ヤンデレ×2
ついにバルカ家へ行く前日、グリオンが別荘までやってきた。おばあさんの命日に行くので、それに合わせた服や小物などを持ってきてくれたのだ。
ロアさまとグリオン、エミーリアだけが座っている空間は、緊張感が漂っている。わたしも座るようにすすめられたけれど、立っているほうが楽なので、日本的に遠まわしに断らせてもらった。
グリオンは猫舌のようで、紅茶のカップを持ったままだいぶ待ってから、カップに口をつけた。
「明日は私もバルカ家へ行きますが、別々に行ったほうがよろしいでしょうな」
ロルフがいない間、バルカ家はダイソンとのつながりはないと報告がきた。今までのわたしなら素直に喜べたけど、アーサーの話を聞いた今では、心から信じることは危険だと知っている。
「明日ならばたくさんの人にまぎれてイアンに接触できる。何かあれば私が駆け付けますので、ご安心を。エドガルドを十分にお使いください」
「エドガルドにはいつも苦労をかけているが、こんな私でもついてきてくれている。私の命をエドガルドに預けることに、なんの心配もない」
「ありがたきお言葉です」
一瞬、孫大好きなおじいちゃんの顔をしたグリオンは、すぐに真面目な顔をした。鋭い眼光から威圧が放たれているようで、背筋がピンと伸びる。
「ライナス殿下は、ダイソンの目的をご存じですか?」
「いや。まだ証拠を得ていない」
「あのダイソンです。前国王を害するならまだしも、なぜコレーシュ陛下を毒殺しようとしているのか……仮説でもいいのでお教え願いたい」
「……前国王を弑することが目的ではないかと、考えている。父は、兄上しか出入口を知らない離宮にこもっておられる。解毒を条件に兄上を脅し、母上を死なせたとして父を弑する……逆恨みだ」
グリオンはゆっくりとあごをなで、しばらく考えていた。
「……ダイソンが娘に執着していたことは、ご存じですな?」
「いや。私の前では、異常な素振りは見せなかった。ただ、ダイソンは母上を溺愛していたと聞いている」
「溺愛……よく言えば、そうなのかもしれませんな」
グリオンは笑った。どこか皮肉めいた、陰のある笑いだ。
「あれは愛情と呼んでいいのかわからないものです。この世の愛に関する感情をすべて煮詰めて、自分の娘に受け止めさせ、娘のすべてを知ることが当然だと思っている。……毛髪の数さえ把握しているのではないかと、思うこともありました。ダイソンは娘以外にはいっさい興味がない……そして、表面上はそれをうまく隠している」
「……そこまでなのか」
ロアさまは息を呑んだ。
もしダイソンがその通りの人間ならば、気付いている人は、ロアさまが事実を知らないようにする気持ちもわかる気がした。
自分のおじいちゃんがそんな人だったなんて、知ったら絶対にショックを受ける。
……いや、待てよ? そういえば、前国王も同じようなことをしてなかった?
えっ、えええぇ……。マリーアンジュ様って、同じような人にすごく好かれてたってこと!?
ロアさまの家族、言葉は悪いけど変わった人が多いな!?
ロアさまがショックを受けてないといいけど……。父と祖父がヤンデレで、自分の母にストーカー行為をしてたなんて、一生知りたくない事実だよ……。
「私以外は、おそらくそこまで感じておりません。ダイソンに関して、不穏な噂はあれど、それを証明するものはない。マリーアンジュ様がエヴァット公爵の養女となられてから、ダイソンの屋敷に勤めていた使用人は全員解雇されております。その後、行方がわかりません。妻は療養と称して僻地におります」
「……ダイソンが、それを?」
「不明です。そのような薄暗い噂がありながら、マリーアンジュ様はほがらかだった。そのような愛情もどきをぶつけられたら、普通は歪むものでしょう? マリーアンジュ様には、それが一切ございませんでした。大切に、愛されて育った、貴族の娘でした」
なんとなく、わかる気がする。
街で出回っている肖像画でしかロアさまのお母様を見たことがないけれど、ふんわりした雰囲気のお嬢様だった。
誰かが自分に敵意を持つなんて思わない。愛情をたっぷりもらって育った印象を持つ、愛らしいお方だった。
「マリーアンジュ様は、ダイソンは少しばかり感情表現が苦手なのだとかばい、親子仲がいいところを見せた。ダイソンも人前では、普通の距離間でいたので、気付いた者はいるかどうか……」
なるほど、ダイソンは娘……ロアさまのお母さんにすっごく執着していたけど、それをうまく隠していたんだ。
よくない噂はあるけれど、皇后であるロアさまのお母さんがかばって、本人たちは噂を否定して、話してみても普通の人間に見えるってことだよね。
「実際、ダイソンに嫉妬している人が流した嘘だと、もっぱらの噂でした。……それでも、ダイソンに何か思う人も多かったのでしょうな。ダイソンと親しい人がいると聞いたことはございません」
「祖父は……そんな人だったのか」
「すべて、私の勘です。人より勘が優れていると自負しておりますが、理由は説明できず、感覚的なものですので、信じずとも構いません」
