脱・シスコン
商人の様子を見ていたレネが、軽く首を振った。
「商人へ危害を与えても、服従の首輪は発動しないようです。体に違和感はないな?」
中和剤を打っても、何かしら変化はあるのだそうだ。
毒で死ぬことはなくなるとはいえ、吐き気がしたり痺れたり、少しばかり毒の効果が出ると聞いた。
黙っている商人を睨みつけ、レネが軽く蹴る。
「返事」
「な、ないです……」
どうやら、レネも商人にとても怒っているらしい。
値引きしまくってもらっていた身としては、なんとなくいたたまれない。ここで止めれば、なおさら賞賛の眼差しを向けられるから黙っているけども。
他の被害者の人が、思う存分痛めつけられる体を残しておかなくちゃいけないから、いざとなったら止めよう。
「お前がいま首にしているのは、服従の首輪だと知ってる?」
「……はい。ぐっ……! うぐぅっ!」
商人が頷いた途端、自分の首をかきむしり始めた。毒が注入されたのがわかり青ざめていると、やがて商人の手の動きがゆるやかになっていった。
「うっ、ぐっ……!」
「最初の注射は、即死の毒の中和剤。これで、ボクたちがとーっても優しいってわかったでしょ?」
「なにが……目的だ」
「知っていること、すべて吐いてもらうよ。大した情報は持ってないだろうけどね。中和剤がほしかったら、ダイソンを裏切ってこちらについてもらう。二重スパイだよ」
ダイソンの名でまた毒が注入されたのか、商人が苦しむ。
数分たって、げっそりとした顔を向けてきた商人には、かつての爽やかさが売りの顔ではなかった。
「ちゃんと死なないように手当てしてあげるから、安心してね」
……わたしは知っている。
レネのきゃるるんとした顔は、何かを企んでいる時の顔なのだ。
アーサーが貼り付けたような笑みを浮かべている時は、とても怒っている。
いつも華やかな笑みを絶やさないロルフが真顔なのも怖い。
ロルフになだめられたエドガルドは、さっきまでの商人を殺しそうな勢いを潜め、無言で岩に木刀を振り下ろしながら商人を見据えている。
そして、見たことがないほど冷ややかな眼差しをしているロアさま。
……どうしよう。
ちょっとお腹がすいてきたとか思っているわたしは、とても場違いなのでは?
商人がボコボコにされるのを見届けて、安心もできた。
これから、この商人が自由になることはないのだ。ダイソンを捕まえるまでは監視がつき、そのあとは牢屋行きで、そこから出てくることはない。
「……ロアさま。ここで見させていただき、ありがとうございました。先に帰って、夕食の支度をしていてもいいですか?」
「もちろんだ。これ以上は、さすがに刺激が強いかもしれない」
「晩ごはんは何が食べたいですか?」
しばらく考えたロアさまは、はにかむように言った。
むきむきマッチョのロアさまが照れると、だいぶ可愛い。
「……アリスが騎士団に来て、初めて作ったものを食べたい」
「任せてください!」
その場をみんなに任せ、エドガルドについてきてもらって部屋まで帰る。
興奮していたエドガルドの頭を冷やす意味もあるのだろう。しばらく黙っていたエドガルドは、ぽつりと尋ねてきた。
「……本当に、気が済みましたか?」
「はい」
「アリスは、我慢するところがあるので、少し心配です」
しばらく迷って、恥ずかしいけど打ち明けることにした。
ずいぶん値引きしてもらったあげく、ボコボコにして追い出した過去を伝えると、エドガルドはぽかんとしていた。
「ほかの人には秘密にしておいてくださいね……! 恥ずかしいので!」
呆然と歩みを止めていたエドガルドは、くしゃりと顔をゆがめた。
「あはっ、あははは! アリスらしい理由で安心しました! でも、もっとぶちのめしてよかったと思います」
「いやぁ……」
これだけ笑っているエドガルドも、値引き額を聞いたら驚くと思うよ。
「そうですか。アリスがそれでいいのなら、僕ももう気にしません。さっきまでは本当に腹立だしくて、腕を何か所か折ってもいいのではと思っていましたが」
「それをすると、さすがに怪しまれるのでは?」
「そう思って、やめました。服従の首輪からの猛毒は、もうすべて注入したとは思いますが、それを伝えずに恐怖で操ります」
「それくらいはいいですよね」
「そう思います」
和やかに話をしながら帰り、シーロとエミーリアに軽く状況を説明したエドガルドは、ロアさまの元へ帰っていった。
エミーリアが、尊敬を込めた眼差しを向けてくる。
「あのような人間とも思いたくないものを許すなんて……アリス、あなたは素晴らしい人物だわ」
「……あ、あはは……」
笑うことしか出来なかった。
シーロはなんとなく気付いているのか、笑いをこらえる顔をしている。エミーリアの幻想をぶち壊す気はないようで、心配していたエミーリアをなだめることに全力を注ぎ始めた。
イチャイチャカップルの横で、黙ってパイを食べるわたし。男まみれの中にいたので、こういうのは久々だ。
一時間ほどすると、ロアさま達が帰ってきた。すっきりした顔をしている。
みんなで座って、クリスが出してくれたお茶を飲む。
「あの商人はやはりたいした情報を持っていなかった。こちらから間違った情報を流すことに使う予定だ」
トールやキャロライン、マリナと別れるのは寂しいけれど、これ以上ここにいるわけにもいかない。
それに、さすがのトールも、姉が見守っているなかでマリナと仲を深めるのは恥ずかしいだろう。わたしがいないほうが、マリナといい雰囲気になるはずだ。
恋人になれたら、真っ先に教えてほしいと伝えておこう。脱・シスコンのお祝いをするのだ。それはもう盛大に!