ア・カペラ
魔道具に乗っての移動は、思ったより快適だった。
何しろ、振動がほとんどない。カーブだって急なものはないし、高低差でヒュンとなることもなかった。
どうしてなのかと思っていたら、この国には山がないからだった。
前世で高速道路を通って遠くへ行こうと思ったら、途中で山やトンネルを通っていた。ここにはなだらかな丘くらいしかないので、曲がりくねった山道を通ったり、山を上り下りする必要はない。
魔道具に乗った途端、みんなが少しリラックスしたのはなぜかと思っていたら、ボールドウィンが運転していたらしい。
「ボールドウィンって……あのボールドウィン・ソマーズ様ですか?」
第四騎士団で働く前に面接した、あのボールドウィン?
細身のイケメンで、神経質で苦労していたっぽい、あの?
言われてみれば、ロアさまのために第四騎士団を作ったのだから、それを面接するのもロアさまの仲間だ。
ロアさまの事情は、相変わらず細かいことは知らない。ただ、いろんなところにロアさまの味方がいてよかったと思う。
「ボールドウィンは乗り物が好きで、馬車も巧みに操る。この魔道具も、ほとんど揺れがなく快適だろう? 魔道具の性能もあるが、ボールドウィンのもつ技術のおかげだ。……ボールドウィンは馬には乗れないが、そのほかは感心する腕前だ」
「そうだったんですね。ソマーズ様がずっと運転し続けているわけではないですよね?」
「ああ、シーロとロルフにも任せている」
ボールドウィンって、運転はうまいのに馬には乗れないんだ。
……なんとなくわかるな。
マジックバッグの中身を移し替えたり、作っておいたご飯を食べたり、作戦をおさらいしたり、雑談していると、二日はわりとすぐ過ぎた。
途中でロルフの家はダイソンと無関係だと知らせが来て、ロルフはホッとしていた。これでオルドラ伯爵家の協力も期待できる。
ダイソンの手先が、自分の領地で毒を研究していたのだ。いらない憶測や罪を着せられないように、全力でいろいろしてくれるだろう。
エドガルドの祖父が住んでいるという屋敷についたのは、夜中に近い時間だった。
ボールドウィンはそのまま王都に戻るというので、みんなでお礼を言う。
降り立った屋敷は、こじんまりとしていた。何十年か前の戦争で武功をあげ、爵位をあげた人が住んでいるとは思えなかった。
うちの何倍も大きくて、お金がかかっているとわかるけれども。質実剛健なのが、重厚で飾り気のない屋敷の外観から伝わってくる。
裏口からこっそり中へ入ると、そこには人が待っていた。
まず驚いたのは、その身長だった。60歳くらいだと聞いていたので、おじいちゃんを想像していたら、190センチほどあるエドガルドより少し小さいくらいだった。
背筋がまっすぐ伸びていて、寒いなか五分袖の服から出ている腕は血管が浮き出てムキムキだ。
鋭い瞳、大きくて高い鼻。口はぎゅむっと引き結んでいる。ところどころ黒が混じった白髪を短くして、いまだ現役のムキムキおじいちゃんが、そこにいた。
「おじいさま。ただいま戻りました」
頷いたおじいちゃんは、さっと跪いた。
「私ひとりだけのお出迎え、ご容赦ください。よくぞ参られました」
「顔を上げてくれ、グリオン」
エドガルドの祖父は、グリオンという名らしい。
「あなた様のことは、エドガルドと陛下の使者から聞いております。ですが、私は自分の目で見たものを信じる誓いがあります。無礼を承知で、あなた様の血筋が尊いものであるという証拠を見せていただきたい」
「もちろんだ。私とは会ったことも少ないだろう。すぐに信用するのが難しいことくらいはわかる」
「ありがとうございます。では、歌っていただけますか?」
「え?」
「歌ってください。今、ここで」
珍しく呆けた返事をするロアさまに、非常に真面目なグリオン。
ここで歌うの?
屋敷の裏口から入ってすぐの、明かりがあまり届いていない薄暗い場所で? この静寂のなかアカペラを披露しろと?
