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第18話 ケチじゃないっ!

「行くよ」


 放課後、朝霧が教室まで俺を迎えに来た。

 その声には珍しく緊張が感じられた。

 朝霧は今回の騒動の直接の当事者じゃないけど、このままだと俺たちの関係が崩れてしまうってことが分かってるんだろう。

 なんとかしたいって思ってるからこそ失敗できないって、顔を強張らせているんだろう。

 でも、俺は朝霧のそんな顔を見たくない。

 教室を出て新聞部の部室に向かう途中。

 ちょっとからかって緊張を解いてやろうと、できるだけ軽い口調を心がける。


「なぁ、月奈」

「えっ、はっ、へぇっ……? なっ、なんて言った?」


 朝霧は頬を赤く染めて、右手で口元を覆い隠している。

 そんなに照れるなよ……。

 今までずっと苗字で呼び合っていたのに、いきなり下の名前で呼ぶのは俺だって照れるんだよ。


「別にいいだろ? 彼女なんだし」

「そっ、それはそうだけど。……やっぱり、良くないっ!」

「なんでだよ? 俺は花香さんは花香さんって呼んでるし、つぐみはつぐみだし。むしろ三人の彼女の中で一人だけ朝霧って苗字で呼んでるのは変だろ?」

「良くないものは良くないのっ!」

「なんでそんなに照れてるんだよ?」

「だって……今まであたしのことを下の名前で呼んでくれた男の子っていないから……」


 いつの間にか朝霧は立ち止まっていた。

 真っ赤な顔を俯かせて、右手を後ろにまわしてポニーテールを撫でつけている。


 ――ちょっと、いや、控えめに言ってかなりかわいい。


 普段は割とさばさばしてるのに、こんな時だけそんな表情をするなんてずるいってぐらいにいじらしい。

 そんな気持ちを口に出してやれたら、もっといいんだろうけど、さすがに朝霧相手にそれは俺も恥ずかしい。

 下の名前で呼ぶのだけでいっぱいいっぱいだったりする。


「けど、ほんとに、いきなり何なの?」

「何だっていいだろ?」


 照れ隠しに素っ気なく言う俺に、朝霧は「んー」と唸って、

「やっぱりダメっ!」

 と、俺の鼻先に人差し指を突きつけてくる。


「ケチだなぁ」

「ケチじゃないっ! もうっ、からかうのはやめてほしいんだけど……。とにかく、さっさと行くよ?」


 そう言うと、朝霧は俺を置いてずんずん進んでいく。

 さっきまでの緊張は解けたみたいで、いつも通りに元気よく足を動かしている。

 下の名前で呼ぶ許しが貰えなかったのはちょっと残念だけど、まぁ今はこれでいい。

 新聞部の所に行くのに、朝霧が本調子じゃなければ俺も不安だし。


「何してんのっ? 早くしないと置いてくよ?」

「分かってるって」

 俺はまだ少しだけ頬を赤くしている朝霧のあとに続いた。



「あれっ、伊達くんじゃん。どしたのぉ?」


 新聞部の部室の扉を開けると、南郷はいつもの調子を崩さずそう言ってきた。

 部室中央にあるテーブルの向こう側に座って、微笑を浮かべながらこちらを見ている。


「どしたの、じゃないだろ」


 花香さんやつぐみほど影響は大きくないけれど、俺だって学校新聞が巻き起こした騒動の当事者だ。

 それなのに、スナック菓子をつまみながら軽い口調を俺に投げかける南郷の態度が理解できない。


「あっ、もしかして今朝の記事のことで怒ってるのぉ?」

「当たり前だろ。あんないい加減なことを書いてどうしてくれるんだよ?」

「いい加減なんかじゃないよぉ」


 先ほどまでの様子と一変。南郷はスナック菓子から手を離すと、俺に鋭い視線を向けてくる。


「しっかりした情報源から入手した精度の高い情報だから。絶対に間違いはないよぉ」

「けど――」

「伊達くんはさぁ、ウチがいい加減なことを書いたなんて言うけどさぁ。少なくとも伊達くんと宇都宮さんが付き合ってるのは間違いないって君には分かるでしょ。だって君自身のことなんだから」

