コレーシュの独白4
映像は、クリスが女子寮の部屋に入ったところから始まる。
キッチンから顔を出したノルチェフ嬢は、制服の上にエプロンをつけていた。
「おかえりなさい、クリス。お茶を淹れますね」
「そのようなことは私がいたします。お嬢様はどうぞお座りください」
ノルチェフ嬢は、ほんの少しだけクリスを見つめた。人の目を真っすぐ見つめるなと思ったのが、一番最初の感想だった。
「じゃあ、お願いします。実はクッキーが焼けたところなんです。クリスの淹れたお茶のほうがおいしいですから」
「クッキーも私が持ってまいりますので」
「クリスは今帰ってきたばかりで疲れているので、私が運びますよ。それに、クッキーが乗っている天板は熱いし重いです」
「……お嬢様、私は男です」
「わたしのほうが力があるのでは?」
「お嬢様、それは有り得ません。いいですから、座ってお待ちください」
ノルチェフ嬢は納得がいかない顔をして、それでも指示に従った。
その気持ちはわかるよ。メイド姿のクリスって、すっごく可愛いもんな。男だって知ってるのに、ナイフさえ持てないと思ってしまう。
キッチンへ行ったクリスが戻った時、ノルチェフ嬢は姿勢よくソファに座り、窓の外を眺めていた。
「お待たせしました」
「ありがとうございます、クリス。クリスもぜひクッキーを食べてください」
「ありがたくいただきます」
小ぶりなクッキーを、ノルチェフ嬢は一口で食べた。途端に頬がゆるみ、目がやわらかく細められる。
「焼き立てのクッキーはやっぱりおいしいですねぇ」
「ええ、本当に。お嬢様はお菓子を作るのもお上手ですね」
「調理器くんのおかげです」
調理器くんってなに?
「お嬢様、浮かないお顔をしていらっしゃいますね」
「……クリスはすごいですね。実は、学校へ来てからお菓子を買うことが減ったんです」
「そのぶん作っていらっしゃいますよね」
「はい。キャロラインにいただくお菓子は本当においしいんですけど、そればっかり当てにするのもよくないので。そして気付いた……いえ、見ないふりをしていたことを突きつけられたんです」
ノルチェフ嬢は、ぐっと拳を握りしめた。
「お菓子は、バターと砂糖をたくさん使うほどおいしい……!」
「ええ、不変の真理です」
「太りました!!」
「お嬢様はそのようなご心配をなさらなくてもよろしいのでは?」
「みんな気を遣ってそう言ってくれるんです! でもわたしにはわかる! ここで放置したら年を取るほど脂肪が落ちなくなると!」
顔を上げたノルチェフ嬢が、クリスを見つめた。潤んだ瞳で少しばかり上目遣いになっている。
これが男を落とす技か? 基本技すぎて面白くないと思っていたら、ノルチェフ嬢は勢いよく頭を下げた。
「お風呂に入ったあとはボディスーツを脱いでもいいですか!? 筋トレをしたいんです!」
「筋力トレーニングは、ご令嬢がすることではないのでは……?」
暗に「エステや食事で体重を落とせ」と言っているクリスに気付かず、ノルチェフ嬢は続けた。
「いいえ、筋肉は大事です! 筋肉があるのとないのでは雲泥の差!」
「ですがお嬢様は……」
「いいですかクリス。ご令嬢たちのたわわな胸は、筋肉によって支えられているのです。ヒップもシワのない顔も、すべて筋肉が解決します!」
「そ、そうなのですか……?」
おいクリス、ちょっと丸め込まれてるぞ。
「それに、もし学校から逃げる時があるのなら、今度こそ私は足手まといになりたくないんです。さすがに騎士さま達が走るスピードについていけるとは思いませんが、それでも……。できることはしておきたいんです」
「……わかりました。無茶なトレーニングは控えてくださいね」
「ありがとうございます、クリス! 今日はクリスの好きそうな豆乳担々麺を作りますね! クリスが仕入れてきてくれたフルーツもおいしそうなので、食後のデザートにつけますね」
「ありがとうございます。お嬢様のおすすめならばきっとおいしいですね」
「わたしは麺の代わりにたっぷりキャベツを入れて、おいしくダイエットです!」
嬉しそうに笑ったノルチェフ嬢はクッキーを食べ、ハッとした。
「しまった、つい食べてしまった……!」
「少々体重が増えても、きっとロア様は気にしませんよ」
ロアとは、ライナスがノルチェフ嬢とふたりきりの時に使っていたという偽名だ。
クリスがかまをかけても、ノルチェフ嬢は変わらなかった。
「本当にロアさまは優しいですよね。わたしも、何か役に立てればいいんですが」
この発言は、クリスからの報告通りだった。
これだけ中心にいるのに、どこか自信がない。自分がしたことを正確に把握していない。
ここらへんは、箱入りのお嬢様って感じだな。報告を見るかぎり、ノルチェフ嬢が参加するパーティーは建国祭の一日と、親しい友人が開くものだけ。
圧倒的に社交界での経験が少ない。そして将来は自分で店を開きたいと聞いている。おまけに子爵令嬢だ。
「ライナスの気持ちを許してやりたいが、こればっかりは壁が分厚すぎるぞ……」
クリスからの映像が終わり、一緒に見ていた側近がざわざわと話し始める。
できるだけ飾らないアリス・ノルチェフの映像を、という要望に、クリスは見事に応えてくれた。
「みなの意見は聞いた。アリス・ノルチェフはダイソンとのつながりはないと判断する」
みんな同じ意見だったので、結論はすぐに出た。元からノルチェフ嬢に怪しいところはなかったからな。
その後、これだけ貢献してくれたノルチェフ嬢への褒美を与える時に、少しでも反対意見が出るのはよくないという意見が出た。それもそうだな。
なので、貴族学校を出る時は、ノルチェフ嬢もついていかせると決定した。
学校でじゅうぶんな成果を上げてくれたから、これからは何もしなくても褒美を与えるのは確実だからな。
と、思ったのに。