第26話 これが愛の力というものかしら
――が、その動きはすんでのところで止められた。
「ダメよ、碧人くん」
そう言って、横に立ち俺の右腕を掴むのは花香さん。
「碧人くんの手は人を叩くためのものじゃないのだから」
言いながら花香さんはゆっくりと俺の腕を下ろすと、俺の右手に左手の指を絡ませてきた。
「そうですよ。アオくんの手は乱暴に扱っちゃいけないんですよ。……では、こちらの手はわたしが」
そう言うのはつぐみ。
俺の左側に立ち、左手を掴むとギュッと握ってきた。
顔を真っ赤にしながら上目遣いで俺の方を見つめている。
「ちょっ、ちょっと二人ともずるいっ! うーん、なら、えいっ!」
その声は朝霧のもの。
タックルするように俺の背後から抱き付いてきた。
「うー」と唸っているところを見ると、だいぶ恥ずかしいらしい。
いや、俺も恥ずかしいんだけどね。
右手を花香さんに掴まれ、左手をつぐみに握られ、背中から朝霧に抱き付かれている。
……一体全体、何なんだこの状況は?
「何なのあなたたちは?」
串本さんは思いっきりあきれ顔を浮かべている。
そう言いたくもなりますよね、と俺は思うのだが、
「見れば分かるでしょう?」
花香さんは冷淡に返す。
「分からないんだけど……」
呆けたように俺たちを眺めている串本さんに、俺も同意せざるを得ない。
「つまりですね、わたしたちは三人ともアオくんのことをこれだけ大切に思ってるってことですよ」
つぐみの言葉に、串本さんは「はぁ」とだけ返す。
「だから、あたしたちの関係はただれた関係なんかじゃないし、人目をはばからないといけないようなものじゃないってことよっ!」
朝霧が俺とつぐみの間から顔を覗かせる。
「……あなたたちはそれでいいの?」
串本さんはなおも怪訝そうな表情を浮かべている。
「もちろんよ。私たち四人はお互いを信頼し合っているのだから」
と花香さん。
「当たり前でしょ。あたしたちは支え合っているんだから」
とは朝霧。
「まったく問題ありません。わたしたちは尊重し合っていますから」
最後はつぐみだった。
――みんな、そんな風に思ってくれていたのか。
俺の胸はじんわりと温かくなる。
この関係を守ろうと必死で、三人が何を考えているのかまで思いが至らなかったけど、こうして言葉にしてもらえるとほんとに嬉しい。
あらためてこの三人との付き合いを大切にしていきたいって思いが強くなった。
感動に打ち震える俺の眼前で串本さんはポカンと口を開けている。
差し込む夕日が朱色をましている部屋の中で沈黙が続く。
壁にかけられた時計の秒針がやけに大きく聞こえる。
俺たちは伝えるべきことはすべて串本さんに伝えた。だからあとは待つことしかできない。
彼女の反応が怖くて体が強ばりそうになるけれど、花香さん、つぐみ、それに朝霧が文字通りすぐそばにいてくれることが心強い。
そうしてどれだけの時間がたったのだろうか。
何かのはずみで秒針が一際大きな音を立てた時。
「……分かった。もう分かったから」
串本さんはもうほんとにうんざりって感じの顔をすると、先ほどまで座っていた奥のテーブルに戻る。
スマホを取り出すと、「私が間違ってました。……ええ、はい。弾劾会議は中止ということで」と、誰かと話していた。
「終わったのか……?」
つぶやく俺に
「ええ、碧人くんのおかげね。まぁ、これが愛の力というものかしら」
「愛の力、なんて恥ずかしくないんですか? ……けど、伊達はよくやったよ」
「はいっ、これでわたしたちの関係は続けられるんですね」
三人が代わる代わる声をかけてくれた。
ほんとに良かった。
始まったばっかりの俺たちの関係が終わらなくて。
大切な三人を守ることができて。
そんな風に感慨に浸っていると、串本さんが呆れたようにこちらに目を向けてきた。
「あなたたちには敵わないわ」
「突然そう言われても俺にはわけが分からないんですけど、どうしたんですか?」
「私は風紀委員長という権力が欲しかったの。だけど、あなたたちを見ていると、三権分立は一つの権力だけは意味がなくて、三つの権力が協力し合うことで本当の意味を持つということに気付かされたの」
「そうだったんですね」
「ええ、私が間違ってたわ。伊達くん、彼女たちを大切にしてあげなさいよ」
串本さんはそう言い残すと、静かに部屋を出て行った。
これでほんとに安心できる。
これで俺たちの関係を守ることができた。
そう思うと、体から力が抜けてきた。
けど、何か忘れている気がする、と視線を上げると、南郷の姿が目に入った。
――ヤバっ。
こんな場面を新聞部部長に見られると、また変なことを書かれてしまう。
と、思ったのだけど、南郷は真っ赤に染めた顔を両手で覆って指の隙間からこちらの様子を窺うばかりで何も言ってこない。
「南郷?」
記事にはしないでくれと伝えるために俺が声をかけても、「あわわわわ。……羨ましい」とかなんとかつぶやくばかりだ。
声が小さすぎて、なんて言ってるかちゃんと聞き取れなかったけど、まぁ、あの様子を見る限り大丈夫だろう。
「じゃあ、帰ろう」
俺の言葉に花香さん、つぐみ、朝霧は同時に頷いてくれた。




