チェリー
ふあ、と伸びをして起き上がると、いつもより遅い時間だった。横ではエミーリアがまだすやすやと寝ている。
昨日はみんなで夜更かしをしたあと、部屋に帰ってからもエミーリアとたくさんおしゃべりしたので、ちょっと寝坊してしまった。
エミーリアはダイソンを捕まえたら「実はわたくしは生きていましたのよ!」ドッキリをして、いろいろと根回しをしてからシーロと結婚するのだそうだ。
「わたくし、シーロの色が似合うか不安ですわ」
この世界の結婚式のドレスは、一般的に夫の家門の色を身に着ける。婿入りする人は、妻の家門の色を。
イメージカラーというやつだ。地位が高かったり功績を挙げたりすると、青に近い色を許されるんだとか。
シーロの家は、シーロの髪のような明るい緑色を与えられている。わずかに青が混じった、木洩れ日のような新緑。
「絶対に似合いますよ! 大丈夫!」
「シーロもそう言ってくれますけれど……アリスには、青が似合いそうですわ」
「うっ、うーん! ありがとうございます!」
なんとも返事に困るコメントをもらってしまったので、笑顔で濁しておく。
ロアさまには、とても素敵な言葉をもらった。この先どんなことがあっても、あの言葉さえ忘れなければ生きていけると確信できる言葉。
偽りのないロアさまの言葉に、わたしも本心を伝えると約束した。
……でもさ、どの気持ちを伝えたらいいのかなあ!!?
ロアさまと話すと自分の思考を整理できるし、感謝してるし、一緒にいたいし、なんなら好きだ。
そうだ好きなのだ! 前世も今世もこれだけ男に人生をかき回されておいて、それでも懲りずに人を好きになるなんて!
びっくりなこの恋心を伝えればいいのかと思ったけれど、ロアさまだって、はっきりしたことを口に出してはいない。
これが貴族的な遠まわしな言葉だったら、もう絶対にわからない。お手上げだ。
だけどあの時間を誰かに話すことはしたくない。
そんなことを考えながら、エドガルドとロルフのことを喜び、ふたりともう一度きちんと話さなきゃとか考えていると、寝付くのに時間がかかった。
「んん……おはよう、アリス……いま何時かしら……」
目をこすりながらエミーリアが起き上がる。少し寝ぐせのついた金色の髪が朝日に輝いて、とても綺麗だ。
「おはようございます、エミーリア様。いつもより少し遅いくらいですよ」
「つい寝すぎてしまったわね。早く行かなければ」
随分と支度が早くなったエミーリアを手伝いながら身支度をして、一階へ向かう。いまは忍者夫婦が研究所にかかりきりになっているので、食事は全部わたしが用意している。
ここにも下ごしらえくんと調理器くんがいて、本当によかった。わたしは少し手作業を加えているけれど、時間がないときは指先ひとつでおいしいご飯ができあがる。
「おはようございます!」
「おはよう。少し遅れてしまったかしら?」
エミーリアとリビングへ行くが、まだみんな揃っていなかった。ひとまず安心して、朝ごはんを作ることにした。
調理器くんから焼き立てのパンを取り出し、少し冷ましておく。タイマーでばっちりできた山盛りロールパンは、つやつやでおいしそうだ。
次はお肉を調理していく。牛肉のかたまりにバルカ領特産のハーブブレンドをすりこみ、調理器くんに焼いてもらう。
下ごしらえくんにゆで卵を作ってもらい、マヨネーズとマスタード、刻んだピクルス、ボイルしたエビを混ぜてサラダにした。
大量のソーセージと分厚いハムステーキ、豆と野菜たっぷりのスープ、デザートに数種のフルーツをむいてもらう。
「よーし、朝ごはん完成! いつ見てもすごい量だなぁ」
もちろん、第四騎士団にいた頃よりは少ない。だけど、未だに朝からこの量をぺろりと食べきることに驚いてしまう。
朝ごはんができる頃にはみんな来ていて、料理を運ぶのを手伝ってもらって朝食にする。
なごやかな会話をしながらも、わたしの頭の中はカレーのことでいっぱいだ。
わたしもカレーは好きだけど、一番好きなのはおうちカレーだ。しかも、自分が好きな具を好きなだけ入れたやつ。
外食する時にカレーを選ぶことはあまりないので、本格的なカレーのイメージははっきりしないし、作り方にいたってはさっぱりわからない。
みんなはこのカレーでいいと言ってくれているけれど、モーリスに会いに行かない日はカレーの研究をしよう。
ついでに、モーリスに会った時に、どんな味が好きか探りをいれとこう。
「ごちそうさまでした!」
食後のコーヒーとフルーツを出し、綺麗になった食器を下げて戻ると、空気が少し変だった。
「……みんなに謝りたいんだ」
ロルフが深く頭を下げている。
できるだけ静かにドアを閉め、壁際により、空気になる。
「俺は、みんなとは心構えが違うのに、ライナス殿下の側近を気取っていた。みんなそれに気付いていたのに、言わないでくれた。もちろん、俺はライナス殿下のためならばこの命を差し出す覚悟だ!
