第28話 碧人って呼びたいの
俺たちは結局、テーブルとビュッフェを五往復ぐらいした。
満足感に浸りながら朝霧は紅茶、俺は煎茶をすすっていた。
適度な渋みが口の中の甘さをほどよく中和してくれる。
「おいしかったね?」
「あぁ、そうだな」
幸せな時間の余韻をかみしめるように互いに口数は少ない。
こんな時間を積み重ねていきたいなって、俺がしみじみ思っていた時だった。
顔をわずかに伏せた朝霧がこちらの反応を窺うようにチラチラっと視線を送ってきた。
「そろそろいいかなって思うんだよね?」
「ん? 何のことだ?」
「えっとさ、こないださ、伊達があたしのことを下の名前で呼ぼうとしたじゃない?」
「うん、そうだったな」
「あたしも、やっぱり、あ……碧人って呼びたいの」
花香さんにもつぐみにも、俺は下の名前で呼ばれてるし、反対する理由なんてもちろんない。
この間はお互い恥ずかしくて失敗したけど、確かに一緒に大きな問題を解決した今なら下の名前で呼んでもいいかもな。
まだ躊躇しがちな彼女に、俺は大きく頷いてやる。
「いいよ、月奈」
……うっ、やっぱり恥ずかしい。
朝霧……じゃなくて月奈には抱き付かれたりもしたわけだし、もっと照れる経験をしたはずなのに、この下の名前で呼び合うようになる瞬間の恥ずかしさって何なんだろうな。
「うん、ありがと、碧人」
頷き返す月奈もやっぱり顔を赤く染めていて、そんな表情がいとおしくて、何て言葉を返そうかなって考えていた時。
「ようやく二人もそこまで仲を深められたのね」
俺たちのテーブルの横に花香さんが立っていた。
「いまどき、下の名前で呼ぶのが照れるのなんて中学生なんですか?」
隣にはつぐみ。
「はっ、なんで二人がここにいるの? って、ついこの間まで中学生だったつぐみちゃんに、中学生なんですかなんて言われたくないんだけどっ!」
「けど、朝霧さんの顔、まだ赤いですよ?」
「なっ、これはっ、そのっ、紅茶よ。紅茶が熱かったからだよ」
「紅茶を持ってきたのは十分以上前でしょう? その言い訳は苦しいわよ、月奈さん」
「ええっ? 二人はいつから見てたの?」
驚く俺に花香さんはあきれた顔をしてみせる。
「あなたたちが席についてすぐに、私たちもその後ろのテーブルに座ったのだけれど」
「アオくん、ほんとに気付かなかったんですか?」
「……まったく分からなかった」
ということは、
「二人の甘い会話も全て聞かせてもらっていたわよ。ねぇ、つぐみさん?」
「はいっ、甘すぎてケーキがあんまり食べられませんでした」
「けれど、碧人くんは月奈さんといるとなんでこうもうぶな反応をするのかしらね。私と二人でいる時はもっと情熱的なのに」
「えっ、俺そんな恥ずかしくなるようなことした?」
「ええ、そうね」
「アオくんはわたしにも積極的ですよ。その思い出だけでわたしは一生、幸せに過ごしていけそうです」
「……つぐみ? 何言ってんだよ?」
容赦なく攻め立ててくる花香さんとつぐみ。
俺がポカンと情けなく口を開けていると、
「へぇー、そうなんだぁ。……なんであたしにはグイグイ来てくれないのかな?」
月奈がジト目を向けてきていた。
「ちょっ、誤解だからな」
「どうなのかな? あたしだけ平等に扱ってくれてないんじゃないかな? あっ、これは三権分立崩壊の危機だね」
「だから、違うって。それに、もし俺が積極的に月奈に接したら、月奈は恥ずかしがるだろ?」
「そこを何とかするのは碧人の責任でしょっ!」
ビシッと人差し指を俺の眼前に突きつける月奈。
花香さんとつぐみはそんな俺たちを見ながら愉快そうに笑っている。
打つ手なしとはこのことだ。
この仕打ちは、ほんとに信じられない。
――けど、この数週間、信じられないことばかり起こった。
友達すらほとんどいない俺に、彼女ができて。
しかも、一人じゃなくて三人。
初めは戸惑ったけれど、今となってはこの関係を守りたいって思ってる。
学校新聞の騒動があって、一時はどうなることかと不安にもなったけど、それを乗り越えた今となっては、絆がより深くなった気がする。
花香さんも、月奈も、つぐみも、みんな大切な俺の彼女だ。
だから、俺は幸せそうに笑っている三人に頭を下げる。
「頼りない俺だけど、みんな、これからもよろしくお願いします」




