名前だけ知っている食べ物
「いただきます」
すこし冷めてしまった焼き鳥を頬張る。一番シンプルなのは塩コショウがかかっているものだ。大粒の塩とコショウが、がつんと舌にくる。ちょっと濃い味付けだけど、それがおいしい。
「そうやって食べるんですね」
気づけばふたりに食べるところを観察されていたらしい。大口を開けてかぶりついていたので、ちょっと恥ずかしい。
「串のまま食べるのは初めてですか? 庶民はこうやって食べるんですよ」
「なるほど。いただきますね」
エドガルドは控えめに口を開き、わたしよりよっぽど優雅に焼き鳥を食べた。ロルフは豪快に食べているけど、やっぱり品がある。
エドガルドはふんわりと笑った。
「……おいしい。これが友人との買い食いというものなんですね」
「バルカ家は厳しいからなぁ。またしようぜ。ノルチェフ嬢も一緒に」
「そうですね。せっかくですし、あとでケーキ屋さんに行きませんか?」
「えっ、あ……」
エドガルドはうろたえ、おそらく今までのように、甘いものなんて食べないと言おうとした、と思う。
わたしの家で食べるのとは違い、店は人目がある。誰から情報が洩れてもおかしくはない。
ロルフがじっと答えを待っているので、わたしも黙って待つ。エドガルドは視線をさまよわせ、手に持った焼き鳥に気づいた。すこし表情が和らぐ。
「……行きます。僕は……いつか、バルカ侯爵家を継ぐ。けれどそれは、前代のふるまいをそのまま模倣することではない。甘いものを食べても、買い食いをしても……僕はバルカだ」
エドガルドの声に力がこもる。
「エドガルド・バルカだ。バルカ侯爵家をもっと、よりよいものにしてみせる」
「よく言った!!」
ロルフが思いきりエドガルドの背中を叩いて笑う。その目がちょっと潤んでいるように見えて、なんだか、じーんときてしまった。
エドガルドも、過去のつらい経験に囚われ、抜け出そうともがいていたのかもしれない。光を見つけられたなら、盛大にお祝いするべきだ。
「これを食べたら、ケーキ屋さんに行きましょうか。バルカ様が行きたいところを決めてくださいね」
途端に考え出してしまったエドガルドを横目に、2本目の焼き鳥を食べる。これはピリ辛で、ロルフがおいしそうに食べていた。
「辛い物が好きな人が多いんですね。どの店を見ても、辛いものがおいてあります」
「ノルチェフ嬢がなにか作るんなら、カレー味がいいな。見た目があれだから、食べるのに勇気がいるけど、食べたら忘れられない」
初めてカレーを出した日、騎士さまたちは凍り付いていた。茶色くてドロドロしてる食べ物を初めて見たらしい。
たしかに、カレーは見た目がちょっとね。食べ物だと知らずに見たら、かなりショッキングだよね。うん。
いつも先頭に立ち、にこやかにお礼を言ってくれるアーサーも、こういうとき率先して食べて大げさに感想を言ってくれるレネも、全然動かない。
万が一のために作っておいた予備のご飯を出そうとすると、レネが察知してお皿を掴んだ。掴んだけど、動かない。
「……香りはいい、けど、これは何?」
「カレーです」
「食べ物?」
「はい。ノルチェフ家では大人気ですよ」
「これが!?」
「はい。パンも米も用意していますので、お好きなほうでどうぞ」
レネはぎゅうっと目を瞑ってお皿を持ち上げ、きらきらしいアーサーを見上げた。
「ダリア様。本日は私が先に食べてもよろしいでしょうか」
「……いや。私が一番に食べる役目だ」
「出過ぎた真似をお許しください。ですが本日は、どうぞ私に」
レネはナンを取り、お皿にほんのちょびっとカレーを入れた。
「それは中辛です。レネ様は甘口では?」
「今日はこれでいいよ」
レネはいつもの席に座り、カレーをじっと睨んだあと、どこか震えているように見える手でカレーをすくった。
スプーンの先端が、桃色のレネの口に消え、すぐに出てくる。
「……ん?」
レネはカレーを味わったあと首をかしげ、さっきより多く口に入れた。
「……何種類かのスパイスと……トマト? 甘味と辛み、酸味……香味野菜で味に深みが出てる」
「弟が大好きで、スパイスの種類とか量を研究したんです。もちろん、カレー専門の方からすればまだまだでしょうけれど」
「これ、カリーじゃない?」
「そうとも言いますね」
ついついカレーって言っちゃうけど、この世界ではカリーのほうが馴染み深いのかもしれない。
途端に、ざわざわと「あれがカリー……」「確かに聞いたものと同じように見える」「まさかカリーが出るとは」という声が聞こえてきた。カリーは有名みたい。
レネはアーサーの前までやってきて、さっと頭を下げた。
「見目はよくありませんが、味は問題ありません。差し出がましいことをして申し訳ございませんでした」
「いや。私の葛藤が伝わっていたのだろう。礼を言う」
カレーでこんなに大事になるとは思わなかった。
ちょっぴり冷や汗をかきながら、予備のご飯を出す。お皿を取ったアーサーに、ぎこちなく笑いかける。
「お好きなものをお取りください。無理をしてカリーを食べる必要はありませんので」
「せっかくだからカリーをいただこう。……まさかカリーを食べる日が来るとは」
この国でのカレーの扱いなんなの?
無理してカレーを食べなくてもいいんだけど、これ以上言っては不敬になるかもしれない。黙ってアーサーがカレーをよそうのを見守る。
アーサーがカレーを選んだからか、続く騎士さまたちもカレーを選んでいく。嬉しそうな顔をしてくれているのは、わんこ系イケメンだけだ。ひとりだけ大盛りで、にこにことカレーを頬張る。
「んっ……んん!? 初めて食べる味だ! おいしい!」
ありがとうわんこ。たぶん年上だし身分も上だけど、なんとなく親しみを感じてしまう。
この一言が呼び水となって、騎士さまたちがおそるおそるカレーを口に入れていく。
「これは……見た目からは想像もつかない複雑な味だ……」
「コクとうまみ……私的に酸味がちょうどいい」
「これが……カリー……!」
今度父さまに、カリーがどんな扱いなのか聞こう。絶対に。
カレーは成功なんだか失敗なんだかよくわからないまま終わった。
もう出さないほうがいいだろうなと思っていたら、後からちょいちょい騎士さまたちに「次にカリーはいつ出るのか」と聞かれるようになった。やはりカレーは中毒性がある。
ちなみにロアさまもカレーを気に入ったらしい。中辛を食べてにこにこしていた。