ピンクのオーラ
たっぷりと眠った翌朝、一階のダイニングへエミーリアと向かうと、もうみんな揃っていた。
早朝ではないけれど、そんなに遅くもない時間だ。一番最後だとは思っていなかったので、すこし慌てる。
「おはよう、急がずともよい。私たちも先ほど起きたのだ」
「皆様方、おはようございます。遅くなってしまい申し訳ございません」
「遅くなって、本当にすみません!」
すでにグリオンも座っている。マジックバッグを整理して、目覚まし時計を他のマジックバッグへうつしてしまったことが悔やまれる。
「お気になさらず。妻にもよく言われたものです。レディには身支度に時間がかかる。それを待ってこその男だと」
気にした様子もなくグリオンが笑い飛ばしてくれたので、ほっとする。
「それより問題がありましてな」
陽気な空気が消え、グリオンは真面目な顔をする。
「……まともな食事を用意できとらんのです。ここにライナス殿下がいらっしゃることは極秘ですので、料理人に暇を出すときも、料理を作ってほしいとは言えなかったのです」
「わかりました。すぐにお出ししますね」
作り置きをした料理が、少なくなったけれどマジックバッグに入っている。
断りを入れてからマジックバッグを確認すると、たっぷりの焼き立てのパンと飲み物、スープが入っていた。
エビと肉団子とムール貝、いろいろな野菜が入っているトマトベースのスープだ。エビフライにもできるほど大きなエビと、大ぶりのムール貝を使っているので、見た目も華やかだ。
「パンと飲み物とスープがございます。ベーコンや卵でも焼きましょうか?」
「なんとありがたい! ベーコンは魅力的だが、食材が減っていると、客人が来ていたと感付かれますので……」
「では、そのままお出しいたしますね。パンは焼き立てのものがたっぷりありますので、お腹いっぱいになると思いますよ」
「礼を言う。食事は持ってくると聞いていたので用意を怠ってしまい、申し訳ない。ここが戦場ならば死んでいた」
どう考えればそうなるかわからないけれど、グリオンは拳を握りしめて何かを悔いているように見える。
湯気の出ているスープを鍋ごとテーブルに置き、さまざまなパンを詰め込んだバスケットを置く。バターやジャムも忘れない。
食器とカトラリーを出して、さて困った。
正式なカトラリーと食器の置き方がよくわからん。どうすればいいか大体は知っているけれど、第四騎士団にいる時から今まで、略式で食べていた。なんなら騎士さまに食事も運ばせていた。
この場合は、どんな布をどういうふうに、という専門的な知識が抜けている。
「食事をありがとう、アリス。ありがたくいただこう。アリスが入れてくれたものは自分で運ぶから、気にしなくていい」
「ロアさま……」
「アリスが管理してなかったら、きっとここに着くまでに食べつくしていたよ。アリスの料理はおいしいからな」
ロルフのウインクがはじける。
「ボクたちはそんなの慣れっこなんだから気にしないの! さっ、手伝うからさっさと食べちゃお!」
「アリスも座って、一緒に食べましょう。テルハール様も、どうぞご一緒に」
微笑むエドガルドは、少し落ち着いたように見える。シーロはさっと立ち上がって、バスケットを中央に置いてくれた。
「みんな好きなように取って食べるので大丈夫ですよ! そうしようって、グリオン様と話し合ったんです」
「トマトを食すのはちょっトマトう! ですね!」
アーサーが通常運転なので、なんだか安心する。
ダジャレを言うってことは、ここは安全だということだ。そして、グリオン様が滅多なことじゃ怒らないって証拠。
パンとスープがいきわたると、みんなで座って「いただきます」をして食べ始めた。
手に取ったのはくるみパンだ。ふわふわなパンと、食感のアクセントになるクルミがおいしい。
スープは具だくさんで、お皿いっぱい食べると、これだけでお腹いっぱいになりそうだ。ほんのり酸味があるスープに、貝やエビのうまみが溶け込んでいる。
とろとろに溶けた玉ねぎ、ほろほろにんじん、食べごたえがある肉団子。エミーリアも食べているようで、安心した。
魔道具の中でのエミーリアは少し体調が悪そうで、あまりご飯も食べなかったのだ。
たぶん、簡易ベッドが体に合わなかったんだと思う。一緒に寝ている時、何度も寝返りを打っては眠れない様子だった。
これが家だったらベッドを入れ替えればいいんだけど、あの状況だ。簡易ベッドで我慢してもらうしかなかった。
