ライナスの独白
私が母からもらったライナスの名を変え、姿も声も変えてこの騎士団に隠れたとき、悔しさと同時に、どこかほっとしたのも事実だった。
気づけばまわりはダイソン伯爵家の者で固められ、言動のひとつひとつに神経をとがらせる日々。侍従と話す内容ひとつとっても考え抜かねばならず、独り言も言えない。ため息の数さえダイソン伯爵家に報告されているかと思うと、緊張しているのが日常になっていた。
唯一、兄上とその側近のみで固められた非公式な場でのみ、深く息を吸えた。
父は若くして儚くなってしまった母の死を嘆くだけで、私を見ることはなかった。
早々に兄上へ王の座を明け渡し、母の亡骸と共に離宮へこもってしまわれた。幸いにも優秀な人材はすべて置いていってくださったからよかったものの、王族としての責を放棄するこの行動には、苦い顔をする者が多かった。
だからこそ兄上はたくさんの貴族に支持され、ゆるぎない立場を得ることができた。
その一方で、多くの貴族は、私を扱いかねて静観していた。
兄上の子が生まれるまでは、控えとしてそれなりに尊ばれていたと思う。しかし兄上の子がふたり生まれ、どちらも大きな病気もせず成長すると、私は災厄の種にしかならなかった。
私の手足となるべき臣下はすべてダイソン伯爵家の息がかかった者で、彼らの野望を阻むことが出来ない。監禁され、反乱の旗頭として担がれることすら考えられた。
だから私は、この国の貴族として学び体を鍛えても、周囲に有能ではないと思わせた。兄上のための努力は、兄上の側近には疎まれ、反乱勢力には喜ばれる。
兄上だけは褒めてくれ、誇らしいとまで言ってくれたが、純粋に受け止めることはできなかった。
兄上に言われたように、第四騎士団で自分の身を守れるように鍛錬するが、それが正解かわからない日々。信用できるのは少数の侍従と兄上だけ。
いざとなれば兄上も、王として私を切り捨てなければならないかもしれない。あまりに少ない味方で、形勢を変えることもできない。
ノルチェフ嬢がやってきたのは、そんな時だった。
アーサーは非常に警戒され、食事時もキッチンにこもっているためシーロもなかなか声をかけられない。そこで私がノルチェフ嬢に探りを入れることにした。
話をして驚いた。ご令嬢らしく表情は動かないが、感情はまったく隠せていない。考えていることが手に取るようにわかる
そして、私の努力を肯定してくれた。本心で”努力の君”と呼んでくれた。
この言葉はきっと、自分の経験から来る言葉なのだと思う。だが、私の心にも染み入った。求めていた言葉だった。私も、正解かわからなくとも努力し続ける強さがほしい。
それから更に鍛錬を重ね、出来うる限り情報を集め反乱勢力の対策を考えていると、シーロに休むよう言われた。
「このままじゃ体も心も壊れますよ! 息抜きをしてください」
「息抜き?」
「鍛錬には休息が必要ですよね? それと同じで、心にも休息が必要なんです。次の休日は休んでください」
「……休み方を知らない」
「ノルチェフ嬢とデートでもしてきたらどうですか? 毎晩ノルチェフ嬢と話すのが、ちょっとした息抜きになっているでしょう?」
「そう……だろうか。確かにノルチェフ嬢と話すのは楽しいが」
「楽しいことをしてきてください。今しか休めないかもしれないですしね。でも、ノルチェフ嬢に本気になっちゃ駄目ですよ! ライナス様には一応婚約者がいるんですからね」
「……わかっている」
婚約者はダイソン伯爵家の回し者だ。お茶会や、手紙やプレゼントのやり取りはすべて最低限だ。向こうはダイソン伯爵家に逆らえず、しぶしぶ婚約しているのだろう。
反乱の証拠をつかんで情勢が変われば、婚約解消する仲だ。あまり気にしなくてもいいが、ないがしろにしてそこを突かれても困る。
「デートとは何をすればいい? 一緒にお茶を飲むのか?」
「暖かいし、湖なんてどうです? ほら、ここの近くにある、王族専用の」
「あそこか。確かに、いまの季節は気持ちいいだろうな」
「お忍びの今しかできないデートなら、ノルチェフ嬢にランチを作ってもらうのはどうですか? 平民は、レディにランチを作ってもらってピクニックをするそうですよ。代わりに男性はプレゼントを贈るんだとか」
若草の香りが吹き抜ける湖で、ノルチェフ嬢が作ってくれたおいしいランチを食べながら、日光を浴びる。
考えれば考えるほど素晴らしい案に思えて、緊張しつつさっそくノルチェフ嬢を誘ってみると快諾された。エスコートだと思われず握手をするという、ちょっとしたアクシデントはあったが、デートをする事実には変わりない。
心を弾ませていることを自覚しながら、次の休日に待ち合わせ場所に立った。今まで待たせたことはあるが、待ったことはない。
不安と期待がまじりあった不思議な気持ちで待っていると、ノルチェフ嬢が制服で来た。
……デートとは、制服でするものだった……?
華美すぎない服を選んで着てきた私への感想もない。デートとは、まずお互いの服やアクセサリーを褒めあうところから始まると思っていたが、さっそく暗礁に乗り上げた。
ひとまずランチを作ってくれた礼を述べ、歩き出す。話題は、なぜか「一番おいしそうな雲」だった。
私とて王族の端くれ、レディを喜ばせるための話術はそれなりに学んできたつもりだった。なのにプレゼントの花は燃やすよう言われ、蟻を眺め、しまいにはデートだと思っていなかったと言われた。
予想外すぎるノルチェフ嬢は、途中クッションで少し寝ていた。こんなの、誰が予想できるというのだ。
意外と長いまつげが頬に影を落としていた。
目に焼き付いたそれを振り払うように水切りに熱中し、デートは終わった。これがデートかと言われると、一般的な貴族のデートではないと断言できる。だが、非常に楽しく、息抜きになったのも確かだった。
またノルチェフ嬢を誘おう。今度ははっきり、デートだと口にして。
息抜きとは、これほどに楽しいものだったのだな。みながこぞって息抜きをする理由がわかった一日だった。