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「ロアさまたち、そろそろ帰ってくる頃ですね」
「ええ。おふたりが帰って来てからアイスを食べましょう。私たちだけが先に食べたら、エドガルドに怒られてしまいます」
アーサーの軽口に笑ってから、食事の後片付けを終え、アイスを準備する。
ロアさまから連絡があって、おおまかなことは聞いている。バルカ家が協力してくれることや、忍者夫婦がモーリスの研究所に忍び込んでいることや、バルカ家が和解したことなど。
特にロルフの喜びがすごくて、ロアさまと通信を終えたあと、みんなに断ってからひとりで部屋にこもってしまった。たぶん嬉し泣きをしてた。
ご飯を食べにおりてきた時、目が赤かったけど、誰も何も言わなかった。ほっこり空気が漂っていたので、ロルフは少し居心地が悪そうだったけれど、食事が終わるころには普通になっていた。
「馬車の音です。お迎えにいきましょう」
「はい。よく聞こえましたね」
「耳はいいのです」
出迎えに玄関ホールまで行くと、ちょうどふたりが入ってきたところだった。シーロとエミーリアは先についていたようで、嬉しそうに出迎えている。
とっくに日は暮れ、別荘は星に包まれているのに、ここは明るくてあたたかい。
さっと進み出たシーロがロアさまのコートを脱がせ、笑顔で別荘を明るく照らす。
「おかえりなさいませ!」
「ただいま帰った。中で詳細を話そう」
みんなご飯を食べ終えているので、お茶と軽いお菓子を出すことにした。
今日作ったのは、小さな栗の形をしたマロンパイだ。中にはなめらかな栗のクリームと、栗が丸ごと入っている。
みんなの前に飲み物とお菓子をおいて座ると、ロアさまが話し始めた。
「通信の魔道具で簡単に話したが、バルカ家の全面的な協力のもと、モーリスを捕まえることとなった。この別荘を管理している使用人が研究所を調べてくれたが、防犯の魔道具が多数設置してあるそうだ。まだ全て確認したわけではないので、もう一度忍び込んでもらい、最終確認をする予定だ」
モーリスを捕まえる実感がわいてきて、じわじわと緊張がよじ登ってくる。
「それと同時に、オルドラ領にも研究所があるか確認を進めてもらっている。研究所はシーロが見つけたひとつだけだという説が濃厚だ」
一度言葉をきり、ロアさまは防犯の魔道具が作動しているか、もう一度確かめた。
「モーリスを捕まえるまでに、絶対に解除しておかなければならないものがある。自爆装置だ」
自爆装置! 悪の組織でよくあるやつだ!
「モーリス・メグレの魔力が一定時間供給されなければ、研究所を爆破する仕組みだ。解除には時間がかかる。そこでアリスに頼みたいことがある」
「わたしですか!?」
今のところモーリスと接触しているのはわたしだけとはいえ、あまり出来ることはない。
「モーリスにカリーをふるまう約束をしただろう? カリーを振る舞い、時間を稼いでほしい。解除するあいだ、モーリスが研究所に帰らないよう引き留めておく役目だ」
「……どのくらいの時間ですか?」
「2時間だ。最低それだけはほしい」
あのモーリスを相手に2時間。少しでも不審な動きをしたり、変に引き留めたり焦ったりすれば、すぐに帰ってしまうだろう。
「自爆装置を解除し、ほかの防犯の魔道具も無力化する。モーリスを捕らえると同時に王都でダイソンも捕縛する」
「ダイソンが関わっている証拠があったんですか?」
「ああ。ダイソンとの会話が録音されている魔道具だ。厳重に保管されている」
……わたしにできるかな。
不安がじわじわと体を支配していく。でも、カレーはわたし以外作れない。モーリスと接触しているのもわたしだけ。
2時間なら、カレーを作るところから見せればいけるかも。モーリスが知っているカレーと同じか聞きながら作って、カレーを食べて、デザートや食後のお茶を出して、2時間。
「……わかりました。やってみます」
「ありがとう、アリス。街に場所を用意してもらう手はずになっている」
ロアさまはほんの少し、小さく息を吐きだした。
「私はモーリス・メグレを捕まえる。兄上はダイソンを。兄上のほうが功績が大きい。私が兄上に従うところを見せる。それから……」
独り言のように呟いて、ロアさまはいたずらっぽく笑った。
「私と兄上の代では、後継者争いは起こらない。絶対にだ」
よくわからないけれど、ロアさまが嬉しそうなので、わたしも嬉しい。
「モーリスを捕まえる時、研究所以外の場所がいいと意見が一致している。アリスがカリーを作っている時に、自爆装置を解除する。そのまま捕まえることになるだろう」
「……わかりました」
責任重大だ。
本当にどうしようもなくなった時は、カレーをモーリスの頭にぶちまけて足止めしよう。
ロアさまはコーヒーを飲み、やわらかに目を細めた。目の中で、少しだけからかうような光がチカチカとまたたいている。
「私からの話は以上だ。エドガルド、ロルフ、ふたりで話してくるがいい」
「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、後で構いません。今はライナス殿下をお守りする大事な役目があるのですから」
「そうです。話し合わずとも、エドガルドの顔を見ただけで大体わかりますよ」
「もうっ、今晩は余裕があるから、今のうちに話してこいっていうことでしょ! ふたりしてちょっと泣きそうなくせに、何を言ってるのさ」
すかさずレネが力強くフォローし、みんなが頷く。
「私たちはライナス殿下がお帰りになるのに合わせて仮眠をとりました。今夜は私とシーロの出番ですよ」
「そうそう、俺たちはここで待ってたからさ。少しはライナス殿下のそばにいないとな!」
「そういうこと! さ、いってらっしゃい!」
みんなに見送られて、エドガルドとロルフが出ていく。なりゆきを見守っていたエミーリアが、くすくすと笑った。
「みなさま、仲がよろしいのね」
「本当にそうですね」
なかなかに連携がとれている追い出しっぷりだった。
数時間後におりてきたエドガルドとロルフの目は腫れていたが、とても晴れ晴れとした顔だった。
みんな何となく部屋へ帰らずにいたので、ふたりのくちゃくちゃの笑顔が見られて嬉しそうだった。
時折エドガルドが見せていた暗い表情は消え、今までとは違って家族のことを明るく話す。まだ許せないし、すべてを許す日は来ないかもしれないけれど、エドガルドはそれでいいのだと笑った。
年相応の笑顔だった。
「本当によかったですね。もう夜遅いですけど、ケーキをお出ししますね」
「ありがとうございます、アリス。実は、父も祖父も甘いものが好きだったそうです。これで堂々と食べられます」
エドガルドが父親の生い立ちを知った日、一晩中家族で話し合ったと聞いた。
あの時こう感じていた、寂しかった、つらかった……そんな思いをすべて吐き出し、父を鞭で打ち、イアンもためこんでいた気持ちを解放し、グリオンは男泣きしながら謝り……と、なかなか熱い夜だったそうだ。
妻が強かったらしいグリオン、妻に鞭うたれていたイアン、貴族学校で高飛車お嬢様を演じたわたしに頬を染めていたエドガルド……。
バルカ家の男性は……ちょっとMが入っているのかもしれない。深く考えるのはやめよう。