恋あそび
あらすじの「たづき(又はたつき)」は生計の手段という意味合いです。言い換えれば、「生きがいというほどでもない仕事」でしょうか。
「遊びは仕事ではない」と言ってしまうと、あまりにも当たり前ですので、ちょっと装飾で誤魔化してみました。
恋を遊びと擬えば
遊ぶ手はずや算段に 夢中になりて、遊ぶより
習うことこそ楽しけれ
恋を遊びと擬えば 「追えば逃げる」の逆手取り
追わず焦らして追わせれば 終わらぬ恋の燃え上がる
恋を遊びと擬えば 六道転げ地獄まで
落とし、落とされ、堕ちぬよう 人の道をば綱渡る
恋を遊びと擬えば 一夜限りの暁烏
鳴かぬ躾けの駕籠の鳥 鳴かす修行に苦行する
恋を遊びと擬えば 明けぬ想いに夜は更けて
いつか、ふけゆく己が身に 惑う朝を迎えゆく
恋を遊びと擬えば いつか、遊びもいのちがけ
それを恋とぞ申すなら 何ら、愛とも変わるまじ
恋を遊べば、遊べずの 人は、こころに行き当たり
恋に遊ばれ、憐れにも 愛を尋ねる人となる
「恋を遊びと見做せば」という、文章を書く人の普遍的なテーマを貶めるような詩になっていますが、文字通りではないニュアンスを詩の本文から読み取っていただけましたら幸いです。
それにしても「遊び」は重要です。人が人として生きるために不可欠なものだと考えています。上手く遊べるか否かは、また、別の問題ですが。