十回目
もうなにもしたくない。
在人は叫んで体を起こし、クローゼットや机を掴んで引き倒し、暴れた。床を踏みならし、かばんを振りまわし、マットレスにペンを突き刺し、投げられるものは全部投げ、窓を割った。
父母が出入り口の辺りで、在人をこわごわ見ていた。
「父さん、母さん」
在人は、ふたりの後ろ、体を縮めるようにして、怯え、在人を見ているいつきと目を合わせながら、淡々といった。「いつきは病気になってる。山下病院で検査してもらわないと、来年死ぬ」
いつきが泣き出した。
在人は父に怒鳴られても、母にひっ叩かれても、節を枉げない。両親は在人の挑発にのった。検査したら違うと解るんだから検査しろといったのだ。
検査は行われ、いつきの病気が解った。両親は在人を叱ったことを後悔しているらしかった。
いつきが入院して心配だ、と、七海と幡野、両方に相談した。両方に好きだといった。両方と付き合った。
囲碁部はあった。入部した。一郎丸ともなかよくした。一郎丸も見舞に来てくれるようになった。
留島に、いつきの見舞に来てくれと頼んだ。その日は、七海がお見舞に行くねといっていた日だ。
七海と留島は知り合い、留島はやっぱり七海を好きになったようだった。でも、俺の彼女なんだといった。自慢げに。
いつきは退院した。
在人は進級した。
内部進学すると決めていた。
七海とも幡野ともセックスした。
七海ははじめてではないことを申し訳なそうにし、幡野ははじめてではじらった。
二股は、七海も幡野も気付いていた。どちらも、どうしてだか、それでも在人を罵らないし、気付かないふりをしている。でも幡野は泣いているらしかった。
高校にはいってすぐ、七海を呼び出して、別れてほしいといった。七海は泣いて、承諾した。
一郎丸と幡野がそれを見ていた。当然だ。そういう場所を在人は選んだ。七海はどんな人間の悪口もいわない。在人のことも誰にもいわずに胸の奥にしまい込んだだろう。それではだめなのだ。
一郎丸と留島は、似たような性格で、なかよくなっていた。留島が七海を好きなのも知っていた。一郎丸が留島に連絡し、留島が幡野高校にのりこんできて、在人ととっくみあいの喧嘩になった。
在人は七海を罵った。清楚に見えたから付き合ったのに処女でもなかったといった。留島に殴られて、鼻と頬骨を折った。
留島とは絶交した。七海は転校していった。留島が居る高校へ行ったらしい。幡野から聴いた。
「あなたもばかね」
怪我がもとで入院している在人を見舞って、幡野はそういった。そういって涙ぐんだ。「ほんとうに……」
幡野は、在人が七海を好きだと、気付いている。
留島と七海は高校卒業後すぐに結婚した。一郎丸から聴いた。その一郎丸は、いつきといつの間にか付き合っていた。留島と一郎丸は似ているから、いつきは一郎丸を好きになったのかもしれない。
在人と幡野は結婚したし、いつきと一郎丸も結婚した。いつきは再発せず、まったく元気だった。
十数年経って、久々に留島と顔を合わせた。
皮肉なことに、それは一郎丸と、いつきの、葬式でだった。妹夫婦は、旅行先で亡くなった。バスの事故だった。
留島は気まずそうに、在人と話した。ななを譲ってくれてありがとうといわれた。在人はなんのことか解らないとはぐらかした。
留島は、ごめんな、といっていた。
一郎丸は両親がすでに亡くなっていて、きょうだいもない。まだ幼い姪と甥には、遺品の整理などできよう筈もない。在人と、妻の藤がそれを請け負った。
中学の卒業アルバムを見付けて、懐かしさのあまりそれを開いた。一郎丸のものだ。彼は藤の写真に、さようならと書いていた。
一郎丸は藤を好いていた。
どうしてなにもかも間違う。
どうしたらいい。
在人は走ってそこから逃げた。どこかへ行きたかった。どこか別の場所、鶴城在人であることから逃げられる場所、自分が先のことなんてなにも知らない場所へ行きたかった。
電車にのろうと思った。
足を踏み外して線路に落ちた。
目が覚めた。