そういうことです
別荘のすぐ隣にある小さな湖は、澄んでいてきれいだった。緑と青が混じった湖は、光で色を変える。
夜に月が浮かんだ湖を見るのも好きだけど、こうして明るいうちに眺めるのも気持ちがいい。
ロアさまと並んで、湖のほとりを歩く。ロアさまは背が高くてがっしりしていて、歩く時の姿勢もきれいだ。
変装で茶色くしている髪が光を反射して、きらきら輝いていた。第四騎士団にいたころの色に似ている。
……ロアさま、鼻が高いな。なにを食べたらそんなに彫りが深い顔になるの? やっぱり肉? 朝からお肉を食べるのが秘訣なのか?
ロアさまは水切りによさそうな石を見つけ、脚でこつんと蹴り上げた。まっすぐ上がった石をキャッチし、ロアさまは照れくさそうに微笑む。
「一度、こうしてみたかったんだ」
「あー、なぜかかっこいいですよね」
うんうんと頷く。
地面にあるものを脚で蹴り上げ、見事にキャッチ! ついでにキメ台詞もあれば完璧だ。
「ロアさまが水切りをするのなら、わたしもしようかな。貴族令嬢って、なかなか石を投げる機会がなくって」
「ははっ、そうだな。実は私も、以前アリスとしてから、していないんだ」
「貴族って、あまり石を投げないですよね」
いざとなれば護衛がいるからかな?
少し離れたロアさまは、拾った石を投げた。4回跳ねて湖に沈んでしまうと、途端に静かになる。
街から離れて人もいないここは、木々の葉擦れや、風の音しか聞こえない。ロアさまと初めて水切りをしたところに似ている。
湖はあの時より小さいけれど、森の香りとか、聞こえる音とか、そういうの。
「アリス、座ってくれ」
木陰の、青々とした草がはえて綺麗なところに、ロアさまはハンカチを敷いてくれた。大きくて厚みがあって、複雑な色合いに染めてあるきれいなものだ。
手をふく用じゃない。このために持ってきてくれたことがわかって、ためらいつつも頷いた。
「ありがとうございます」
「ハンカチで地面に座らせてしまって、すまない。椅子でもあればよかったんだが」
「十分ですよ」
本当に、これでじゅうぶんだ。
王弟殿下がわたしのお尻を汚さないためにハンカチを持ってきてくれたなんて、よく考えればすごいことだ。
「前にロアさまと息抜きをしたときに、ソファとかテーブルを用意してくれましたよね。でも、こっちのほうがいいです。だから、気にしないでください」
「アリスはそう言うと思った」
あまりにやわらかに眩しく微笑むものだから、思わず顔を背けてしまう。第四騎士団でも学校でも、美男美女ばっかりだったから慣れたかと思っていたけど、気のせいだった。
至近距離で、わたしのためだけの微笑みビームの破壊力がすごい。
というか、本当に近いな??
座ったわたしのすぐ横、地面に置いた手と手がふれあいそうなほど近い。ロアさまの気配を濃密に感じる。体から発する熱すら伝わってくる距離だ。
「今日が、ダイソンを捕まえる前にゆっくりできる、最後の日かもしれないと思った。だから、アリスに伝えておきたいんだ」
「は、はい」
なんだ、何を言われるんだ。
学校でロルフが言っていた、断り切れない縁談がきたとか、そういうことかもしれない。それをロアさまから言われるのは、つらい。考えるだけできつい。
「思えば、大事なことは第四騎士団でアリスに教えてもらっていた。だから、礼を述べるべきだと思ったのだ」
「……そ、そうですか?」
よかった、違った! 結婚の話じゃなかった!
「諦めかけていたのに、もう一度自分を奮い立たせることができた。ダイソンを捕まえると決意し、自分の幸せを考えるようになり、得難い側近が増え、息抜きも覚えた。ジョークだって言える」
「モングモッシュですね」
「それだけじゃない。最近、アーサーにジョークを教えてもらっている」
……それは、アーサーに教えてもらっていいものなのか?
