ようやくスタート地点
働き始めて二か月。
わたしが住み込みの家で料理を作っているあいだ、エドガルドはケーキを堪能しつつ、たまに鍛錬をしたり本を読んだりするのが、休日のお約束になっていた。
ダメ元で、ボールドウィンに休日に自分の寮で試作を作りたいと言ったら、案外あっさりOKされた。
お休みの日にはあまり騎士寮に行ってほしくないらしい。お休みの日までに廃棄されるものならば、好きに使っていい太っ腹ぶりだ。そのぶん書く書類は増えたけど、お休みの日に職場に行きたくない。
「バルカ様、味見をお願いします」
作ったものは、エドガルドが味見してくれる。侯爵家で育ってきただけあって、小さいころからいいものを食べてきたエドガルドの舌は確かだ。的確なアドバイスは大変にありがたい。
いつもよりゆっくり起きて、試作をして、疲れたらケーキを食べつつエドガルドと談笑する。前世の経験から、ひとりっきりの一日はちょっと苦手だから、休日のたびエドガルドが来てくれるのは嬉しかった。
「あー、なるほど。休日はここにいたのか」
エドガルドではない声にハッと顔を上げる。
目の端で、燃えるような髪がふわりと揺れる。波打つガーネットの髪に、華やかな雰囲気。ご令嬢が騒ぎそうな甘い顔立ちのロルフ・オルドラが、木に寄りかかりつつ立っていた。
「ロルフ……」
困惑しつつもかたい声を出すエドガルドに、ロルフは両手をあげてひらひらと振った。
「ああ待て、違う。誰にも言うつもりはない。それならわざわざ声をかけたりしない」
ゆっくりと歩み寄ってくるロルフと対峙するエドガルドのあいだに、緊張感が漂う。そんな中、口の中のご飯を必死にもぐもぐするわたし。
その登場、もうちょっと待ってもらえなかったんですかねぇ!? シリアスの中ひとりでもぐもぐしてるの、場違いにもほどがあるんですけど!
「エドガルドが休日のたび出かけるのが気になってな。前まで、基本的に部屋にいただろ? 誘いに行ってもいないし、やっと捕まえたと思ったら断られるし」
このふたり、仲が良かったらしい。エドガルドをとっちゃったみたいで、ちょっと申し訳ない。
ロルフのミルクチョコレート色の瞳が、どこか温かみをもってわたしを見つめる。さっきまで必死にもぐもぐしていたなんておくびに出さず、澄まし顔をする。淑女は仮面をかぶるものなのだ。
「エドガルドが好きなものを食べられる場所を見つけたようで、よかった」
「ロルフ、まさか知ってたのか?」
「うまく隠してたと思うぜ。でもエドガルドは、俺より5つも年下だろ? さすがにわかるって」
ははっと笑うロルフは、エドガルドの肩を小突いた。ドムッと音がする。
「そんな顔するなよ。俺に隠し事してたバツだ。これくらい可愛いもんだろ?」
「……なんでもロルフに教えるわけじゃない」
「そうだけどさ、俺だってケーキくらい買えたぞ」
ロルフは、ちょっと拗ねた子供っぽい顔をした。
「……そうしたら、俺に禁止されたものを渡したって、ロルフが罰せられるかもしれないだろ。……それは嫌だったんだよ」
「エドガルド……」
普段は寡黙で大人びたエドガルドが、年相応に見える。なにやら感動するロルフ。場違いなわたし。
空気になっているわたしの前で友情を確かめあったふたりは、揃ってわたしを見た。動いてもいい空気だったので、立ち上がって頭を下げる。
「ノルチェフ嬢、エドガルドの心を守ってくれてありがとう。礼を言う」
「わたくしは何もしておりませんわ。バルカ様、これからはここへ来なくてもお好きなものを食べられますね」
よかったね、と心からお祝いしつつエドガルドを見ると、すごく顔色が悪かった。
「……もう、ここへ来てはいけないと言うんですか?」
「お好きなときに来てください」
「では、なぜそんなことを言うのです」
珍しく、ぐいぐいくるエドガルドに驚きつつ、ちょっぴり距離を取る。この仕事を始めてイケメンには慣れたけど、近寄られるのはそんなに得意じゃない。
「夜に甘いものを食べたくなった時、オルドラ様と食べられるじゃないですか。さすがに夜にここへは来られないですから」
「他意はないと?」
「他意……? あっ、マジックバッグはお返ししたほうがいいですか?」
「いえ、それはあなたがお持ちください」
エドガルドにじっと見つめられ、気まずさが高まっていく。
「ええ、と、本当にいつ来てくださってもいいんです。バルカ様が来てくださって、とても楽しかったですから」
「本当ですか?」
「はい。実はひとりがすこし苦手なので……味見もしてくださって、とても助かっています」
「……よかった」
エドガルドは、花咲くように笑った。
年下の男の人だけど、なんだか艶やかというか少し色気があるというか……ちょっぴりドキドキしてしまった。イケメンの笑顔に嫌悪感を抱かないのは、わたしにとって大きな進展だ。
今後どこかで働くにせよ、異性との接触は避けられない。エドガルドはまっすぐな性格で、一緒にいる時間がそれなりにあったから、緊張しなかったんだろうな。
「へえ~、ふうん?」
「ロルフ!」
エドガルドがロルフの肩にパンチをする。なかなか重い一撃を受け止め、ロルフは笑った。
「今度は俺もここに来ていいか?」
ロルフは、エドガルドの耳元でこしょこしょと何かつぶやいた。エドガルドのほうが背が高いので、ロルフが若干背伸びをしている。
エドガルドは数秒後、しぶしぶ頷いた。
「……ノルチェフ嬢、ロルフも来ていいでしょうか?」
「はい。あまりお構いできませんが」
「俺が押しかけたんだし、接待なんかしなくていいって。休日だしな」
ロルフはいつも明るく接してくれて、たまにフォローしてくれる。ぶっちゃけると来ても来なくてもどっちでもいいけど、来たいというなら断る理由もない。
休日は、料理兼イケメン修行だと思おう。