夜を呼ぶ
わたしがロアさまの正体を知っていると口にしてから、誰も口を開かない。
特にロアさまは、見ているこっちが心配するほど真っ青になっている。
しばらく待っても、ロアさまは怯えたように口を閉ざすばかりだったので、わたしから口を開くことにした。
「……この間、ロアさまといた時に、一度だけお話した王弟殿下と似ていると気付いてしまって……それから、もしかしてと思っていたんです。ロアさまから正体を打ち明けてくれるまで待ったほうがいいと思って何も言わなかったのですが……気付いてしまって、すみません」
結局はこの一言に尽きる。
ロアさまが隠していた正体に気付いてしまったのだ。気付くのは敏い人よりもだいぶ遅かっただろうけれど、ロアさまはそれを望んでいたのだ。
むしろ、ずっと気付かないアホな子のほうがよかったんだろうな。
「それは違う! 気付いてもいいんだ! 私が……弱いせいで、傷つけて、すまない」
「私たちは、あちらで今までのことを詳しく聞いてまいります。一時間は来ませんので」
そう言ったシーロは、呵責で今にも倒れそうなエミーリアを連れ、みんなと侍従の部屋へ行ってしまった。
この雰囲気で二人きりになっても、わたしはシーロやアーサーほどうまくロアさまを慰められない。
「とりあえず座りませんか?」
ロアさまを立ちっぱなしにはさせられない。
のろのろとソファに座ったロアさまの隣に座る。いつもなら向かいを選ぶ場面だけれど、今はいつもより意識して近くに座った。
ほんの少しの距離の違いに、ロアさまはすぐに気付いた。
「ロアさまの気持ち、聞かせてくれませんか?」
「……アリスは、男性を怖がっているように見えた。特に細身で見目のいい令息と、上級貴族を。だから、私が王族だと知ると……離れていってしまうのではないかと思って……」
「……わたしって、そんなに信用がなかったんですかね……」
思わず、ずーんと落ち込む。
「そうではない! アリスではなく、私の心の弱さが問題なのだ!」
「でも、わたしが離れていくと思っていたんですよね?」
「アリスならば大丈夫かもしれないと思っていた! 私のそばにいてくれるのではないかと! ただ、そうして期待をして……望んだ通りになったことがない。期待をすればするほど、アリスが離れていってしまう気がして……」
「隠し通そうと思っていたんですか?」
「……私の心の決意ができたら、告げようと思っていた。……今まで、いくらでも告げる機会はあったというのに」
自嘲気味に笑ったロアさまの手を、ぎゅっと握った。
父親に愛されなかったロアさま。母親が無償の愛をくれなかったロアさま。エミーリア様を死なせないために婚約したロアさま。
兄には愛されていたけれど、立場上ロアさまを優先することは少なかっただろう。
ロアさまを一番に思って仕えてくれる人は、きっとたくさんいる。でもきっと、友情と敬愛じゃ埋まらない穴があった。
「ロアさまが王弟殿下でも、離れていきません」
「……本当に?」
いつもより幼い口調に、弱弱しい表情。
できるだけいつものように笑って、大きく頷いた。
「今も、こうして側にいるじゃないですか」
「側にいてくれるのか?」
「はい。さすがに、ロアさまが婚約したら一緒にはいられませんけど」
さすがに、今度はその婚約者と結婚するはずだ。
王弟殿下なら、結婚しないことはないと思うし。
もう次の婚約者も決まっているかもしれない。
じくじくと痛い胸に気付かないふりをして顔をあげると、ロアさまの表情がすとんと抜け落ちていた。
「ロアさま……?」
「そうか。……そうなるのか」
「ロアさま、意識はありますか? この指は何本に見えます?」
「アリスのおかげで、自分の幸せも考えてみることにした。だが、望んだことが叶ったことはない。だから……口にしながらも、どこかで諦めていた。この期に及んでまだ、私は逃げ道を作っていた」
鋭い意思をたたえた瞳が、わたしを貫く。
ロアさまの意識の有無を案じて3本の指をたてていた手も握られた。包み込まれた両手が熱い。
「シーロの幸せは願えたというのに、エドガルドとロルフの幸せは願えない」
「それは……」
ちょっと勘違いしそうになる台詞だ。
「アリス。私も……努力する。努力するから、いつか……気持ちを聞かせてほしい」
「さすが、努力の君ですね」
「そうだろう?」
「ライナス殿下とお呼びしたほうがよろしいですか?」
「今まで通り、ロアで構わない。話し方も」
「でも、せっかく名前を教えてもらったのに」
「ロアという名は、特別なんだ。アリスしか呼んでいない、アリスだけの、特別な名前」
すり、と手の甲を指でなぞられる。
たぶん、顔が赤くなっている。心臓がどくどくとうるさくて、耳の横に来たみたいだ。
「ロアは、夜という意味だ。アリスと私、ふたりきりで過ごした夜。今も、その時間を特別に思っている。だから私は、この名が好きなのだ」
わずかに赤らめた顔で見つめられて動けない。
うーん、これは。
私の心に芽生えている感情を、そろそろ認めないといけないのでは?
王族と子爵令嬢では、絶対に叶わない恋なのに。
それで諦められたら、皮肉なことにそれは恋ではないのだ。