「かの御方の歌声ならば、すぐにわかります。あの歌声を真似するのは難しい」
なるほど、ロアさまはイケボだもんね。あの低い声で朗々と歌ったら、うっとりするに違いない。
「……わかった。それでグリオンの疑惑が晴れるのならば」
ロアさまは何度か咳払いをして、口を開けた。
「それーはーすばらーしーいいぃぃ」
これは……オペラ? たぶん男性のソロだ。
「わたーしーのおぉぉぉ」
ロアさまは歌う。暗い裏口の前で、堂々と、胸を張って。
……知らなかった。
ロアさまって、超絶音痴だ……!!
これはオペラに詳しくないわたしでもわかる音痴っぷり! すごい音痴だ!
貴族令嬢の活動としてオペラに行った時に聞いたことがある歌なので、ロアさまが何を歌っているか、かろうじてわかる。
たぶん……本当にたぶんだけど、悲恋を描いたオペラで一番有名な曲だ。
最初と最後で同じ曲を歌うのだけど、最後に聞くと印象がガラッと変わるのだ。歌詞は同じだけれど、曲調が違ってアレンジが入れられる。
歌い終わったロアさまは、堂々とグリオンを見た。
「どうだ?」
「さすがです。アルシャージ第五楽章のソロですね?」
「……第一楽章だ」
「誰も真似できない歌声、たしかに聞かせていただきました」
ロアさまの訂正はまるっと無視し、グリオンは笑った。笑うと目尻に笑い皺ができて、いかめしい顔が親しみやすいものに変わる。
「ようこそ、ライナス殿下。自分の屋敷だと思い、自由にお過ごしください」
「……世話になる」
ロアさまは微妙に納得がいかないような、受け入れてもらって安心したような、なんともいえない顔をしていた。
その顔がおかしくて思わず笑いそうになってしまったのを、ロアさまが目ざとく察知した。
「……アリスも笑いたければ笑えばいい。私は音痴なのだ」
「そういう意味で笑ったんじゃないです。ロアさまの顔が、ふてくされている子供みたいで可愛くて」
「……みなの前で歌わされたのだから、こういう顔もする」
第四騎士団にいた頃のロアさまは、どんなに一緒にいても壁があった。
学校に行って王弟殿下と明かしてからは壁がなくなったけれど、それでも弱みを見せないようにしていたと思う。
今はいろんな顔を見せてくれて、いろんなことを知れて嬉しい。
「ロアさまはネガティブなところ以外、短所がないと思っていたので安心しました。きっとみんなは、ロアさまがロアさまだからついていっているんですよ。音痴はむしろ好感度があがるポイントかもしれません」
「……そうなのか?」
「欠点のない人よりは、いいと思います。私的な感想ですけど」
まわりを見たロアさまは、みんなが頷くのを見て、少し驚いた顔をした。
「……そうか。私は、もっとみなに感謝せねばなるまい。……それにしても、アリスは私をネガティブだと思っていたのだな」
「だって、わたしのことをやたらポジティブだと言うじゃないですか。わたしだって普通に落ち込んだりするのに」
「そうなのか?」
「そうです」
驚いたロアさまに驚く。
いつでもポジティブって、それは長所を通り越して短所では?
ロアさまには、わたしがいつも明るいように見えていたのかな。弱音をはいたり悩み事を聞いてもらったりしていたと思ってたんだけど。
「……アリス・ノルチェフ嬢?」
グリオンが発したのは、たった一言。その一言で場を支配したように、一気に静まり返る。
グリオンの瞳の中に、静かに燃える炎が見えた気がした。
「お話に割り込んでしまい、申し訳ございません」
すぐさま謝罪して頭を下げる。ふってきたのは、思いのほか優しい声だった。
「謝罪は不要だ。非常に勝手ながら、私はライナス殿下を案じておりました。孫がライナス殿下のお力になることを聞き、嬉しく思いましたが、自分の目で確認できないので不安はぬぐえなかった。この空気が出せるのならば、大丈夫ですな」
「ああ。私はいい仲間に恵まれた」
男同士で視線が絡まりあい、少年漫画のような空気が漂う。
エミーリアとわたしは、邪魔にならないように少し下がる。こういう時、異性はお邪魔虫なのだ。
「さあ、こちらへ。少し話しましょう」