不意の再開
表彰式までの時間は、人によって感じ方が違うと思う。
陛下やロアさま達はすごく忙しいだろうけれど、部屋から出ないのが任務なわたしにとっては、とても退屈だ。
侍女さんが気を利かせて本を持ってきてくれたり、貴族たちの動きを教えてくれるけど、それで一日がつぶれるわけじゃない。この状況では料理もできない。
本は面白かったけど、この世界の本は登場人物が唐突に歌いだすミュージカルな感じなので、解読が難しい。
「西の小窓であなたを待つわ~」「それはま・さ・かあぁぁぁ!」「これがわたくしの~気持ち~よ~~!」「おお~~!」
などと書かれていて、さっぱりわからない。登場人物がどんな気持ちかわからないまま読み進めていくと、くっついていたり別れを悲しんでいたりする。
読書は好きだけど、侍女さんに通訳を頼みながら読むのは疲れる。
侍女さんがいいタイミングであたたかい紅茶とチョコレートを出してくれたので、休憩することにした。
「恋愛本は、基本的にオペラが元になっております。オペラの歌がそのまま書かれるので、始めは読みにくいものですわ」
「そうだったのですね。恋愛本を読んでいなかったのですが、オペラと考えると読みやすい気がします」
「アリス様が見たオペラの本から読まれると、わかりやすいのではないでしょうか。お持ちいたします」
「お願いします。ちなみに、西の小窓の意味はなんですか?」
髪をきっちり結いあげた、いかにも「デキる女です!」というキリリとした侍女さんは、ほんのりと頬を赤らめた。
「……昔、王城で恋人と密会するには、西にある部屋を使ったのです」
「そうなんですね」
侍女さんは、遠い日を思い出すような顔をした。泣き出しそうな寂しいような、大切な思い出を抱きしめる顔。
その顔は一瞬で消え、いつものクールビューティーな侍女さんに戻ってしまった。
……どんな部屋か聞きたかったけど、なんとなく聞くのはやめておいた。
きりっとした顔になった侍女さんは、部屋の隅にいたひとりの侍女さんに、わたしが見たオペラの本を持ってくるよう声をかけた。
カップを置いて、侍女さんに問いかける。
「モーリスには会わなくていいんでしょうか? ダイソンとモーリスは、今どのような感じですか?」
「それについては、陛下からお言葉を賜っております。アリス様は会わないほうがいいとのことです」
「では、モーリスは情報をすべて吐き出したんですね?」
「それについては存じ上げませんが、アリス様のお手を煩わせることはないとのことです。……わたくしも詳しくはないのですが、モーリス・メグレは毒を作るために、人を使って実験していたそうなのです」
「……それ、は……」
「アリス様にお会いすることが、モーリス・メグレにとっては何よりの褒美になります。アリス様に会わせず、情報もいっさい与えないことが、今のモーリス・メグレにとっては何よりの罰なのです」
「……わかりました。わたくしが会うことで何か進展があればと思っただけですので、会わないほうがいいのならそうします」
……考えないようにしていたけど、人に有効な毒を作ったってことは、当然実験したってことだ。
みんなは、それを念頭に置いていたから、わたしがモーリス・メグレと話すのを心配して、とても感謝してくれていたんだな。
でも、モーリス・メグレと会う前にこの事実を知っても、きっとわたしは同じ選択をする。
……わたしは、自分が後悔しない道を選んできた。その結果、こうしていい未来につながった。わたしの選択は些細なことかもしれないけど、それでも。
「……今日は、午後からドレスの仕立てをするんですよね」
「はい。新しい服を仕立てるのは楽しみでございますね」
わたしの顔を見た侍女さんがそう言ったけど、訂正はしないでおく。
新しい服を作るのはやっぱりテンションが上がる。たとえこの礼服が、表彰式で着るものでも。大勢の視線の中で歩かなくちゃいけなくても。
「……今日は、もう休みます」
「かしこまりました。おやすみなさいませ」
ドレスの仕立てでボロボロになったわたしをマッサージしてくれていた侍女さんが、優雅にお辞儀をして去っていく。
「つ、疲れた……」
表彰式の時に着る礼服は、伝統的なものと決まっている。滅多に着るものではないから、一家に一着というのも珍しくない。
流行など関係なく、細部まで伝統で彩られた礼服を着るのだ。
けれどわたしは表彰式で表彰される側の人間。このためだけに作られた礼服を着て、大勢の人の視線にさらされなければならない。
王家しか着ることの許されない青色を身にまとう。さすがにロイヤルブルーとまではいかないが、それに近い綺麗な空色だ。
わたしはボディスーツを着るので、肌の露出がないものにしてもらった。唯一胸元が少し開いているが、これはジュエリーを目立たせるためのものだ。
なぜかわたしを気に入ってくれているらしい王妃様から、王家が保管していた国宝級のネックレスを貸すと聞いた時は、頭が真っ白になってしまった。
壊したら、なくしたら、傷がついたら……。わたしの首でも家族の首でも、とても足りない。
必死に辞退しようとしたが、決定事項なので覆らないと言われてしまった。
……わたしは……病気になりたい……。
そう願ってもわたしの体は健康だ。ふかふかベッド、気持ちいい。微熱も咳も出ない。
「もう、寝よう……」
明日はボディスーツを着て歩きながら、緊張していないように見える表情を作る練習をしよう。
うとうとしながら、肌触りの良い枕に顔をうずめる。
……ロイヤルブルーに包まれて眠るのにも、随分と慣れたな……。
「……お嬢様。お嬢様、起きてください」
「う……。う、どん……? うどんを作るの……?」
「お嬢様、緊急事態です」
ばさっと布団がはぎとられ、なんとか目を開ける。
夜の静かな静寂に、布団をはぎとる音がよく響いた。ぬくぬくとした温かさが取り上げられ、ようやく異常事態に気付く。
ここは王城だ。ノルチェフ家でもこんなことはされたことがない。
「お嬢様、すぐにここを出ます。こちらを羽織ってください」
「クリス……!」
貴族学校で別れたはずの女装美少年のクリスが、王城の侍女服を着て立っていた。