第5話 これからよろしくお願いします
右には、ポニーテールをブンブン揺らしている朝霧。
瞳がキラキラと輝き、覗き込むと吸い込まれてしまいそうだ。
正面には、少し前屈みになって俺のことを見上げる花香さん。
その姿勢のせいできれいな胸がより強調されてずっと眺めていたくなる。
左には、右手で口元を隠しながら俺の反応をじっと待つつぐみ。
左手はぎゅっと握っているのがいじらしくて抱き締めてしまいたくなる。
この三人に同時に告白の返事を迫られるなんて、妄想の中なら最高のシチュエーションに違いない。
けれど、これは現実。
できることなら仕切り直したいところだけど、俺の背後には体育館の壁があって逃げ出すことはできない。
何かを言わなければいけないけれど、考えがまとまらない。
頭の中を整理するように慎重に言葉を選びながら、俺は口を開く。
「三人の気持ちはものすごくありがたいし、できることなら全員の思いに応えたいって思ってる。だけど……」
「けど、何?」
朝霧が急かしてくる。
「けどさ、全員と付き合うなんてことは無理だから……」
だからゆっくり考えさせてほしいと、続けようとした俺の言葉を花香さんが引き取る。
「そうね。けれど、ほんとにそうなのかしら?」
「はっ? どういうことですか?」
全然想定していなかった言葉を聞き、目を見開く俺に向かって花香さんは頷く。
「私は別に構わないのだけれど」
「構わないって何がですか?」
「この際、碧人くんが付き合うのは、私だけじゃなくていいの」
いやいやいやいやいやいや!?
この人は何を言っているんだ?
「宇都宮さんっ、あなたは正気ですか?」
「そうよっ、二股を認めるなんてどうかしてるんじゃないのっ?」
詰め寄るつぐみと朝霧に対して、花香さんは平然と「違うわよ」と告げる。
「私が言っているのは、三股でもいいっていうことよ」
常識外れもいいところの花香さんの提案を聞き、
「さっ、さっ、さっ、さっ、さっ、さっ、さっ、さっ、さっ」
目をグルグル回してすっかりバグってしまったつぐみ。
「はぁあ? 頭おかしいんじゃないの?」
両手を腰にやり、あきれ顔を向ける朝霧。
そんな二人の顔を順に見回して、花香さんは大仰にため息をついた。
「このままじゃ、らちが明かないわね。ちょっと碧人くんは向こうに行っててくれる? 女だけで話した方が早いから」
憮然とした表情を浮かべる花香さんに逆らう気にならず、俺は素直にその場を離れる。
かしましく声を上げ始めた三人から距離を取り、空を見上げるとコッペパンをちぎったような白い雲がプカプカ浮いていた。
あの雲みたいに俺もいっそのこと、この場から立ち去った方がいいんじゃないか。
それで、明日にでもそれぞれ一人ずつ話をすれば、いろいろうまくいくんじゃないのか。
うん、きっとそうだ。
今日はさっさと帰って、晩御飯を食べて、ゆっくりお風呂に入って、それから誰の告白にOKするかをちゃんと考えよう。
そんな風に現実逃避をしてから振り返ると、花香さんが手招きしていた。
もしかして、もう話はまとまったのか?
