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第19話 羨ましいなって思って

「簡単にいくとは思ってなかったけど、ほんとに全然ダメだったね」


 学校帰りのファストフード店。

 目の前に座る朝霧はため息とともにそんな言葉を吐き出す。


「さっきも聞いたけどさ、南郷は嘘はついてないんだよね?」

「あぁ、それだけは間違いない」

「伊達が言うんなら間違いないんだろうけど……。でも、花香会長とつぐみちゃんも嘘はついていないわけだし。じゃあ、やっぱり南郷に嘘の情報を伝えた人がいるってことなんだよね」

「そうだな。それを割り出さないことには、この事態は何ともしようがない」

「だよね。けど、さっきの感じだと南郷は絶対に口を割らないだろうし」


 八方塞がりとは、このことを言うんだろうな。

 解決するための道筋はぼんやりとはいえ見えている。

 南郷の情報源さえ分かれば、どういう意図があって誤った情報を流したのかを探ることはできるはずだ。

 ただ、そこにたどり着くためのきっかけが全く分からないっていうのが、歯がゆい。

 朝霧も同じようなことを考えているらしく、アイスコーヒーをすすりながら苦虫をかみつぶしたような顔をしている。


 と、思っていたのだが、

「にがっ……」

 朝霧はストローから口を離してつぶやく。苦虫じゃなくて、ほんとに苦かったらしい。

「やっぱりブラックじゃ飲めないね」

 そう付け加える。


「さっき店員さんに砂糖とミルクはいらないって言ったのは自分じゃないのか?」

「そうだけどさ……。飲めるかと思ったんだよね」

「その言い方からすると、もしかしてブラックコーヒーを飲んだことないのか?」

「うん」


 純粋な表情で頷く朝霧に俺はあきれ顔を向ける。


「じゃあ、なんでブラックにしたんだよ?」

「えー、だって、こういう小難しい話をする時って、ブラックコーヒーってイメージじゃない?」

「何のイメージなんだよ、それは?」

「さあ?」

「さあって……」

「別にそんなことどうでもいいでしょ。そんなことより、あたしには気になってることがあるんだけど」


 そう言って、朝霧はカバンを漁る。

 取り出したのは俺たちが対応に頭を悩ませている学校新聞のコピー。

 あらためてちゃんと記事を読もうってことか。

 朝霧の変なこだわりについて話しても仕方ないしな。

 と、思っていたのだが、続く朝霧の発言はまたしても俺の想像の斜め上をいった。


「あのさ、いちおう聞くんだけど、この写真って本物なんだよね? 合成とかじゃないよね?」


 テーブルに新聞を置き、細い指で示すのは、俺と花香さんが手をつないでいる場面が写った写真。

 それが間違いではないってことは伝えておいた気もするんだけど、今さら何が気になるってんだろうか?


「そうだぞ。遠足の時にカフェにいた俺と花香さんの写真で間違いない」

「そっか……」


 朝霧はそうつぶやいて目線を落とし、写真に見入る。

 この写真を撮られてしまったのは、たしかにまずかったけれど、その事実はもう取り消すことはできない。

 だというのに、朝霧は何を気にしているんだろうか?


