存在感のあるパン粉
「遅くなって申し訳ございません。寂しくありませんでしたか?」
いつもの人懐っこい笑みを向けたシーロは、第四騎士団にいる頃と変わらないように見えた。やせ細ってもいないし、動きも機敏だ。
みんなで変身の魔道具を外す。
シーロからするといつもの姿になったロアさまは、シーロの肩に手をのせた。わずかに目をうるんでいる。
「シーロがいないと賑やかさが足りないからな」
「これからは私も共にまいります」
うやうやしく跪いたシーロは、懐から封筒を出した。
ロイヤルブルー。王家の色。王家の紋が、金色の封蝋で輝いている。
ロアさまは無言で受け取り、中をあらためた。
「……ここにいる者みなでモーリスを追い、捕縛しろとの王命だ」
驚いているのはわたしだけで、みんなは決意を胸に頷いている。
わたしも行くの? 足手まといじゃない?
うろたえるわたしに気付き、ロアさまは表情をゆるめた。
「陛下のお心遣いだ。ここまで来れたのはアリスの功績でもある。だが、モーリスを捕まえる場にいなかっただけで、功労が認められない可能性がある。もちろん陛下はそのようなことをお考えではないが……その場にいたほうが確実だということだ。アリスは一緒に来て、安全なところにいてほしいとの配慮だろう」
「ここまで来て、それは聞きたくありません。任せられないことも多いと思いますが、やれることはしますので、お任せください!」
「……そうだな。私もそう思う」
ゆるやかに進み出たロアさまの手が、髪にふれて離れていった。
「アリスは貴重な戦力だ。頼りにしている」
「は、はい」
いきなり髪をさわられてうろたえるわたしを見て、ロアさまもわずかに頬を赤らめた。
「突然すまない……髪に、何かついていたものだから」
……パン粉。
串揚げ用のパン粉だ。
「す、すみません、つい夢中になって作業してしまって……」
「アリスの食事はおいしいから、今から楽しみだ。ありがとう、アリス」
さらっと流してくれたロアさまに感謝しながら、そっとレネの近くへと後ずさる。穴があったら入りたいが、ここには隠れるところがない。
「アリスらしくていいと思うよ」
「ありがとうございます……」
レネの優しいフォローが、今はただただ痛い。
シーロの後ろでフードを被っていた人が、そっと顔をさらす。波打つ金色の髪が、照明の明かりできらきらと輝いた。
「エミーリア・テルハールでございます。少しでもお力になるべく参りました。いかようにもお使いください」
エミーリア・テルハールって名前、どこかで……。
あっ、ロアさまの婚約者だ! たぶん!
ロアさまが王弟殿下だって確定したわけじゃないけれど、その繋がりでエミーリアが来たのかもしれない。
「なぜエミーリアまで……体調は?」
「薬を開発していただいたおかげで、かなりよくなりました。今から行くバルカ領には、テルハール家独自の伝手がございます」
「そうか、陛下はエミーリアにも……。我慢して体調が悪化しては、元も子もない。早めに告げてくれ」
「かしこまりました」
「数日中にここを出る。各自、そのつもりでいてくれ」
みんなの勢いのある返事が部屋に響いて、一気に場が和やかになった。
それぞれがシーロの無事を喜び、シーロはもみくちゃにされている。それを少し離れたところで見ているエミーリアの目には、たっぷりの愛情が詰まっている。
……エミーリアは、ロアさまのことをお好きなのかな。
ずくんと胸が痛む。ロアさまが王弟殿下ならば、エミーリアはずっと婚約者だった。仲が悪いと言われていたけれど、それにはエミーリアのためという理由があった。
病気の特効薬の開発だって始めたし、婚約を解消すると聞いたけれど、実際にそうなったかは知らない。
これは元サヤなのでは……?
いや、婚約が続行しているのなら、元サヤですらない。ただちょっと離れ離れになって、お互いの気持ちを確かめてエンダアアアアのハッピーエンドなのでは!?
「エミーリアもこっちにおいでよ! 俺たちの仲を報告して感謝の平伏をしよう!」
「ええ、そうねシーロ。わたくし達の仲を認めてくださって、ありがとうございます」
「当然のことをしたまでだ。そんなことはしないでくれ」
ん、んん?
シーロとエミーリアは寄り添いあい、頬を幸せに染めてお互いを見つめている。
貴族では、家族か夫婦じゃないと有り得ない距離感だ。
「ずっとエミーリアに惚れていたので、毎日幸せすぎて白昼夢でもみてるのかって思ってます!」
「もう、シーロったら」
いちゃいちゃとする二人を、唖然と見つめる。
ふたりは恋人……? ロアさまが王弟殿下じゃないにしろ、エミーリアが王弟殿下の婚約者であることは確かだったはずだ。
知らないあいだに婚約は解消されていたらしい。
エミーリアはふっとわたしを見ると、こちらへ歩いてきた。
「わたくしの恋を、ライナス殿下はずっと守ってくださいました。そのご恩に報いるため、足手まといだと知りながら、恥を忍んでまいりました。あなたもどうぞ、わたくしを好きにお使いくださいませ」
「あっいえ、そんなことはしないですけれども。アリス・ノルチェフと申します。よろしくお願いいたします」
「エミーリア・テルハールと申します。ライナス殿下との婚約は解消されました。どうぞライナス殿下をお支えください」
深々とお辞儀をしたエミーリアは、恋する乙女特有の、きらきらした顔をしていた。
「……わたくしが言うことでもないですけれど、わたくしはずっとシーロが好きだったのです。ライナス殿下もそれをご存じですわ。勘違いなさらないでくださいね。ね、ライナス殿下」
振り返って微笑んだエミーリアは、凍り付いた部屋に気付いて、ゆっくりと青ざめていった。
自分が何かしでかしてしまったが、何をしたかわからないという顔で、シーロに助けを求める視線を送る。
シーロは、こわごわと尋ねた。
「……もしかして、まだ正体を秘密にしてたりします?」
「……秘密にしてたりする」
あまりのことにロアさまの言葉遣いがおかしくなっている。
今にも切腹する勢いで懐刀を取り出したエミーリアに飛びつき、手を押さえた。
「お放しくださいませ! 力になろうと来た矢先に、このような失態! 命をもってお詫びせねば気が済みません!」
「大丈夫です、気付いてましたから! ほんの少し前ですけど、もしかしてって思ってましたから! 大丈夫です! むしろ、きっかけをくださってありがとうございます!」
「そうなの……? いいえ、でも!」
「ワンコ様!」
悲鳴のような声で助けを求めると、シーロは長い脚ですぐにやってきて、さっと懐刀を取り上げてくれた。
エミーリアの騒ぎが終わったあと、残るのは気まずい沈黙のみ。
……どうしよう、これ。