あなただけの宝石箱に
ひとりで乗る馬車はいつもより広くて、別荘までの道が長く感じられる。
……そういえば、シーロもレネも、いつもわたしを守るように座っていてくれた。ふたりの無事を祈りつつ、ぎゅうっと手を組み合わせる。
「……レネ様、どうしたんだろう……」
まさか、とは思う。さすがに自惚れすぎでは? とも。
だけど学校でエドガルドとロルフに告白され、周囲に思ったよりも女性として見られているんだと知った。わたしがそういう対象になることはないと思っていたのに。
レネの気持ちはわからない。わたしが勝手に決めちゃいけないと思う。
「……レネ様は、言わないことを選択した……と、思う……」
たぶん。おそらく。
自信がないので尻すぼみになっていくが、大きく間違ってはいないと思う。
レネはわたしの耳をふさいで、何かを吐き出した。わたしに聞かれたくないことだ。
はっきりしたレネのことだから、わたしに言うべきことがあるのなら、しっかり言ってくれる。あの時なにを言ったのか……聞かないほうが、いいんだろうな。
「顔が赤い……」
これがモーリスだったり、知らない人だったら不快でしかないけど、相手はレネだ。
相談したら真剣に一緒に考えてくれる、お互いに裏切らないと確信できる人間。
……誰にも言わないでおこう。わたしとレネの、ふたりきりの秘密だ。
顔の火照りがようやく冷めるころ、別荘に着いた。おりると御者台にはもう誰もいなかったので、いたのが老夫婦のどちらかわからなかった。
別荘へ入ると、エドガルドが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、アリス。馬車の音が聞こえたので……何があったのですか?」
「みなさんを呼んでください。モーリス・メグレと接触しました」
「っ! わかりました、ダイニングでお待ちください!」
エドガルドが走っていき、すぐに見えなくなる。
育ちのいいエドガルドが室内で走るくらいだから、やっぱりよほどのことなんだ。
メモがあるかもう一度確認し、ダイニングでそわそわと待つ。座ってはいられなかった。
「アリス! モーリスのことは本当か!?」
「ロアさま! はい、こちらシーロとレネからのメモです。読んだあとに説明します」
ロアさまに続いて入ってきたアーサーの顔も険しい。帯剣していて、周囲を警戒している。
ロアさまが食い入るようにメモを読むあいだ、エミーリアもリビングへ入ってきた。きゅっと結んだ唇に、青ざめた顔。
わたししか帰っていないから、みんな最悪の事態を想定しているのかもしれない。シーロはモーリスを追いかけて行ってしまったから、無事だとは言えなかった。
「アーサー、エドガルド、これを。エミーリアも読んでおいてくれ」
メモを渡されたアーサーとエドガルドが、急いで読み始める。ロアさまは大股で歩いてきて、わたしの目の前に立った。
「……怪我は、ないようだな」
「はい。……勝手なことをして、すみません」
「……無事で、よかった」
その一言に、すべてが詰まっている気がした。
大好きな兄のために、陛下毒殺をふせごうと一生懸命頑張っているロアさまは、わたしの命よりも優先しなきゃいけないことがたくさんあるに違いない。
でも、ロアさまの性格的に、危険をおかして情報を持ち帰ったことを、手放しで喜べないんだろう。
「ずっと、ロアさまのために何かしたかったんです。だから、よかった。……怖かったけど、何かあったらレネ様とワンコ様が絶対に助けてくれると知っていたから、大丈夫でした」
「アリス……」
ロアさまは手を上げかけ、そっと下ろした。
「はじめから、あったことを話してくれないか?」
全員がメモを読み終えたのを確認して頷いた。気丈なエミーリアも青ざめているので、みんなで椅子に座って、市場についたところから話していく。
4人は驚き、無謀なことをしたわたしを叱ったりしたが、最後には無事を喜んでくれた。レネとシーロが一緒にいて、助けに入るほどじゃないと判断したことが大きかったようだ。
「シーロひとりしかモーリスを追えなかったのが気がかりだが……この状況では仕方がないか」
どうやら、シーロはモーリスの一人用の馬車の下にしがみついているらしい。それを知ったエミーリアは、血が出そうなほど唇を噛みしめていた。
馬車が相手なら、走っても引き離されるし、見失っちゃうよね。そうだよね。馬に乗ったら、追っているのがすぐにバレそうだし。
でも、馬車にしがみついてもバレるんじゃないかな!?