「その写真がどうかしたのか? もしかして、ガラスに撮影した人の姿が写ってたりするのか?」

「ううん、そうじゃないよ」

「じゃあ、どうしたんだよ?」

「あのね……ちょっと、羨ましいなって思って」


 そう告げる朝霧の声はか細い。

 そんな反応をするのも理解できないけど、なにより発言の真意が俺には分からない。


「羨ましい?」

「そう。こんな時にこんなことを言ったら、伊達は怒るかもしれないけど」

「いや、そもそも羨ましいって朝霧が言うのが分からないんだが……」


 頭をかく俺に、朝霧は顔を伏せたままとがめるような視線を投げかけてくる。


「もうっ、それぐらい分かってよ」


 唇を尖らせている朝霧の表情は普段とは違って少し子どもじみている。

 見慣れないそんな顔はかわいい。

 ――なんて思ってる場合じゃないんだろうな。

 彼女の気持ちが汲み取れないなんて我ながら情けないけれど、ここは正直に訊ねるしかない。


「ごめん、悪いけど、ほんとに朝霧が何を考えているのか俺には分からない。頼む、教えてくれ」


 テーブルに両手をついて頭を下げると、頭上にため息が響いた。

 いや、何もそんなに大きくため息をつかなくてもいいのに。

 そう思いながら顔を上げると、朝霧はあきれ顔を浮かべていた。


「あたしが言いたいのは、……手をつなぐのが羨ましいってこと」

 ぽしょり、そう言いながら、朝霧は頬を赤く染めて俺から顔を逸らす。


 ……そんなことか。


 いや、違う。そうじゃない。

 そんなこと、なんて思ったらいけない。

 遠足の日、朝霧も俺に手をつなぎたいと伝えてきた。

 ただ、学校行事の最中だからと言って、俺が断ったんだった。

 だから、朝霧が俺と花香さんが手をつないだ写真を見て、羨ましいと思うのは当たり前のことなんだよな。


「そっか。そう、だよな。場の流れで手をつないだとはいえ、朝霧とはできなかったことだもんな」

「そうだよ。あたしも彼女だってこと、忘れないでよね」

「もちろんだよ。忘れてなんかいないよ」

「……じゃあ」


 朝霧はおずおずとテーブルの上に手を差し出す。

 これは……この場で手をつなげってことか?

 うーん、しかし。

 学校の帰り道にあるこのファストフード店には、俺たちの学校の生徒もたびたび訪れる。

 今のところ、その姿は見当たらないけれど、そろそろ部活帰りの生徒たちが立ち寄る時間帯に差しかかろうとしている。

 しかし、ここで断ると二回連続で朝霧からの申し出にノーと言うことになってしまう。

 朝霧も大事な彼女の一人なんだし、悲しませたくない。


 ――よしっ、ここは男を見せる場面だ。


 もし誰かに見つかったら、その時のことはその時に考えればいい。


 意を決して俺がテーブルの上に手を差し出すと、

「なーんてね」

 朝霧は慌てて手を引っ込めた。


「さすがに今はないよね。あたしと伊達が手をつないでるところを、誰かに見られでもしたら事態は余計にこんがらがっちゃうしね」


 そう笑ってみせる。

 ただ、その笑顔は無理してつくられたものにしか見えない。


「今日はこれ以上話しても何も出てきそうにないから帰ろ?」

 朝霧はそう言って、ズズズっとアイスコーヒーを飲み干す。

 苦いのは苦手ってさっきぼやいていたばかりなのに、無理しているのがありありと見て取れて俺の胸がチクリと痛む。


「行くよ?」

 空になったアイスコーヒーの乗ったトレイ片手に立ち上がる朝霧。

 一歩踏み出して、首だけで振り返る。

「けど、ちゃんと埋め合わせはしてね?」

 はにかんだような、それでいて寂しさも感じさせる笑顔が、さらに俺の胸を締め付ける。

 面倒なことが片付いたら絶対に朝霧の願いをかなえてやろう。


俺は密かに決意し、

「もちろん」

 できる限りの笑顔を浮かべて朝霧の言葉に応えた。


■  □  ■


 帰宅後、適当に夕食を済ませると俺はベッドに仰向けになって横たわる。

 スマホを手にして、おなじみの青いアイコンをタップ。アマギゴエさんに今の状況を説明するメッセージを送った。


『なかなか大変そうだな』

 反応はすぐ返ってきた。

『解決するためのタイムリミットは来週の火曜……いやその前日だから、実際は月曜の放課後、最悪でも夜か』


 ……ん? タイムリミット?

