親子喧嘩
グリオンの別荘は、小さな湖のほとりにある、こじんまりした建物だった。
こじんまりとはいっても、この人数が寝泊りできる部屋数はある。こう考えるようになったあたり、わたしも麻痺しているかもしれない。
王城と学校を見てきたからなぁ……。あのサイズの建物を見ると、なんでも小さく見える。
赤茶の別荘は花に囲まれ、全体的に可愛らしい雰囲気でまとめられていた。グリオンの亡くなった奥さんの趣味なのかな。
玄関は開いており、人の気配はなかった。それでも中は手入れが行き届いており、食堂には人数分のカップとあたたかいお茶が用意されていた。
「……私たちが自由に動けるよう用意してくれたのだな。本当にありがたい。バルカ家のような得難い臣下がいて、私は誇らしいよ、エドガルド」
「もったいないお言葉です」
感激したようにエドガルドが頭を下げる。
ひとまず座って、厚意で用意してくれたお茶を飲むことにした。ほのかにハーブが香って、飲むと体がぽかぽかしてくる。
「ライナス殿下、よろしいでしょうか」
不意にロルフが椅子からおり、床に跪いた。
こういうことがさらっとできて、様になるからすごい。
「どうした、ロルフ」
「私をオルドラ家へ行かせていただけませんか。状況を説明し、必ずや協力を得てまいります」
「それが適任だろう。通信の魔道具を持っていくように」
「すぐに出発いたします」
「わかった。頼む」
「任せてください。オルドラ家は、こういうことに関しては優秀ですから」
顔を上げたロルフは、笑顔でウインクをした。
完璧なウインクを受け取ったロアさまは、当然という顔をして頷いた。わたしはいまだにロルフのウインクを受け止めきれないのに、ロアさまはすごいな。
「すべてが終わったら、ウインクのやり方を教えてほしい。きちんと帰ってきてくれ」
「かしこまりました」
ロアさま、ウインクできないの?
み、見たい……。
思わずじっと見ていると、ロアさまは、はにかみながら教えてくれた。
「……両目とも瞑ってしまうんだ」
「可愛いですね」
「そうだろうか……」
少し納得がいかない顔をしていたロアさまだけど、すぐに気持ちを切り替えてロルフを見送った。
ここまで乗ってきた馬車を使うかと思ったけれど、ロルフは徒歩で行くようだった。
「あれはバルカ家の紋章が入っている馬車です。使えば注目を浴びます。あまり人に見られないよう、街に着いたら貸し馬車でオルドラ領まで行く予定です」
ここはちょっとした森の中だ。
別荘を建てるだけあって、周囲にはなにもない。
「安心してくれ、アリス。これでも鍛えてるから、街まですぐに着くさ」
「確かに、秘密の通路でもずっと走っていましたけど」
「大丈夫、きっとオルドラ家は味方になる」
「そうじゃなくて……ロルフ様の心が大丈夫かと……」
家族のことを言わないのだから、あまり仲が良くはないのではないかと、思う。
ここでロルフが説得に行くのが一番いいのかもしれないけれど、ロルフが傷付くのかと心配してしまう。
「……ありがとう、アリス。だけど俺は、そろそろ自分のことに決着をつけないといけない。いい機会だ、親子喧嘩でもしてくるよ」
嘘だ。
ダイソンを捕まえようとしている最中なのに、ロルフがそんなことをするわけがない。
わかっているのに、指摘はできなかった。ロルフの気遣いを無碍にして、さらに負担をかけることはできない。
「……どうか、無事でいてください」
「アリスの願いなら、喜んで」
わざとらしいほどうやうやしく、大げさに頭を下げたロルフは、笑顔だった。
ロルフが無理をしているわけではないと伝わって、ほっとした。
「ロルフ、気を付けてくれ。何かあれば僕が殴り込みに行く」
「エドガルドはここでやるべきことがあるだろ」
「終わってから行く」
「頼りにしてるよ」
「本当に気をつけてよね! これ、マジックバッグ。中に着替えとか食料とか入ってるから」
「目薬と、髪色を変える粉も入っています。忘れないようにお願いしますね」
「レネ、アーサー、ありがとう。忘れるヘマはしないさ」
マジックバッグはベルトに結びつけられ、お腹に隠された。質素なシャツとズボンが、足の長さを際立たせている。
身長の半分が脚じゃないかってくらい長い。
「これは私からの手紙だ。ロルフのご家族に渡してくれ」
「かしこまりました」
「ここからどれくらいで着くんだ?」
「一週間くらいかな。シーロが通信の魔道具を持ってるんだったな? ついたら連絡する」
「ああ。よろしく頼むぜ!」
「オルドラ様、無事をお祈りしております」
最後にエミーリアが声をかけると、ロルフは走っていってしまった。
あっという間に見えなくなったあとも、みんなでロルフが消えた方向を見つめてしまう。
……ずっと一緒にいたロルフがいなくなってしまうのは寂しい。
「さあ、ロルフが帰ってきた時に成果を報告できるようにしておこう。バルカ家へ行くまでに、少し街の様子を見てみようと思う」
「いい案ですね。グリオン様が服を用意してくれているとおっしゃっていました。着替えてみませんか?」
明るく提案してくれたロアさまとアーサーのおかげで、寂しさがすこし薄くなった。
二階の部屋はどこでも自由に使っていいと言われているので、ロアさまは一番いいお部屋を使うことになった。わたしはエミーリアと一緒の部屋のおかげで、とてもいいお部屋だ。
「アリス、悪いのだけど、着替えを手伝ってくれる? ひとりで着替えたことがなくて……」
「はい。せっかくですし、着替えの方法をお教えしましょうか?」
「ええ、頼むわ!」
目をきらきらさせているエミーリアには悪いが、これは一人でも着られるデイドレスだ。
服の中心にずらっと隠しボタンが並んでいて、それをとめていくだけだ。前にあるボタンを布や飾りで隠していて、とても可愛い。
「簡単なのね! 慣れるまで時間がかかりそうだけれど……これなら、自分の着替えたい時にできて、侍女に合わせて腕を上げ下げする必要もなくて……なんだか、自由だわ」
エミーリアが嬉しそうなので、なんだかわたしも嬉しくなってくる。
ずっと一人で着ているわたしからすれば、人に着させてもらうのは楽に思えるけれど、不自由だと思うこともあるに違いない。
特にコルセット。
あれは絶対に、もういいって思っても締め付けられるに決まっている。
「わたしも着替えてきますね」
わたし用の服は、デイドレスではなくワンピースだ。平民の普段着よりも少し高価な程度の生地を使っていて、脚が出ているのが新鮮だ。
ミモレ丈のふんわりと揺れるスカートで、膝下まであるブーツで素足を隠している。あんまりスカートが長いと、すぐに貴族だってバレちゃうからね。
これで、街に出ても貴族とはわからないはず!
なにせわたしは、平民としてすぐ街に溶け込める自信がある!
「お待たせしました、エミーリア様。行きましょうか」
エミーリアにボンネットをかぶせて、いざ出発だ!