「いや……信じる。その勘で、戦争になる前に敵をつぶしたのだ」
グリオンは黙ったまま、ダイソンとマリーアンジュの肖像画を出した。マリーアンジュは豪華なソファに座り、ダイソンは隣に立っている。よくある家族の肖像画だった。
意外なことに、わたしはここで初めてダイソンの顔を見た。
学校にはダイソンの似顔絵なんてなかったし、取り寄せることもできなかった。
ダイソンは中肉中背で、少しばかり鷲鼻の、貴族の中では目立たない顔立ちの男だった。グリオンの話を聞いたのに、そんな男には見えない。
「つまり……ダイソンの目的は、最初から母上か」
「おそらく。離宮が目的でしょう」
「ああ……それで入口を知っている兄上を狙って……。兄上はきっと、離宮の入口を教えなかったのだ。邪魔になった兄上を殺し、私を玉座につかせ、自分は離宮を手に入れると……そういうことなのか……」
うなだれたロアさまに、誰も声をかけられない。
「……なめられたものだな」
うつむいた顔から聞こえたのは、低く怒りをはらんだ声だった。
「私ならば傀儡にできる、離宮に行かせてもらえるだと? そんなこと、許すわけがない」
顔を上げたロアさまの瞳が、怒りに燃えている。
「兄上を狙ったことを、私が許すわけがない。兄上を殺されてなお、私がダイソンを受け入れ、望みを叶えるとでも!? あれだけ私に接しておきながら、それすらわからないのか! どのような事情があれど、私情で陛下を毒殺するなど言語道断!」
ドンッ、と机が叩かれる。普段はそんなことを絶対にしないロアさまなのに。どれほどの怒りか、伝わってくるようだ。
「……礼を言う。私がここに来なければ言えなかったことだろう」
「遅くなって申し訳ございません。ライナス殿下にのみお伝えする方法を見つけられず……」
黙って首をふったロアさまは、グリオンの手に手を重ねた。
「目的が離宮かもしれないと念頭に置いておく。まだ断定はできないが……」
「それでいいのです。私の話も鵜吞みにせず、そうかもしれないくらいの心持ちでいてくだされ」
グリオンは立ち上がり、みんなに出ていくようジェスチャーした。
ロアさまは気丈にふるまっているけれど、やっぱり表情が陰っている。最後にそろっと出ようとしたところで、腕を掴まれた。
「ロアさま……」
「……コーヒーを入れてくれないか?」
「はい。少し待っていてくださいね」
ドアが閉まる。ふたりきりの空間に、コーヒーの香りが漂った。
「どうぞ、熱いので気をつけてくださいね」
「横に座ってほしい」
黙って横に座ると、ロアさまは大きくて長いため息をついた。ロアさまのため息を、それもこんなに隠そうともしないやつを聞くのは初めてだ。
「……父は母への執着を隠そうとしなかった。そればかり気にしていて、ダイソンの隠した執着に気付けなかった」
マリーアンジュ様への執着を隠さず、おそらくそれで周囲の男をけん制した前国王。
マリーアンジュ様への執着を隠し、使用人まで解雇して、自分の気持ちを隠そうとしたダイソン。
「それでも、マリーアンジュ様は幸せだったんですね」
「……私には、理解しがたい……」
「わたしもですが……まあ、人の幸せはそれぞれですから」
はたから見ればわたしだって変わっている。貴族令嬢なのに、結婚せず自分の店を持って働きたいから。
「そう、だな……。すまない。父と祖父があまりに……あまりにだったので、混乱してしまった」
「そうですよね。あまりに……ちょっとあんまりですよね」
ストレートに言うのもどうかと思って代わりの言葉を探したけれど、いい言葉が思いつかず、ふわふわなまま会話をする。
マリーアンジュ様にすごく執着したのを隠さないのも隠し通すのも、どっちも同じくらいアレな気がする。そして、それを受け止めて心底幸せだと思っていたマリーアンジュ様も。
「……すこし、落ち着いた。アリスを引き止めてしまったな」
「いいえ、わたしでよければ」
「シーロやアーサー、エミーリアは……私のことを、私以上に受け止めてしまうから……こんな姿は見せられない」
下を向いてしまっているロアさまの気持ちは、ロアさまにしかわからない。
祖父に愛されていないどころか、こんなに大好きな兄を殺害されても許すと思われているほど自分に関心がなかったこととか。離宮に行くためだけに陛下を殺害しようとしているとか。祖父が父と同じ種類のヤンデレだったとか。
一度にとても受け入れられないことを、ロアさまは取り乱しもせず、静かに飲み下した。
どうしようもない気持ちになって、静かにうなだれるロアさまを抱きしめた。そのまま頭をなでる。
「ここにいるみんな、ロアさまのことが大好きですから。……少なくともみんなは、陛下を害することをロアさまが許すと思っていないことは、わかっています。わたしにできることは少ないですけど、それでも……」
「……ありがとう」
ぎゅうっと、痛いほどロアさまに抱きしめられた。この痛みがロアさまの心の傷のようで、それをわけてくれたような気がして、強く抱きしめ返した。