チヂミのできあがり
一階へおりると、もうみんな揃っていた。女性のほうが身支度に時間がかかるというのは、どこでも共通らしい。
「皆様、お待たせして申し訳ございません。服を着るのに、いささか手間取ってしまいました」
「レディを待つ時間は、男性の特権だ。エミーリアもアリス、もっ……!?」
ロアさまが珍しく絶句した。みんながわたしの脚に注目しているので、言いたいことはわかる。
「この格好は、みなさんの秘密にしてくれませんか? ダイソンを捕まえるためとはいえ、公になるのはあまりよくないと思いますので」
わたしとしては、前世で慣れ親しんだ格好だ。動きやすいし可愛いし気に入っているのだけど、貴族令嬢としてはなかなか破廉恥な服だ。
「ブーツで隠しているし、これなら平民に見えるし、大丈夫だと思ったんですけど」
「いっや、大丈夫だ!」
「ロアさま、声がひっくり返ってますよ」
「大丈夫だ! 問題はない! 確かに町娘はその丈の服を着ているのだし目立たずに街の様子を探るにはそれが最も適した服装であり不自然ではないのでアリスの選択は間違っていないという結論になる!」
「よかった、そうですよね! グリオン様が用意してくださったものですし」
「グリオンが……これを……?」
目を見開いたロアさまに、エドガルドが叫んだ。
「そんな目をしないでください! アリスには平民の少女として聞き込みをしてもらうのですから、祖父は平民のありふれた服を選んだんです! 靴まで隠れる丈ならば、怪しまれてしまいます!」
「……それは、そうだが……」
「さすがに、少女という歳ではないんですが」
訂正をしたが、軽く流された。
レネがため息をついて頭を振る。
「ライナス殿下のお気持ちはわかるよ。貴族令嬢の脚を見るのは夫と使用人だけだからね。不意打ちだったから驚くのも無理はないよ」
「まあ、そうですけど」
脚よりも、よせてあげた胸元とか、背中のほうが破廉恥じゃない? たまに、背中をほとんど出してるドレスとか見るし。
前世の感覚が混じっているわたしにはよくわからないけど、胸より脚のほうが大事らしい。
太ももまで出すのならともかく、スカートはふくらはぎの半分まである。脚はブーツでがっちりと隠されてて、脚の形もよくわからないのに。
「確かに、想像以上に刺激的ですね、これは」
「アーサー様がなにを想像していたかは、聞かないことにします」
「うーん、今とてつもなく私の評価が下がった気がします」
アーサーが困り果てた顔をするのがおかしくて、思わず笑う。
「アーサー様は、すました顔じゃないほうが魅力的だと思いますよ」
そのほうが話しやすいし、親しみやすい。
ご令嬢もアーサーのダジャレやこういう言動を知っていれば、理想じゃないと言い出したりしないはずだ。
「時間もないので街へ行きましょうか! 街に行けばノルチェフ嬢と同じ服装のレディがたくさんいるんですから、すぐに見慣れますよ!」
シーロがナイスな提案をしてくれたので、みんなで移動することにした。
玄関前には紋章の書かれていない馬車が一台置かれていた。ちょうどほしかったものが置いてあるのは、さすがバルカ家の信頼する使用人という感じがする。
ここまで姿を気配を見せないのは、ちょっと忍者っぽいな。
「ボクが御者をするから、エドガルドは道を教えてくれる?」
「頼む、レネ。道はひとつしかないから、迷わずに行けると思う」
「全員が一緒におりるのを見られないほうがいい。街の少し前でおりよう」
ロアさまの言葉にみんなが頷き、馬車に乗りこむ。
男性側は、シャツに細身のパンツという、シンプルな服装だ。生地もわざわざ、あまりよくないものを使っている。
よくないとはいっても、平民からすれば上等な生地だ。目立たない服を用意してくれたのに、着ている人間は顔が良くてスタイルがいいものだから、目立つ予感しかしない。
こういった服を着ているからこそわかる、気品ある佇まいや振る舞いがにじみ出ている。
「こういった服はあまり着ないが、動きやすくて軽いな」
「ライナス殿下のおっしゃる通りですわ! わたくしもそう思いますの! すぐに着られて、とても軽いのがいいですわ」
「エミーリアの動きが軽やかなのが、見てわかる。これなら素早く動けそうな気がするな」
「まあ、これ以上動くおつもりですか?」
「ああいや、そういう意味ではなく」
ダイソンを追うのにこれ以上派手に動くつもりかと、いたずらっぽくエミーリアが言ったのを反射的に否定したロアさまは、くすっと笑った。
「そういう意味なのかもしれないな」
「まあ、悪いお方」
今までこうして話すことさえできなかったふたりが、ダイソンを気にすることなく軽口を叩けるのはいいことだ。
ふたりがあまりに楽しそうに笑うので、こっちまで微笑ましくなってくる。
エドガルドに街や市場のことを聞きながら、なごやかな時間が過ぎる。人が多くなる手前で、わたしとレネとシーロがおりる。
エミーリアとロアさまとエドガルドは別行動だ。エミーリアが持っている伝手を訪ねるんだそうだ。
わたしは街をぶらついて、ここにいて毒を開発していると思われるモーリス・メグレの聞き込みだ。
手を振って馬車を見送って、三人で街まで歩くことにした。ヒールの低いブーツが歩きやすい。
「アリスは好きに動いてね。ボクとシーロも、聞き込みをしながら絶対に近くにいるから。何かあったら、目立つとか考えずに、防犯の魔道具を迷いなく使って! アリスの命のほうが大事なんだからね!」
「わかりました」
「防犯の魔道具の使い方はわかりますか? 少し力がいるんですよ」
防犯の魔道具と一口に言っても、その種類は様々だ。身を守るもの、相手を行動不能にするものなど、たくさんある。
渡されたのは、前世で言う防犯スプレーのようなものだ。出た煙を吸い込むと、顔面からすべての汁が出て死にそうになるらしい。
見た目はクラッカーなので、ちょっとパーティ的な感じがする。
「魔道具から出ている輪っかを引っ張るんですよね?」
「そうです。力加減で言えば、生のじゃがいもをすり潰すくらいですね! 茹でたやつじゃないですよ」
「なるほど、それなりの力で引っ張らないといけませんね」
「今のでわかるの? 嘘でしょ?」
貧乏令嬢は、生のじゃがいもをすり潰す機会があるのだ。
街に入る少し前に、レネとシーロが離れていった。
ひとりで買い物に来たという設定で街に入ると、可愛らしい建物が並んでいた。テラコッタ色の建物と、白い屋根。あちこちに植えられているハーブや花の彩りが鮮やかだ。
「わあ……! 可愛い街!」
こんな状況だけど、綺麗な街並みを見ると少しばかり心がふわふわする。
「グリオン様とエドガルド様も、ここに来たんだ……」
想像してみても、可愛らしい建物とふたりはミスマッチに思える。
でも、似合わないのが逆に似合うというか、それがいいというか。なんだか可愛い気がする。
市場に向かいながら周囲の人を見るが、残念ながらモーリス・メグレはいなかった。