「今までの情報から、モーリスはおそらく人がいない森の奥などで研究していると思われる。そうなれば、馬でも徒歩でも、足跡で尾行に気付かれる可能性がある。だから馬車にしがみついたのだとは思うが……」
「確かに、それくらいは毎日チェックしているでしょう。侵入者用の罠をしかけている可能性もあります」
侵入者を察知するものや、研究所に近づかせないようにする罠を研究所の周囲に張り巡らせているのでは、というのがアーサーの考えだ。
「……シーロは、昔からなにを考えているか、よくわからない時がある。だが、そういう時に失敗したことはない。シーロは無事だ。それまで、できることをしよう」
ロアさまの言葉で、いったんお開きとなった。
さすがに少し疲れて喉が渇いたので、お茶をいれるために断りを入れてから席を立つ。
キッチンには、朝にはなかった新品のトングやボウル、鍋などが並べてあった。一緒に、小さな花束も。
「……これ、使っていいってこと……?」
きっと、忍者夫婦からのプレゼントだ。
全部新品でぴかぴかで、綺麗に並べてあるのが嬉しい。きっと、手紙への返事だ。
……こういうのは、心にしみる。特に、怖いことがあった後だと。
「アリス? どうしたのですか?」
「エドガルド様……使用人の方が、わたしがキッチンを自由に使っていいと、プレゼントをくれました。嬉しい……!」
「……アリスは、そう考えるのですね」
「もしかして、わたしの勘違いですか!?」
これをやるから、キッチンは使わずに外でキャンプファイヤーをしろってこと!?
だとしたら、かなり恥ずかしい勘違いなんですけど!
「いいえ、そうではなく。キッチンを使いたいのならば、断りもなく好きに使い、使用人に後始末をさせるのが普通なのに……。使用人が平民ではないように接するのだなと」
「そうですか? ただ、よくしてくれる人に誠意をもって接しているだけです。見習いたいことも、たくさんありますから」
忍者になるにはどうしたらいいのか、とか。建国祭でたくさんご飯を食べても周囲に溶け込めるコツがあれば聞いてみたい。
「……きっと使用人も喜ぶでしょう。アリスのおかげで、少し平常心が取り戻せました。レネとシーロのふたりなら、きっとうまくやります」
「そう思います」
紅茶と、ロアさまとアーサー用にコーヒーを用意して戻ると、ロアさまとエミーリアが真剣に話し合っている最中だった。
それぞれの前にカップを置き、屋台の人にもらった食べ物も置いておく。串焼きだったりパンだったり揚げ菓子だったり統一感はないけど、どれもおいしそうだ。
「わたしがモーリスと別れたあと、心配して見ていてくれた人たちがくれたんです。フライパンでモーリスを殴ろうとしているおばちゃんまでいたんですよ。バルカ領の方は、本当に優しくて助け合って生きているんですね」
「少し寒いところですからね。冬は、何家族かがひとつの家に集まって過ごすこともあるんです」
「私も、一度は市場に行ってみたいものです。どうしてこんなに目立つんでしょう」
残念そうにするアーサーは、いつものようにきらめいている。
「民がアリスを気にかけ、何かあれば助けに入ると思ったからシーロとレネは助けに入らなかったのだな」
「わたくしだったら、モーリスに殺意を抑えられないでしょうに……アリスはよく耐えましたわ」
「驚きすぎて、それどころじゃなかったんです。モーリスには感情が切り替わるスイッチがあるように感じられて……なにがきっかけで感情が切り替わるかわからないし、不審に思われたら情報が手に入らないし……。みんな、ずっとこういうことをしていたんですね。すごいです」
砂糖がかかった小さな丸いドーナツを食べると、中からカスタードクリームが出てきた。カロリーがすごそうだけど、疲れた今は、体がこの甘さを欲している。
ふとモーリスの似顔絵を描こうかと思ったけれど、やめておいた。わたしの似顔絵はなかなかに前衛的なのだ。