エドガルドの道2
「我が領地でそのようなことが行われているとは知らずにいたことを、どうかお許しください。どのようにお詫び申し上げればいいか……」
変身の魔道具を外し、ライナス殿下から今までのことを聞いた父がまずしたことは謝罪だった。
ダイソンへの怒りで顔を青白くさせながら跪こうとするのを、ライナス殿下が止めた。
「よい。気にするのならば、今後の働きで汚名返上してくれ」
「そのお言葉、しかと胸に」
深々と首を垂れた父は、さっと立ち上がり、本棚の一部にふれた。
父のプライベートな空間である書斎は僕もあまり入ったことはない。壁を埋め尽くすほどの本と、インクと紙の静謐なにおい。
一冊の本を押し込み、そのまま横にスライドさせると、小さな金庫が出てきた。
「イアン、それは……」
「ライナス殿下に見られて困るものなど、我が領地にはひとつもございません」
父の魔力で金庫のドアが開く。数秒のち、父が持ってきたのはバルカ領の地図と、領地に住んでいる住民のリストだった。
住んでいる家の規模や、子供の人数などで税が変わるため、かなり細かく書かれている。
「モーリス・メグレがいたのはここで間違いございませんか?」
「ああ、そこだと聞いている」
父が地図を指さすが、そこには森しかない。家は建っていないことになっていた。
「……バルカ家に隠し立てし、勝手に家を建てて毒の研究をするとは……頭の構造が面白い方ですね」
父の目は笑っていない。口元は笑みを浮かべているのに、殺気すら漂っている。アーサーのギャグに向けられるご令嬢の視線のようだ。
こほん。後ろに控えていた祖父が、小さく咳をする。
「……申し訳ございません。少々取り乱してしまいました」
「構わない。この研究所を包囲してモーリス・メグレを捕縛し、中にあるものをすべて押収したい。協力してくれるだろうか」
「もちろんです。信頼に値する者を選別いたします」
「私たちの中には、研究所に忍び込んで罠などを見抜ける者はいない。バルカ家にはいるだろうか?」
「それならば、グリオンの別荘にいる使用人が最適かと」
ちょうど僕たちがいる別荘のことだ。あの老夫婦ならば、誰にも知られずに忍びこみ、必要な情報を持って帰るだろう。
「では、手配を頼む。何かあれば、この通信の魔道具で連絡してくれ」
「かしこまりました。すぐに手配し、研究所のことがわかり次第ご連絡いたします」
そこで一度言葉が途切れる。ライナス殿下は、気遣うように僕たち家族を見た。
「久しぶりに会うのだ、積もる話もあろう。私のことは気にせず、何かあるのならば話せばよい」
「お心遣いありがとうございます。ですが、今は先に研究所を探る手配をしたいと存じます。どうぞお許しください」
「そうだな。その件はイアンに任せよう」
「この屋敷で一番安全なのは、この書斎です。誰かに盗み聞きされることもございません。どうぞおくつろぎください」
数種の飲み物と酒。それらと軽食をテーブルに出し、すぐに戻ると言って父は出ていった。
「……イアンと少しでも話せたらと思ったのだが、余計な気遣いだったな」
「そんなことはありません。久しぶりに息子の顔を見ることができました」
「そうです。バルカ家の問題なのに、ライナス殿下お気遣いいただき、感謝しています」
3人でソファに座り、ライナス殿下にコーヒーをお出しする。僕はブラックコーヒーは苦手だけれど、ここでジュースを選ぶわけにもいかない。
ちみ……ちみ……とコーヒーを飲んでいると、すぐに父が帰ってきた。
「手配いたしました。今すぐに出発するそうなので、明日には連絡がくるでしょう」
「感謝する、イアン。一緒に座って、少し語らおう」
ライナス殿下がひとり上座に座り、祖父と僕が向かい合って座っている。どこに座るのかと思っていたら、父は僕の横に座った。
自分で紅茶をカップにそそいだ父は、ゆっくりと口をつけた。
「愚息は、役に立っているでしょうか」
「もちろんだ。エドガルドがいなければここまで来られなかった」
「どうぞ存分にお使いください。王弟殿下に選ばれた時は、さすがだと感心したものです」
頭の中で熱いものが煮えたぎる。
祖父は王弟殿下に仕えていた。だから、最初からライナス殿下につくよう言われていた。だけど、僕は!
「僕は、ライナス殿下を尊敬している! この方に仕えたいと心から思って、お仕えしているんだ! そんな理由じゃない!」
「エドガルド。王弟殿下の前で言葉がすぎるぞ」
「っも、申し訳ございません……」
「よい、私は気にせず話してほしい。これから大事な時だが……大事だからこそ、話し合える時にそうしてほしいと思う。だがこれは私の勝手な願いだから、気にせずともよい」
ライナス殿下が少しばかり悲しそうに微笑むものだから、なんだか胸が痛くなる。
この方は、話を聞いてほしいときに聞いてもらい、話し合いたいときに話し合う、ささやかな願いは叶えられたことはあるのだろうか。
重苦しい沈黙が場を支配する。
うつむく僕の横で、父が珍しく落ち着きのない行動をした。視線が一か所に停止したかと思えば、左右に激しく揺れ、わずかに冷や汗をかいているように見える。
たっぷり数分たったあと、指の色が変わるほど強く握りしめていた手をほどき、父は震える声で言った。
「……エドガルド。今まで……すまなかった」
「え?」
こちらに体を向けている父は、うつむいている。
……いや、これは……頭を下げている……?
「っ、ライナス殿下! おさがりください! この男はイアン・バルカではありません! 変身の魔道具をつけています!」
「えっ?」
「父をどこへやった! 言わねば首を斬り落とす!」
剣を抜いて首に当てる。
剣先で、変身の魔道具がぶらさがっているであろうチェーンを探すが、見つからない。
「私はイアン・バルカだ! 変身の魔道具など使っていない!」
「そう主張するのならば服を脱いでみよ!」
脱いだ。
変身の魔道具はなかった。
「……服を着るぞ」
「……申し訳ございません、父様……」
部屋に気まずさが漂う。僕の人生で、きっとこれ以上気まずくなることはない。
半裸の父と、ライナス殿下と、祖父と僕。父が服を着る、わずかな衣擦れの音だけが響く。
普通、こういう体験をするのって、女性を相手にした時じゃないか?
妻と初めての夜、お互いの服が床に落ちていき……とか、そういうやつでは? どうして僕は父の半裸を前に、衣擦れの音を聞いているんだ? 誰のせいだ?
……僕のせいか……。