月に誓って
その夜、シーロはひょっこりと戻ってきた。なんというか、絶対に帰ってくる安心感がある。
無事を喜ぶわたし達に笑顔で頷くと、真剣な顔をしてさっとロアさまの前に跪いた。
「ただいま帰りました。モーリス・メグレの研究所を突き止めてまいりました」
「まずは無事を喜ぼう。ご苦労だった。よくやったな」
「もったいないお言葉です」
ロアさまがシーロの両肩に手を置いて、労わるように何度か優しく叩く。シーロがいつもの元気な笑みを見せてくれて、空気が軽くなった。
テーブルに地図を広げて、シーロは一点を指さした。
「ここに研究所があります。あまり大きくなく、外から見るとただの家です」
「……地下か?」
「おそらく。家にたくさんの薬草があっても、いくらでも言い訳できます。窓もあり、きちんとカーテンを開けていた。普通の家を装い、地下で薬を作っているのでしょう」
家があるのは、森の中だった。街からは少し遠く、森の近くには農家などが点在している。
「この家の所有者がダイソンに協力しているかもしれません。違う方向からダイソンを責められる」
「シーロの言う通りだ。それらの書類を保管してあるのは、もちろん……」
「……はい。バルカ家です」
税の徴収は領主の仕事だ。エドガルドの父であるイアンは、ダイソンに協力はしていないと信じているけれど、今が最善の状況だと信じて計画をたてることはできない。
「モーリスはまっすぐ家へと帰りました。ノルチェフ嬢のことを探っている様子はありませんでした。私とレネの存在は、知っていると考えていいでしょう」
「わかった。ありがとう、シーロ。みな。少し休んでいてくれ」
ロアさまが部屋を出ていき、エドガルドも難しい顔をしてそれに続く。
エミーリアはずっと気丈にふるまって、ロアさまと今後のことについて話し合っていた。シーロだって、帰ってきてから一度もエミーリアのほうを見ていない。
ふたりがどう過ごすかは本人たちの自由だけど、少し気を利かせるくらいはいいだろう。
そっと部屋を出て、少し考えてから外に出てみることにした。
「わあ……綺麗な星空」
濃紺を溶かした空に、星と月が輝いている。
青は王家の色だから、ほとんどの人は空で青を知る。青い服も宝石も、一生見ることはないのだ。
わたしだって、一年に一度、建国祭で遠くから見るだけの色だったのに。ロアさまからもらった青い花を毎晩眺めていたので、変に見慣れてしまった。学校で使っていた部屋にも青色があったので、ピンクより慣れ親しんでいる気がする。
夜特有の、澄んだ冷たい空気を吸い込むと、肩に何かかけられた。
「夜は冷えますよ。これをどうぞ」
「アーサー様……」
肩にかけられたのは、あたたかいショールだった。
「ありがとうございます」
「アリスにショールを渡すことを言い訳に、私も部屋を出ることができました。こちらこそ礼を言わねばなりません」
アーサーがお茶目に笑うので、つられて微笑んだ。
なんとなく、並んで空を見上げる。雲がないので、星がよく見えた。アーサーが腕を上げ、月を指さす。
「この国のどこにいても、月のほうへ進むと、王都にたどり着くのを知っていますか?」
「いえ、知りませんでした」
「だから王都はあの場所にあると言われています。月が示す土地を選んだのか、王都ができたから月が道を示すのか、どちらが先かもうわからないけれど……。何しろ、建国の時から王都は変わっていませんからね」
「月は動かないんですか?」
「動きます。でも、月に近付こうとすると、王都に着くんです」
月を目指せば王都に着くのは不思議だけどロマンチックだ。
「プロポーズする時は、月という言葉を使うのが定番です」
「へえ、そうなんですね」
「私のアリスへの愛は、あの月のように変わりません」
不意に真面目な声をしてそんなことを言うものだから、驚いてアーサーを見上げてしまった。
声は真剣だったくせに、アーサーの顔はいたずらっ子のように輝いて、口元はこらえきれない笑みを浮かべている。
「ふふっ、アリスがあまりに興味がない返事をするので、少しからかってしまいました」
「アーサー様って意外とやんちゃですよね」
「意外ですか?」
「……思い返してみると、そうでもないですね」
いきなりキッチンメイドの寮にやってきて、自分の秘密だと言ってダジャレを披露したからね。王子様みたいな顔だけど、中身はアグレッシブだ。
