労働>>超えられない壁>>結婚
わたしが働くのは、弟のトールに大反対された。
「僕が学校へ行くから、姉さまが働かなければいけないんですか!? なら僕は学校へなんて行きません!」
トールはまだ成長途中の体だが、小柄なわたしよりすでに大きい。ぎゅうっと抱きしめられ、なだめるように弟の背中をなでた。
「聞いてトール。姉さまは、結婚か働くかの二択で、働くことを選んだのよ」
「姉さまが……結婚……!!??」
「姉さまはね、結婚したくないの……本当に、心底したくないの! 結婚するなら父さまがいい!」
父さまの顔がでれっと溶けた。
「姉さまが……結婚……」
「騎士団で働いていれば、結婚しなくていい理由になる。姉さまは、自分のために働きに行くの。許してくれる?」
「もちろんです! 大丈夫です姉さま、僕が姉さまを守ってみせます!」
「ありがとうトール」
さらにぎゅうぎゅうと抱きしめられながら、弟の背中をなで続ける。
「父さま、母さま、働くことを許してくれてありがとうございます。ノルチェフ家の恥とならないよう励んできます」
「ああ……。体に気をつけるんだぞ」
「いつでも戻ってきていいのよ。無理と我慢だけはだめ。すぐに倒れる母さまとの約束よ」
「すごい説得力」
「もしアリスがつらい状況に置かれているのなら、私がすぐに駆け付けますからね。その場で吐血するから、一緒に帰りましょう」
「母さま、体を張りすぎよ」
「これくらい大したことないわ。あなたたちを産んだときのほうがたくさん血が出たんだから!」
病弱で儚げな見た目な母親は、意外とアグレッシブでお茶目である。
こうして働くことを決めると、急募している騎士団への面接を、わずか数日後に行うことになった。
一張羅を着て初めて王城に足を踏み入れ、何度も手続きをして、約束の時間の少し前に応接室へたどり着くことができた。おそらく最低ランクの応接室だが、王城にあるだけあって、家より数段も豪華だ。出てきたお茶も薫り高い。
思わずごくごく飲みそうになるのを我慢していると、ドアがノックされた。
「どうぞ」
立ち上がると、背が高く顔が整った男性が入ってきた。前世のことがあり、イケメンは苦手だ。
失礼にならない程度に目を伏せる。
「アリス・ノルチェフと申します」
「ボールドウィン・ソマーズと申します。お待たせして申し訳ございません」
「面接を受けるものが早く来るのは当たり前のことです。謝罪は必要ありませんわ」
ボールドウィンは珍しいものを見つけたように、まじまじと見つめてきた。つむじに視線が突き刺さる。
変なことを言ったつもりはないけど、失礼だったのかも。
いっそう深く礼をすると、ボールドウィンはハッと手を差し伸べた。
「どうぞお座りください」
エスコートされてソファへ座ると、ボールドウィンは書類を広げた。
「説明させていただきます。今回ノルチェフ嬢が勤務するのは第四騎士団です。朝昼晩、毎日三食お願いします」
花形の第一騎士団、所属する大半が貴族の第二騎士団、実力主義の第三騎士団ならば、名を知っている。第四騎士団とは初めて聞いたが、自分が知らないだけでずっとあったのだろう。
頷くと、ボールドウィンが口を開いた。
「朝早く夜遅いので、住み込みもできます。貴族のご令嬢が住むに相応しい……とまでは言いませんが、それなりの家をご用意していますので、後ほどご案内いたします。侍女を連れてきてくださっても結構ですが、基本的に家から出ないようお願いしております」
「はい」
「ここで見聞きしたこと、感じたことは他言無用です。お話した場合は投獄もあり得ますので、ご注意くださいますよう」
「はい」
貴族が所属する騎士団だから、そりゃあいろいろあるはずだ。
トールは学校に通っているあいだは寮に住む規則で、友人は新婚ばかり。住み込みもいいかもしれない。両親に新婚のような生活をプレゼントするのは、悪くない考えだ。
「休日は週に一度。お給金はこのように」
思わず三度見した。何度もゼロを数える。
まさか父さまと同じくらい給金がもらえるなんて……! この仕事を探してくれた父さま、ありがとう!
「本来ならば数人でするはずですが、ノルチェフ嬢おひとりに頼むこととなりました。そのぶんお給金に反映させています」
騎士団の台所を預かれるのは、貴族で未婚で婚約者もいない、16歳以上の女性だけだったはずだ。
貴族の口に入るものを作る以上、怪しいものを雇うわけにはいかない。お見合いも兼ねているらしいけど、子爵のわたしには関係なさそうだ。
「期間は最長で3年になります。それ以上はご結婚に差し支えるでしょうから」
結婚はしたくないので大丈夫です。
「まず仕事場を案内いたします。食事の提供が間に合わないと思えば、すぐにおっしゃってください。間に合わなかった場合、罰則や罰金のうえ解雇もあり得ます。迅速におっしゃっていただければ、こちらでカバーできますから」
よく食べるであろう騎士団の三食をひとりで作るのは大変そうだが、やめる気はない。
お金が手に入る。そして結婚しなくてすむ!
王城を出ると、ふかふかな移動用の馬車に乗り、ごとごとと移動した。そのあいだ仕事のことを説明してくれたが、基本的なことだった。
遅刻はしないとか、無断欠席しないとか、その場合はちゃんと知らせるとか、部外者を勝手に招き入れないとか。
過去にあったのであろうことを念入りに説明され、見ないようにしていたボールドウィンの顔を見つめてしまった。
この人も、苦労してるんだな……。
初めて働くのだから、お嬢様方にも不手際があるのは当たり前だ。身分が邪魔してうまく注意できなかったりもするだろう。
「はい」
いたわるように返事をする。ボールドウィンはしばし見つめられ、先に目をそらしたのはこっちだった。
恥じらうような可愛いものではない。ぶっちゃけ、冷や汗が出るからイケメンと同じ空間にあまりいたくない。
「……ほかの騎士団を見学しますか?」
「ほかのご令嬢の仕事ぶりを見られるのですか?」
きっとわたしよりも身分が上に違いない。わたしはキッチンメイドと呼んでも差し支えないが、そういったご令嬢方はどう呼ぶんだろう。
「いえ、騎士団の見学です」
わずかに首をかしげる。
「……それは必須ですか?」
「いえ」
「大変ありがたい申し出ですが、わたくしのためにソマーズ様の貴重なお時間をいただくのは申し訳ありませんわ」
「そうですか」
そう言ったきり黙り込むボールドウィンを気にしないことにした。
有能な人は、大抵どこかがちょっぴり変なものだ。