だが……俺の一番はライナス殿下ではない。それでいいだろうと側近になった俺の心構えについて、父に言われてようやく気付いたんだ……。ライナス殿下がお許しになっても、俺は俺を許せない」
ぎゅっと血が出そうなほど手を握りしめたロルフの声が、自分への怒りで震えている。
「ライナス殿下をお支えしたい、力になりたいという気持ちは変わらない。だが、俺の一番も変わらない。こんな俺でも、ライナス殿下は欲してくださった。俺は……今更だが、もう一度、本当の側近になれるよう努力する。今まで申し訳なかった」
深々と頭を下げたロルフと、耳が痛いほどの静寂。
エドガルドも一緒になって頭を下げそうな空気だが、軽く視線をあわせたシーロは、あっさりそれをぶち壊した。
「おっけー! 頑張れ!」
「……えっ。……それだけ……?」
「うん。だって、ライナス殿下の判断基準はそこじゃない。
何があってもライナス殿下をお守りすること。自分よりライナス殿下を優先すること。どんな時でも。何があっても」
いつもほがらかなシーロの真面目な顔は、見慣れなくて、言葉に重みが増す。
「それが出来ないんなら、いくら人手不足だからって、声をかけたりしないよ。側近にって提案した時点で、そこはクリアしてる」
シーロがウインクした。初めて見たウインクは、とても綺麗なものだった。
「人は変われるって、ライナス殿下が教えてくださっただろ? いい方向に変わろうとするなら、応援することはあれど責めることはない。でも、もし心苦しいっていうんなら……」
シーロはにんまりと笑った。
「ロルフの恥ずかしい秘密でも暴露してもらおっかな!」
「それはいいですね。最近ジョークを言ってもスルーされることが多いですし、ぜひロルフの話を聞きたいものですね」
「ボクも聞きたいなっ! 気になる!」
「いまさら猫をかぶるなよ! 似合わないぞレネ!」
「ロルフ、何か言った?」
「言ってません」
「ぼっ僕の秘密ではいけませんか!? 僕も秘密があります!」
「ここでエドガルドが出てくるあたり、エドガルドなんだよね」
レネの少し呆れた声に、笑いが上がる。
みんなのやり取りを見ながら、ロアさまが珍しく大口を開けて笑っている。それを見たエミーリアはなぜか号泣していた。
「らっ、ライナス殿下がっ、こんなにも笑顔を見せるなんて……! わっ、わたくしは嬉しゅうございます!」
エミーリアを抱きしめて背中をなでているうちに、ロルフは秘密を暴露してしまったらしい。どんな秘密か気になったけど、わたしとエミーリアに言うつもりはなさそうだ。
男同士の秘密というやつだ。わたしもエミーリアとしかしない話もあるし、無理に聞き出すのはやめておこう。
そのあとしばらく、みんなロルフに優しかった。
気になったけれど、モーリスに接触する日が決まったので、そういう雰囲気ではなくなってしまった。ちょっと残念。