 いや、確かにその通りなんだよな。

 俺たちの学校の新聞は毎号、地域にも配られることになっている。

 今は校内に掲示されているだけだから、まだ状況はましだけれど、来週の火曜になれば学校周辺の商店街にも張り出される。

 生徒会と風紀委員が癒着しているだなんてことが書かれた記事を地域の人が目にすれば、それが真実でなくても花香さんやつぐみが現在の役職にとどまるのは難しくなる。

 だから、まずは新聞が地域に配られるのを防がないといけない。


 今日が木曜で、明日が終われば週末で学校は休み。そう考えると、俺たちに残された時間はほとんどないと言ってもいい。

 けど、そんなことまでアマギゴエさんに説明したかな?


『まぁ、そうなんですけど、なんでそこまで知ってるんですか?』

『…………。それは、あれだ。ワテもたまに君たちの学校近くの商店街には行くからな。どこかの店の店主とそんな話をしたことがあるんだよ。たぶん』


 ふーん。

 勝手にアマギゴエさんは遠くに住んでる人なのかと思ってたけど、意外と近くに住んでるんだな。

 まぁ、どちらにせよ、本題はこれから。


『で、どうすればいいですかね? 全く手がかりがないんですけど?』

『こういう時に大事なのは、状況をきちんと整理することだ』

『それは分かってますけど、それが簡単にできれば苦労してないですよ』

『一番の問題は、生徒会と風紀委員が癒着していると、記事に書かれたことなんだよな?』

『そうですね』

『だったら、その情報を流すことで得をする人がいるのかどうかは考えたか?』

『それは……考えてませんでした』

『うむ。なら、どうすればいいのか答えは分かるな?』

『いきなりそう言われても……。せめて、どう考えればいいのかヒントをもらえませんか?』


 そんな俺の問いかけに、今までのペースよりちょっと時間がかかって返信があった。


『君は前の風紀委員長を知っているか?』


 専門委員会の庶務として連絡事項を伝えに行ったこともあるから、もちろん知っている。

 つぐみが就任する前の風紀委員長は、三年の串本真衣くしもとまいさん。

 可もなく不可もなく淡々と仕事をこなすって感じだった。

 真面目を絵に描いたようなと言えばいいのか、ありていに言えば地味な見た目の人。

 けど、虚偽の情報を流すことで串本さんにメリットがあるのか?


『あぁ、仕事で話をする程度には知ってますけど。それがどうかしたんですか?』

『なぜ彼女は中途半端な時期に風紀委員長を退くことになったんだ?』

『家庭の事情って聞きましたけど。家が厳しくて受験に専念するためなんじゃないかって噂もあるそうです』

『聞いた、噂。それだけで十分なのかな?』


 どうやら、アマギゴエさんは串本さんを疑ってるらしい。

 それほど深い付き合いがあったわけじゃないけど、風紀委員長まで務めていた人が虚偽の情報を流すなんてことをするとは思えないけどな。

 そんなことを正直に綴ってメッセージを送ると、すぐに返信があった。


『だからこそだよ。彼女が情報を流せば、信用されてもおかしくないだろう?』

『それはそうかも知れないですけど……』

『まぁ、ヒントとしてはこれで十分だろう。あとは君がどう動くか、だよ』


 そんなメッセージを最後に、俺はスマホを枕元に置いた。

 アマギゴエさんは学校の関係者じゃないから、そのものずばりな答えをくれないことは分かっていた。

 事態を解決するためのとっかかりみたいなのが見えてくればいいなと思って相談したんだ。

 けど、前の風紀委員長を疑え、みたいなことを言われて余計に頭がこんがらがった。

 どう動くか、と言われてもねぇ。


 どうすればいいのか、さっぱり分からない。


 何の手がかりもないまま本人に直当たりをしても成果が得られないことは、南郷と話した時にも実感した。

 串本さんと話をするにしても、手ぶらで行くわけにはいかない。

 とりあえず、花香さんとつぐみに何か知っていないかを訊ねるしかなさそうだ。

 そこまで考えをまとめると、俺は眠りについた。

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