「…………」


 どう応えるのが正解なのか分からず、俺は口をつぐんでしまう。

 素直に認めていいものだろうか。

 けれど、相手の持っている手札が分からない以上、安易に認めてしまうのも良くない気がする。

 そんな風に逡巡する俺に、南郷は容赦なく言葉を継いでくる。


「それとも、それも違うって言いたいのかなぁ。――けど、それってずるいよねぇ?」

 南郷はいかにも余裕しゃくしゃくって感じで、口の端を上げる。

「ずるいって何がだよ?」

「だってさぁ、伊達くんは人の嘘が見抜けるんだよねぇ。それなのに、自分は嘘をつくのかなぁって思ってさぁ」

「ちょっとあんたっ、いい加減にしなさいよっ!」


 俺の背後から一歩前に出て、朝霧が南郷に人差し指を突きつけた。


「あぁ、朝霧さんもいたんだねぇ」


 気付いていたはずなのに、平然と言ってのけるのは南郷なりの話術なのだろう。

 会話のペースは譲らないっていう意思みたいなものを感じる。


「なっ! いたんだねぇ、じゃないでしょっ! 絶対にあたしのこと見えてたでしょ?」

「あぁ、なんか馬のしっぽみたいなのがブルブル揺れてるかなぁとは思ってたねぇ」

「うっ、馬のしっぽって。せめてちゃんとポニーテールって言いなさいよっ!」

「えー、何でもいいじゃん?」

「もうっ! あんただってツインテールの片っぽを引っこ抜いたら同じになるんだからねっ!」

「そうかなぁ。それはサイドテールだと思うよ?」


 にっこり笑う南郷に、朝霧は「もう許せないっ。引っこ抜いてやるっ!」と近付こうとする。

 いや、そう簡単にツインテールは引っこ抜けないと思うし、抜けたら抜けたで大変なことになるからな。

 とにかく冷静さを失った朝霧をこのままにしておくことはできない。

 俺は朝霧の目の前に手をかざして制する。

 黙ってこちらに視線を送ってくる朝霧に頷いてから、俺は南郷に向き直る。


「なぁ、南郷の目的は何なんだよ?」

「ウチの目的? 前にも伊達くんには教えたはずだけどぉ、そんなの決まってるじゃん。――新聞で正しい情報を発信して、この学校を少しでもいいところにすることだよぉ」


 冷静に俺を見つめる南郷。

 嘘は――ついていない。


「けど、今朝の記事でどうやって学校を良くしていこうって言うんだ?」

「そんなの簡単じゃん。学校の三権分立を司る二人のトップが結託しているだなんて、権力の腐敗以外の何物でもないでしょぉ?」

「それは……そうかもしれない」

「だよねぇ」

「ただそれが、事実だった場合だ」


 食い下がる俺に、南郷は大きくため息をつく。


「ねぇ、そっちこそ、そろそろいい加減にしてくれないかなぁ。ウチは絶対に記事は間違いないって確信してるの。だから、書いたんだよ」

 その声音にはいら立ちも混ざっている。


「伊達、どうなの? 南郷は嘘をついてないの?」

 俺の耳元に手を当てて朝霧が小声で訊ねてくる。


「あぁ、嘘はついてない」

「じゃあ、やっぱりあの記事はほんとのことなのかな?」

「いや、それはない」

「でも、南郷は嘘ついてないんでしょ? だったら、なんでそう思うの?」

「だって、花香さんもつぐみもそんなことをする子じゃないって俺は知ってるからだ」


 俺が即答すると、朝霧は目を大きく見開く。


「そっか、二人のことを信頼してるんだね」

「当たり前だろ、二人とも俺の彼女なんだし」

 そんな風にひそひそ話をしていると、

「あのさぁ、もういいかなぁ?」


 南郷が両手を重ねて大きく伸びをしながら、棘のある言葉を向けてきた。


「こんなことは言いたくないんだけどさぁ。あんまり言いがかりをつけてくるようなら、専門委員会もこの一件にかんでるんじゃないかって邪推したくなっちゃうんだよねぇ」

「なっ、何を言ってるの?」

「いや、何もないなら書かないよ? ウチらの新聞は中立公平、真実だけを載せるってのがモットーだからねぇ」


 皮肉たっぷりの南郷に、一度は食ってかかった朝霧もおとなしくなる。

 ……この辺で引き下がるしかないのかもしれない。

 南郷を追及するにしても、あまりに手札がなさすぎる。

 それに、少なくとも南郷は記事が正しいと確信していて、その言葉に嘘はない。

 ただ、問題は一つ残る。


「南郷、最後に一つだけ教えてくれ」

「ほんとに最後だよぉ」

 南郷は相変わらず人を食ったような表情で応える。

「南郷が嘘をついてないってのは分かった。きっと南郷は手に入れた情報を正しいと信じてるってことなんだよな。――なら、その情報はどこから得たんだ?」

 そう俺が問うと、


 ガタンっ――


「ウチのこと、馬鹿にしてるの?」

 南郷は勢いよく椅子から立ち上がり、俺を睨みつけてきた。


「ウチが情報源を簡単に明かすほどいい加減だと思ってるの? ウチはこの新聞部の仕事に誇りを持ってるんだよ。その気持ちを踏みにじろうっていうの?」


 怒気に満ちたまなざしに俺は気付かされる。

 南郷は新聞を通して学校を良くしたいと言っていた。

 そのためなら情報源をしっかり守り抜く覚悟なんだろう。

 たしかに情報源を簡単にばらすような奴には、誰も話なんてしてくれないだろうし、情報源を守るってのは当たり前だ。

 その覚悟を俺がいたずらに揺さぶってしまったから南郷は怒ってるんだ。


「悪い、南郷。変なことを聞いてしまった」


 腰をしっかり折り曲げて頭を下げる俺に、

「分かってくれたんならいいよぉ」

 南郷はすぐにいつもの調子を取り戻す。


 頭を上げると、柔らかい表情を浮かべていた。

 ……もしかして、怒ってみせたのもブラフなのか?

 それは分からないけれど、とにかく思っていた以上に南郷から情報を引き出すのは骨が折れそうだ。

 いずれにせよ今の俺たちにはもうこの状況を打開することは無理だろう。

 いったん出直すしかない。

 視線だけで朝霧に問うと、朝霧は頷きを返してきた。


「邪魔したな」

 そう南郷に告げて、俺と朝霧は新聞部の部室の入り口に向かう。

「いいよぉ。面白い話があったら教えてねぇ」

 部屋から出る間際、南郷は笑みを浮かべながらそう声をかけてきた。


 俺に続いて廊下に出ると、朝霧は後ろ手でぴしゃりと扉を閉め、

「あんたに話すことなんて一生ないからねっ!」

 扉に向かってあっかんべしていた。

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