さっきの朝霧とつぐみの反応からすると、三股なんて結論に達するはずはないし、誰か一人が俺の彼女になるって話になったはずだから、もっと時間がかかると思ってたんだけど……。
これじゃあ仕切り直すことはできそうにない。
なんて考え込んでいると、
「何をしてるの碧人くん? 早くこっちに来てちょうだい」
「そうだよ。伊達、さっさと来てよ」
「アオくん、お願いします」
三者三様に呼びかけてきた。
こうなると、逃げるのは悪手でしかない。誰とも付き合えないことにもなりかねない。
せっかく彼女ができるチャンスなのに、それだけは避けたいと判断して俺はおずおずと三人の所に向かう。
……しかし、三人で話し合って結論が出たとなると、俺はその人と付き合うことになるのか。
たしかに彼女はほしいけれど、それはそれでなんか違う気がする。
この三人だったら誰が彼女でも文句はないから、俺の意思が無視されるのは仕方がない。
でも、その一人と付き合ったら残りの二人の意思がないがしろにされてしまう。
それは、やっぱり良くないと思う。一人のために二人を犠牲にしてしまうことは良くない。
だから――やっぱり俺はこの三人の誰とも付き合えない。
残念だけど、そう応えるしかない。
自らチャンスを逃すことになるのかと、内心、落胆しながら俺は三人の前に立つ。
「悪いけど、俺は三人のうちの誰か一人とは付き合えないよ。俺は誰も傷つけたくないんだ」
声にはできる限り誠実な思いを込めた。
すると、
「違うんです」
つぐみがふるふると首を振る。
「何を勘違いしてんのよ」
朝霧は左手を頬に添えながら言う。
「えぇ、碧人くんは何も心配しなくていいの」
花香さんはにっこり笑顔を俺に向けてくる。
「……どういうことですか?」
「私たちは、合意に達したの。――三人とも碧人くんの彼女になるってことに」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ! おかしくないですか?」
慌てる俺に花香さんは、
「そんなことないわよ。三権分立の原則通りなのだから」
こともなげにそんなことを言う。
「いや、だからって、どう考えても三股って変でしょ?」
「まぁ、正直言えば私も碧人くんのことは独り占めしたいって思っているわよ」
「じゃあ……」
「けれど、私は一人の女の子である前に生徒会長でもあるの。学校の円滑な運営のためには仕方がないことなのよ」
相変わらずの理屈を並べ立ててくる。
たしかにそれはその通りなんだけど、ほんとにそれでいいのか?
「つぐみはどうなんだよ? 風紀委員長として三股なんて許していいのか?」
「そうですね、原則からすればそんな不埒なことを許すべきではないのでしょうね」
「だろ? じゃあ、花香さんに何か言ってやってくれよ?」
「いえ、しかし、今回のケースに関しては、学校の秩序を守るために仕方ないことなんです」
「えぇ? つぐみまで何を言ってるんだよ?」
「だって、学校のパワーバランスが崩れてしまったら、秩序を守るどころの話ではなくなってしまいますから」
……ダメだ。
頼りのつぐみですらこんな調子で取り付く島もない。
でも、こんなおかしなことは何とかしなくちゃいけない。
最後の希望を俺は朝霧に託す。
「なぁ、朝霧はどう思ってるんだよ?」
「悪くない話、だと思ってるけど」
「なんでだよ?」
「花香会長に言われたんだけど、専門委員会の理念とも合致してるんだよね」
「いや、分からないんだけど」
「だってさ、一人の幸せのために他の人を犠牲にしたらいけないっていうのが、専門委員会の目指すところでしょ? だったら、三股でもいいかなって」
「それ、絶対に花香さんにたぶらかされてるだけだろ?」
「そんなことないしっ!」
朝霧はそう言って俺に人差し指をびしりと突きつけてきた。
だけど、これではっきりした。
もはや、誰と話しても交渉の余地は残っていないらしい。
つぐみに告白された時は、やっと俺にも彼女ができると小躍りしたい気分だった。
それなのに、どうしてこうなった?
肩を落とす俺に花香さんが言う。
「碧人くんも嬉しいでしょ? こんなにかわいい彼女が三人もできて」
「まぁ、そりゃ嬉しくないと言ったら嘘になりますけど……」
「でしょ? だったら、もうちょっと笑顔を見せてほしいのだけれど」
「そう言われても、今は嬉しさよりも、なんていうか戸惑いの方が大きいですね」
「大丈夫ですよ。ゆっくりこの関係に慣れていきましょう?」
つぐみは首を傾けながらそう声をかけてくれる。
やっぱり優しくていい子だ。
「そうだよ、戸惑ってるのはあたしも一緒なんだから。大事なのはこれからだよ」
朝霧もギュッと胸の前に両手を掲げてみせる。
こんな風に俺のことを気遣ってくれるのはありがたい。
「碧人くんが混乱してしまうのも分かるわ。だから、今日のところはこれで解散にしましょう」
花香さんが髪をそっと撫でながら言う。
理解できないところもあるけど、頼りになるのは変わらない。
俺は一呼吸置いてから三人の顔を見回す。
誰を見てもかわいいし、きれいだし、だれ一人とっても俺の彼女にはもったいないと思う。
けど、その三人全員が彼女になるなんて。
これは幸せ……なんだよな?
どうなんだろう?
いや、今は考えるのはもうやめよう。
花香さんの言葉に甘えさせてもらおう。
「じゃあ、とにかく、これからよろしくお願いします」
俺が腰を折り曲げると、
「ええ、こちらこそ」
「はい、お願いします」
「うんっ、そうだね」
三人から明るい声が返ってきた。