信があるんです。でも、これだとすぐに真似されてしまうと思うんですよね。材料も手順も、複雑ではないですし」
「んー……じゃあさ、出かけようよ。ボクおすすめのお店に連れて行ってあげる。料理人は外で食べるのも勉強のうちでしょ」
「料理人……」
そう言われたのは初めてだった。
実家にいるときは、人手不足でわたしの料理を喜んでくれるから作っていた。仕事というより家事のひとつだった。
「これだけ料理に取り組んでるんだもん。料理人でしょ。言っとくけど、下手とか経験が浅いとか関係ないからね! 誰だって、最初は初心者で下手で経験がないんだから!」
「……ありがとうございます」
レネの言葉が、じんわりと胸にしみる。純粋に嬉しい。
「行きましょうか! レネ様のおすすめのお店、楽しみです!」
「待って、制服のまま行くつもり?」
「はい。今までエドガルド様とロルフ様と出かけるときも、制服のままでしたよ」
「……エドガルドはわかる。あのお坊ちゃんはたぶん気付いてない。けどロルフはなんで……って、もういいや。早く着替えてきて。王城の制服で外に出たら目立つから」
しばらくレネとにらめっこをして負けた。
しぶしぶ寮へ着替えに戻る。服は持ってきているからいいけど、貴族のご令嬢の服はひとりで着にくいようにできている。他人にかしずかれるのがステータスなんだとか。
貧乏貴族のノルチェフ家とはいえ、代々王城に勤めている。変な格好はできない。
制服を脱いでハンガーにかけ、デイドレスを着る。足首が出るワンピース型で、貧相ではない程度のレースと刺繍がついている。よくいえばクラシック、悪く言えば質素。
後ろにファスナーがあるので、できるだけ上にあげてから、孫の手を取り出す。正確には棒の先に熊手がついているような、令嬢のファスナーをあげる専用の道具だ。やはり貴族みんながメイドや侍女を雇えるわけではないのだ。
孫の手をうまく使ってなんとかファスナーにひっかけ、ゆっくりと上げる。ファスナーには極小の宝石がついているのが定番なので、雑に上げれば宝石を失うことになってしまう。
ファスナーを上げきり、髪を結びなおして外へ出る。レネは出しっぱなしだったソースの器を重ね、スプーンをまとめてくれていた。
「ありがとうございます。すぐにソースをしまいますね」
「これくらいするよ。その格好で行くの?」
「どこかおかしいですか?」
色合いは若い娘に流行している、白とライムイエローの組み合わせだ。胸元は控えめなスクエアカットで、これならば数年は着れると母さまと相談して買ったものだ。
「ネックレスつけるとか化粧するとか……髪も、いつもみたいに後ろの低い位置でひとつに結んでるだけだし」
「髪留めにはきちんと飾りがついていますよ。それにお化粧だって派手過ぎず地味すぎないようにしてます。ネックレスは持ってきてないので仕方ないです」
「……本当にここには仕事だけしに来たんだね」
「キッチン・メイドなので、出会いを求めてきたと思われても仕方がないですけどね。ただ、ご令嬢だって結婚は親の決めた相手より、自分で選びたいと思うんじゃないでしょうか。恋もせず家のいいなりで嫁ぐなんて嫌だって、友人は言ってました」
「……うん。そうだよね。でもアリスは違うんでしょ? 熱心に平民に合う味付けを勉強してる。店を出すんだよね?」
「……わかりません。出してみたいとは思いますけど、でも……」
裏切られてから、前世から合わせてすでに何十年も経っている。それなのにまだ、心の奥底にしがみついて離れてくれない、嫌な記憶。私の人生と性格を歪め、絶望したあの日。
「とりあえず行こ。お店しまっちゃう」
「途中で瓶買ってもいいですか?」
「瓶!? いいけど……ネックレスじゃなくて?」
「瓶です」