ちなみに私はぐっすり眠れました。エミーリアは、分厚いマットレスやお布団の下に豆を置いても気付くんだろうな。
自分の図太さが浮き彫りである。
みんなでたっぷりとご飯を食べ、食後のお茶でまったりとする。エミーリアの顔色もよくなって一安心だ。意外なことにエドガルドが一番エミーリアを気にかけていた。
グリオンの家だからかな。シーロも心配だろうに、それを顔に出すこともなく、ロアさまのお世話をしていた。
エミーリアもそれに文句を言うわけでもなく、当たり前だという顔をしている。公私をきっぱりわけている姿は、さすがだ。
「馬車を用意しております。ここから別荘へは、魔道具が通れるほど道を整備しておらんのです。申し訳ないですが……」
「気にするな。馬車を用意してくれてありがたい」
「別荘には、私が最も信頼する使用人を向かわせております。老夫婦で、できるだけ表に出ないように仕えよと命じてあります」
「重ね重ね、感謝する」
グリオンの家は、街から少し離れたところにぽつんと建っている。それでも注目はされているので、こっそり裏口から出ることにした。
外まで見送ろうとするグリオンの厚意を断り、みんなで素早く馬車に乗り込む。閉まる裏口のドアの向こうで、深々とお辞儀しているグリオンが、ドアの隙間に消えていった。
馬車は、おそらくグリオンがいつも使っているものだろう。
中は渋みのある色で統一されており、派手でも豪華でもないが、ひとつひとつに品があってしっかりした作りになっていた。
馬車の中は、前世での電車のように、向かい合わせで長いソファを置くようになっているらしい。
ロアさまの向かいにエミーリアとわたしが座り、左右にエドガルドとレネが座る。
「エミーリアとアリスがそろって街に出るのならば、エミーリアは貴族のお忍び、アリスはそのメイドとする。誰かひとり護衛としてつける」
「ライナス殿下のお役に立てるのならば、喜んで」
「レディに危険なことはさせたくないのだが……」
「男性と女性では、得られるものが違いますわ。そのために来たのですから、どうぞわたくしを使ってくださいませ」
「感謝する、エミーリア。アリスにも、助けられてばかりだ」
「いいえ、わたしのほうこそ、ロアさまには助けられてばかりです」
深々と頭を下げる。
「ロアさまがライナス殿下とは知って、驚いてしまって言うのが遅くなってしまいましたが、母様の病気の特効薬の開発をすすめてくださって、ありがとうございます。本当に嬉しいです。家族みんな、毎日希望を持って生きています」
「それは……私の自己満足だ。もっと早くできたのに」
「わたくしのために研究をすすめたとなると、わたくしの重要性が増し、かえって危険になる状況でした。ダイソンに命を握られ、その他の貴族にも狙われるなど、とても生き残ることはできなかったでしょう」
エミーリアは、にっこりと笑った。
「それでも、こっそりと薬の開発は進めていたのです。ライナス殿下は、そういうところが甘いのですよ。罪悪感がうずくのならば、特効薬が完成した暁にはこの話を広めてくださいませ」
「……ああ。そうしよう」
こわばっていたロアさまの顔が、ゆっくりと笑みの形に変わっていく。
実際には不仲に見せていたふたりには、ふたりにしかわからない絆があったんだろう。ずっとロアさまをぼっちだと思っていたので、こういう場面を見るとにこにこしてしまう。
不意にロアさまは、こちらを見た。学校に行ってから見慣れた、深く澄んだ緑色の目が、まっすぐにわたしを見つめる。
「母君の体調は悪化していないので、安心してくれ。アリスにそう言ってもらえると、とても嬉しい。……本当に嬉しいんだ」
そういえば、ライナス殿下が特効薬の支援を決めたのは、大事な人のためだったはず。
父さまは違うと言っていたけれど、わたしはずっとエミーリアのためにしているのだと思っていた。
まさか……ううん、さすがにそこまで思い込むことはできない。うぬぼれすぎだ。
心なしか少しピンク色の空気に耐えきれず、必死に話題を探す。
だって、馬車内の注目を浴びまくりだ。全員の視線がわたしとロアさまに突き刺さっているのに、誰かに見られていることが当たり前のロアさまは平然としている。
「ええと……別荘では、わたしもご飯を作りますね」
「それは楽しみだ」
言葉が途切れる。ピンクの空気はあまり消えなかった。