ロアさまがジョークを言うところは見たいけど、とっても見たいけど、ロアさまが大事な話をしている今、聞くことはできない。
「みなやアリスのおかげで、学校でダイソンを追いつめる大事な情報を得ることができた。慎重だったダイソンは、焦ってボロを出しているようだ」
「あと一歩ですね」
「そうだ。……そして、アリスに言われて気が付いた。私に次の婚約者ができれば、もうアリスとふたりきりで会うことは許されないだろうと」
……ロアさまの言うことは何も間違っていない。婚約していない男女がふたりきりになっている今の状況のほうがおかしいのだ。
結婚前に恋愛をしたりデートするのはよくあるけれど、絶対に使用人がいる。そして何より、ロアさまは王族だ。こういう誤解を招く行動は許されないはずだ。
「手に、ふれても?」
「いっ、いいです、けど、その……手が荒れていて……」
もちろん前世に比べれば、各段にきれいだ。
だけど、よく手入れしている令嬢より日に焼けて、爪だって綺麗に整えてないし、なんなら令息のほうが綺麗なレベルだ。
「私の手を見てくれ。手入れをしていないから荒れてかたくて、とても王族の手とは思えない。この手は嫌いだろうか?」
「いいえ。好きです」
ぽろっと出た本心に、ロアさまは目を丸くして、みるみるうちに顔を真っ赤にしてしまった。
こんな顔をするロアさまは初めてだ。思わずまじまじと見ていると、ロアさまは手で顔を隠してしまった。
「み、見ないでくれ」
「かっ、可愛い……!」
「……アリスはたまにそう言うが、男は格好いいと言われたほうが嬉しいんだ」
「でも、可愛いですから」
真っ赤になった顔で、じっとり睨んでくるロアさまは新鮮だ。
少しばかりむくれたロアさまは、わたしの手を取った。大きな手にわたしの手を重ね、うやうやしく持ち上げる。
「アリスのほうが、可愛い。ずっとそう思っていた」
今度はわたしが赤くなる番だった。
どう反応すればいいかわからず、ときおり言葉にならない声を出しながら、うろたえることしかできない。
「いつの間にか、私の心の中心にアリスがいた。ネガティブになる時、くじけそうになる時、嬉しい時……いつでも、アリスは私に微笑んでくれる」
「お、お役に立ててよかったです……?」
「アリスがいれば、私はどんな暗闇にでも立ち向かっていける。前向きになれる。アリスさえいれば……私は」
綺麗ではない手が、宝物のように扱われる。
さっきまで赤くなっていたロアさまは、いつの間にか射抜くような眼差しでわたしを見つめていた。
心臓がうるさい。ロアさまに刺されてしまって、もう抜けない。なにが刺さったのか、それすらわからない。
もう、わたしの心はきっと、ロアさまのものなのだ。
「ダイソンを捕まえて兄上の無事を確認できたら、アリスの偽りのない気持ちを教えてほしい」
誓いのように、手の甲にくちびるがふれる。やわらかくて、やけに熱くて、神経がそこに集中してしまったような口づけ。
顔を上げたロアさまは凛々しかった。風が吹いて髪を揺らすその光景がきれいで、かけがえのないものに思えて、勝手にロアさまが目に焼き付いていく。
「……そういうことだ」
「そういうことですね」
そのあとはお互い、手をつないだまま座って湖を眺めた。言葉は少なかったが、それが心地よかった。
お昼になり、別荘へ帰ったあと、わたしはエミーリアと過ごした。わたしのご飯をおいしそうに食べるシーロを見て、何か作ってあげたくなったらしい。
一緒に何を作るか考えて、ショートケーキを作ることにした。エミーリアが下ごしらえくんに感動するので、思わずドヤ顔をしてしまった。下ごしらえくんはすごいのだ!
できあがったケーキは、みんなでおやつにいただいた。もちろん、エミーリアが作ったものはシーロ専用だ。
今日はいいリフレッシュになったと、心地よい疲労感でベッドにもぐりこみ、暗闇の中でカッと目を開いた。
「そういうことって、どういうこと!?」
「きゃあっ、なに?」
「すみませんエミーリア様!」
あとでこの日のことを聞いてみたら、ロアさまも同じようにベッドでごろごろ転がっていたらしい。
「そういうことって、どういうことだ……! 緊張していたとはいえ、私はなぜあんなことを言ったんだ!? ああああアリスに告白しなおしたい……!」