いつかジャーマンスープレックスかましてやるからな
もし神が存在していて、なんでも言ってもいいのなら、わたしはためらいなく「なんで記憶を持ったまま生まれ変わらせたの? 嫌がらせ?」と言っただろう。
わたしには前世の記憶がある。あまりいいものではない。
前世では天涯孤独の身で、結婚した男がクズだった。顔はいいが、それだけ。いくつも仕事をかけ持ちして稼いだお金は浪費され、浮気され、ついには離婚届も出さずに消えた。
「せめて離婚してけよ!!」
ふたりの思い出が残された部屋で叫んだことは、いまでもはっきり覚えている。金目のものは消えていたのが、妙に笑いを誘った。
――テレビは持って行って、写真は置いていくんだ。
結婚式は挙げないけどウエディングドレスを着て写真は撮ろうと、とろける瞳で見つめてくれた彼はもういない。
それから前世のわたしは必死に働いた。弁護士を雇って正式に離婚するまでそれなりに時間もお金もかかった。
結婚は、わたしの心に傷しか残さなかった。
「生まれ変わったんだったらさぁ……不幸な記憶はいらないんじゃない……?」
ただ幸せになりたい。けれど、こんな記憶を持っていては結婚する気など起こらない。
変な男に引っかかりにくいことを幸いと思うしかなかった。
事実は小説のようにうまくはいかない。前世の記憶をもとに何か生み出そうにも、この世界には魔法があり、大抵のものは揃っていた。むしろ日本にいたころより快適だ。
入るだけで体も髪も洗い上げてくれるお風呂や、全自動調理器もある。全部べらぼうに高いけども。
「ん-。これで下ごしらえは終わりかな」
いつの間にか猫背になっていた背を伸ばし、細切りにしたじゃがいもを水にさらした。
いまのわたしは、少し貧乏な子爵令嬢だ。父親が王城で働いているから王都に家を持っているが、特別なコネがあるわけでも、高給取りでもない。
父さまは真面目に働いて給料をすべて持って帰ってくる、散財も浮気もしない尊敬すべき大好きな父親だ。ただ、貴族のなかで働くには、少々生真面目で人が良すぎるなぁとは思う。たぶん貧乏くじを引かされているだろう。
母さまは体が弱く、薬が手放せない。芯のある女性で、憧れと尊敬をもって愛している。わたしにも弟のトールにも、たっぷりの愛情を惜しみなく注いで育ててくれる人だ。
このノルチェフ家の跡継ぎである弟は14歳。前世結婚したクズのようにはなってほしくないと、厳しくも愛して育てた結果、立派なシスコンになった。
家で開くお茶会が少なかろうと、ドレスを着まわしていても、節約のためにわたしと通いの家政夫が家事をしていても、とても幸せだった。前世あれだけ望んだ家族に愛し、愛され、毎日が平穏だ。
結婚だけはしたくないわたしに、不意に問題は降りかかってきた。
お金がない。
結婚適齢期になり、友人のご令嬢たちがこぞって結婚しはじめた。ノルチェフ家の事情を知り、それでも変わらず接してくれ、時に助けてくれた友人たちだ。家族みんな喜んでお祝いを包み、慶事を祝った。
わたしももう18歳、この時のためにお金は貯めてある。
次に親戚が次々と亡くなった。
風土病で、その地域だけで猛威を振るったのが不幸中の幸いだというほど死者がでた。両親の結婚のとき多額のお祝いを包んでくれたり、母の薬を融通してくれたりと、ずっと交流があった家だ。
今はお金が足りないだろうと、家族で話し合ってお金をおくることにした。
この世界には香典なんぞないが、人情というやつだ。
それだけならまだ何とかなったが、最後の最後ダメ押しで、一番仲がいい友人が格上の家と結婚した。ここでケチって変なものを贈れば、ノルチェフ家の評判は最悪だ。
重なる忙しさと親族が亡くなった心労で母さまが倒れ、医師と薬代がかかった。幸いにも体調は戻ったのを家族全員で喜んだのが嬉しかった。
そして弟・トールが貴族学校へ入学する。
王都に住んでいる以上行かなければならないそこは、入学金も制服代も授業料も何もかも高い。今月はなんとかなっても、来月はおそらくどうにもならない。
ここまできてようやく、父さまは絞り出すような声でわたしに伝えた。
「……驚くほど金がない」
「そう思ってました」
神妙に頷く。
明言はせずともわたしが結婚したくないのを察して、いままで婚約の話も持ってこなかった父さまだ。この先を言わせるのはあまりに酷だった。
「父さまのコネで仕事を見つけてきてほしいの」
父さまはハッと顔を上げた。
この世界で女ができる仕事はあまりに少ない。貴族の女性に許されている仕事は、料理関係と侍女くらいだ。
料理に関するすべては女性がするべしという風潮で、台所は女性ばかりいる。平民ならばまだ緩くいろんな職で稼げるが、働くことがない貴族の女性が稼ぐのならばこの二択だ。
我が家は侍女になれるほどの家でもなく、わたしもそういった教育も受けていない。となれば、あとはひとつだった。
「仕事がなければ、それでいいの。でも、できることをしないうちに道を決めたくない」
父さまは強く目頭を押さえた。生真面目でちょっぴり融通が利かなくて、貧乏くじを引かされても黙々と仕事する涙もろい父。
おそらく父さまは、ありとあらゆる方法を使って、愛娘のために仕事を見つけてくれたのだろう。
わたしは貴族女性の憧れ、騎士団のキッチン・メイドの仕事を紹介されたのだった。