その時のロルフは、いきなりやってきたアーサーと同じことをしてたって気付いて落ち込んでいたっけ。
「……ロルフ様は、無事でしょうか……」
「おや、私がいるのに、ほかの男の名前を出すとは妬けますね」
わざとらしく肩をすくめたアーサーは、おだやかでいて芯のある瞳をしていた。
「ロルフなら大丈夫ですよ。オルドラ家の協力を取りつけ、無事に新王派だと証明してくれます」
「オルドラ家は、ダイソンに与していないとわかったと言っていませんでしたか?」
「ええ。ですが、それは絶対とは言えないのです。それを証明するには、こんな短期間ではとても足りません。よからぬ企みをする家には、独特の空気が漂っていると聞きます。それがわかる者を忍び込ませ、調べ、おそらくダイソンと繋がっていないと判断し……そして、最終的な判断はライナス殿下に任されています」
「えっ」
「私も、勘が鋭いシーロも、オルドラ伯爵家が王位簒奪を企んでいるとは思っていません。ですが、ここでロルフを行かせるのは最善ではありません。万が一のことを考えると、情で丸め込まれてしまうかもしれないロルフは適任じゃない」
わりとロアさまのことを非難しているのに、アーサーの声は柔らかかった。
「ライナス殿下は甘い。あと一歩、非情になりきれない。ですが、それをわかっていて私はあの方に命を捧げているのです。甘さを捨てきれず、痛みを抱えたまま希望を探そうともがく、あの方に」
アーサーの目には確かな光が宿っていて、ゆるぎない視線で月を見つめていた。
「ご安心ください。オルドラ家に少しでも怪しいところがあれば、私たちは全力で止めましたよ。陛下も、オルドラ伯爵家は新王派だと判断しました。すべてが丸くおさまることはないですが、だからといって、それを望んで努力してはいけないということはないのですから」
「そうですよね。みんな、できるだけ望む未来に近づけるよう頑張っている……」
もちろん、ダイソンも。
「そういえば、ダイソンは随分と慎重だと聞きました。それなのに、毒を作っているモーリスは目立っていますよね。普通、こそこそとするものじゃないですか?」
「やはり、そこが気になりますよね。調べたところ、モーリスは前皇后が崩御されてから随分と荒れて、狂う寸前までいったとか。それで長年メグレ家で軟禁されていました。そこから勘当され、貴族籍から抹消されたのが3年前です。そこで王族の専属料理人が変わっています。モーリスが姿を消して行方をくらませ、目撃情報が出たのがここ一年ほどです」
前皇后が崩御されたのが12年前だから、かなり長いこと軟禁されていたようだ。
「どうして勘当されたかは?」
「調べている最中ですが、あまりに手がかりが少ないのです。使用人はほとんど変わっていて、残るのはメグレ家に忠誠を誓う者のみ。モーリスの過去よりも、専属料理人を探るほうが優先されるのです」
「そうですよね。その人が毒を盛っている可能性が高いんですし」
「モーリスが外出を始めた理由も、今レネが探ってくれていますよ。大丈夫、きっとうまくいきます」
アーサーが気休めというか希望というか、こういうことを口にするのは珍しい。いつも事実を述べて、わたしたちが前進している理由をはっきり言いきってくれて、それが安心に繋がっていた。
「奇遇ですね。実はわたしも、うまくいくと思っていたんです」
にやっと笑ってみせる。こういう時、可愛らしく笑えたらよかったんだろうけど、今のわたしは悪だくみをしているような顔をしているだろう。
ちょっと驚いているアーサーに向かって、拳を握って突き出す。
「これは何でしょう?」
「拳をぶつけ合うんですよ」
「こう……ですか?」
「もっと強くです」
触れ合っていただけの拳が、ゴツンと音を立ててぶつかる。ちょっと痛いけど、顔には出さず笑ってみせた。
「あと少し頑張りましょう!」
「ええ……はい。本当に、あと少しですね」
呆気に取られていたアーサーは、すぐに普段通りの顔に戻って、微笑みを浮かべた。第四騎士団で見ていた作り物ではない、素顔の笑み。
「……こういう関係が、一番いいんでしょうかねえ……」
つぶやくアーサーの目は、月を追っている。今日のアーサーは、ちょっとセンチメンタルなのかもしれない。






