いざ出陣!
緊張であまり眠れなかった朝は、昨日と同じように澄んでいて綺麗な空気だった。寝不足の目に朝日が眩しい。
わたしより緊張しているエミーリアが、慣れない手つきで髪を梳かしてくれた。
「わたくし、あまりお役に立てませんでしたけれど、この日を迎えられてよかったですわ」
「わたしでも長いと感じるくらいなんですから、エミーリア様たちにとっては、もっと長かったでしょう? 今日でモーリスを捕まえられるはずです」
「ええ。皆様なら、きっとできると思いますわ。わたくしにできるのはこれくらいですけれど……。わたくし、お母様にこうして髪を梳いていただくと、生きようと思えましたの。どんなに恥辱にまみれても、死んだほうがいいと思っても、できるだけ生きていこうと」
「エミーリア様……ありがとうございます。わたしも元気が出てきました」
エミーリアの母は貴族だから、基本的に娘の世話はしなかったはずだ。髪を梳くのは、愛情がこもった行為だ。
「エミーリア様のおかげで、モーリスが業者からハーブを仕入れていないと判明したんですよ。大量に使うのに、どうして問屋を使わなかったのかはわかりませんけど……」
「半年前までは使っていた形跡があるわ。ダイソンと何かあったのでしょうね」
「それって……」
モーリスが外に出てくるようになったのは、ここ半年くらいのことだと聞いている。
モーリスがメグレ家から勘当され家を出てからは、どこにいたか不明だ。ダイソンのもとで毒を開発していたと推測している。
モーリスの驚異的な観察力と記憶力を活かして長年毒の開発をしていたが、なんらかの理由で研究所から出たいと希望した。
しかしダイソンは許さなかった。だから、モーリスはダイソンを脅すことにした。
ダイソンとの会話を録音した魔道具と毒で交渉して、モーリスは外に出ることとなった。
以上が今の状況らしい。
陛下の側近にとても頭のいい人がいて、これを推測してくれたと聞いた。
「ダイソンとモーリスはお互いに弱みを握り合っていて、動けないんでしょうか……? でも、今までの話を聞くかぎり、ダイソンがモーリスを消さないのはおかしい気もしますけど」
「憶測にすぎないのだけれど、モーリスは魔道具を改造して、身を守っているのではないかしら? ダイソンとの会話も残しておけるくらいの人物なのでしょう?」
「どんな攻撃でも死なないような魔道具を持っているってことですか?」
「ええ。魔法も物理も防いで、毒も無効化できるものを。それに、モーリスしか毒を作れないのではないかしら? 陛下を弑するまでは、モーリスのわずかな自由を認める約束を交わしているのではと思ったの」
「なるほど! エミーリア様はすごいですね!」
モーリスは狂っているように見えて冷徹だ。
自分に何かあったら、即座にいろんな場所にダイソンの企みを暴露する手紙でも送りそうだ。もちろん、証拠つきで。
「ダイソンがモーリスを殺す前に回収しないとですね!」
「ええ。王城では、本当にたくさんの人がダイソンを見張っていますわ。人事異動で忙しくさせたと聞きますし、この与えられた時間を有効に使わなければ」
「ダイソンの邪魔が入らないとわかっただけで、少し心が軽くなりました」
支度を終えたエミーリアとふたりで下へ降りると、もう全員集まっていた。
やわらかな朝日の中、ロアさまが微笑む。
「おはよう、アリス。少し顔色が悪いが、気分は?」
「ロアさま、おはようございます。緊張して、よく眠れなかったんです」
「実は、私もだ」
秘密を共有したようにロアさまが笑うので、わたしもなんだか嬉しくなる。
アーサーがため息をつきながら頭を振った。綺麗な金髪が、光を反射してきらきらと光る。
「実は私もよく眠れなかったのです」
「嘘つけ。俺よりも先に寝たくせに」
そんなアーサーをじっとりと見つめたシーロは、立ち上がってエミーリアの椅子を引いた。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがとう、シーロ」
「おはようアリス。今日は全てがうまくいくから大丈夫! もしアクシデントがおきても、絶対になんとかするからね!」
「おはようございます、レネ様。何かあったらお願いします」
レネが引いてくれた椅子に座ると、ロルフがお水を注いでくれた。すでにテーブルにはおいしそうな朝食がたくさん並べられていて、いいにおいが漂っている。
「アリスが好きなレモン水を用意したよ。クリームチーズとはちみつのデニッシュと、アリスが気に入ってたソーセージ。今日はアリスが主役だ。たくさん食べてくれ」
友人に戻っていつも通りにふるまってくれるロルフにほっとしながら、綺麗なウインクを浴びる。
「ありがたくいただきますね。おいしそう!」
「せっかくですので、とっておきのソーセージを作ってもらいました。作れる人はわずかしかいないんですよ。どうぞ食べてみてください」
「ますます食べるのが楽しみになりました! ありがとうございます、エドガルド様!」
エドガルドもいたって普通の様子だ。よかった。
ここで心を乱されたら、今から会うモーリスに集中できなかったかもしれない。
おいしいご飯を、みんなで談笑しながらゆっくりと食べる。
今からモーリスを捕まえるからこそ、平常心が必要だ。さっぱりとしていていくらでも食べられそうなソーセージを飲み込み、ロアさまに尋ねる。
「研究所は、バルカ領に一つしかなかったんですよね?」
「ああ。オルドラ伯爵家が、自領をすべて探してくれた」
「本当に早いですよね。事情を説明しにロルフ様がオルドラ領へ行って、少ししか経っていないのに」
苦い顔をしたロルフが、ちょっぴり眉間にシワを寄せながら言う。
「……父は、仕事はできるんです。仕事は」
この国には、有能だけど変わってる人が多いのか?
食後のフルーツを食べて紅茶も飲み終わって、カレーを作るのに必要なものを全てバッグに詰め込んだ。
わたしは平民設定なので、マジックバッグじゃなくて普通のバッグだ。食材は現地で調達するので、そんなに重くない。
「ダイソンに気取らせないため、王都から騎士は来ない。だが、街の地形に詳しいバルカ家とオルドラ家の者が、モーリスを捕まえる。アリスに危険なことは起こらない」
「はい。みなさんを信用していますから、怖くありません。いってきます!」
見送ってくれるみんなに手を振って、馬車へ乗り込む。
今日は、街へはひとりで行く。みんなはそれぞれ街へ入り、モーリス捕獲のために隠れて見てくれているはずだ。
むんっと握りこぶしを作る。
「よおし! モーリス・メグレを捕まえるぞ! えいえいおー!」