六回目
こうなるのだろうと解っていた。
中学生の時の部屋だ。こんなことはたえられない。
いつきは寝ていた。父母がその寝顔を見て微笑んでいた。在人はふたりに、いつきが肝臓がんではやく手術をしないといけないといった。ふたりは、悪い夢でも見たのだろうと、在人を宥めようとした。
在人は疲れていた。なにもかもに。
いつきを病院へ行かせないなら自分は死ぬといった。両親はいつきと在人をつれて病院へ行き、いつきに検査をうけさせ、在人を心療内科へ受診させた。問診の途中で母が泣きながらはいってきて、いつきが本当にがんだったと喚いた。
超早期で、手術をすれば心配ない。
在人は、病院に居た。留島に電話をかけた。
「鶴城?」留島は動揺している。「なあ、いつきが入院したって、ほんとか? あの元気ないつきが」
「ああ」
声が出ない。在人は泣いていた。
「なあ、留島。頼む。ちょっと……来てくれないか。不安なんだ」
これでいい。これでいいんだ。
留島は一も二もなく駈けつけた。在人が泣いたところなんて知らないのだ。今の彼は。
在人は泣いた。自分のわがままや、いろんなことで、なにもかもが煩わしい。「いつきに、会ってくれ」
「いいのか、家族でもない俺が、はいって」
「あいつはお前に懐いてる。手術までに、元気を多少でも、とりもどしてほしいんだ」
「そうか……」
留島を病室へいれた。母は、いつきの恋心を知っていたようだ。留島が来ると席を外した。在人もそうした。自分はなんにも知らなかったのだと気付いた。病室の外で、在人と母は、なにも喋らずに突っ立っていた。
病室の中から泣き声が聴こえて、すぐに留島が出てきた。「鶴城」
「いいんだ。ごめん」
だめだったと思ったから謝ったのに、留島は真剣な顔で頭を振った。
「謝るのは俺だよ。弱ってるいつきにつけこんで、婚約をとりつけたんだからな」
母が息をのんだ。在人は泣いている。留島はにっこり笑った。「お前と兄弟になるのか。変な感じだ」
留島はそれから、度々いつきを見舞った。いつきは元気になった。結婚するまでは死ねないといっていた。
在人は学校へ行ったが、七海とは関わらないようにした。七海と関わり、留島が七海と知り合えば、また不幸になる。
七海はいつきと知り合いだから、お見舞に行ってもいい、と訊いてきたけれど、家族だけですごしたいと断った。それでも、たまに、いつきの同級生達からだという手紙や、見舞の品を渡してくれた。いつきの友達も締め出してしまったのだなと、少し申し訳なくなった。
「鶴城くん」
いつきが退院し、在人は進級した。七海と関わらないようにしていたし、囲碁部に近寄らなかったから一郎丸とも親しくはならなかった。
幡野が駈け寄ってくる。在人は、このひとと結婚したこともあったのだった、と、ぼんやりする。
「なんだ?」
「あのね、突然悪いんだけど、生徒会にはいってもらえないかしら」
幡野は困った様子で、髪を耳にかけた。「谷口くんが、お家の都合で急に転校することになったの。補選をする時間も費用もないし、会長に立候補していたのは谷口くんだけだったから……」
「会長? 俺が?」
「ええ。あなたは成績もいいし、みんなもあなたのことを知ってるわ。反対意見は出ないと思う。少なくとも、谷口くん含め、あなたを勧誘するのは生徒会の総意です。生徒会全員の許可があれば、会長に就任してもらうことはできるの。ただあなたが、いやだというのなら、断ってくれてもかまいませんけれど」
幡野は少し偉そうな、厳しい口調でいう。それは彼女の癖だ。怒っているのでも、悪感情を持っているのでもないと、在人は知っている。
少し笑ってしまった。幡野はむっとしたが、在人が頼みを承諾したので、嬉しそうにした。
生徒会が忙しい、というのは、囲碁部に一切関わらない理由になる。
あれだけ関わるまいとしていたのに、在人は七海を好きになっていた。
生徒会の仕事はそれなりにあった。各クラブへの予算を振り分けたり、行事を計画・運営したり、クラブから上がってくる設備費などが適切であるかを精査したり。
在人は囲碁を辞めた。留島達にも、同じ高校には行けないかも、と謝った。ひとと付き合ったり、好いたり好かれたり、そういう諸々から逃げたかった。
でも、幡野から好きだといわれた。
断る理由が見付からないし、七海を諦める理由がほしかった。心のなかで、卑怯者と自分を罵った。
在人は幡野と付き合い始めた。
翌年、幡野高校に進学してすぐ、七海が自殺した。
意味が解らなかった。彼女を不幸にしたくなかったのに、彼女を傷付けたくなかったのに、彼女にしあわせになってほしかったのに。
在人は七海の葬式へ行ったが、七海の両親に叩き出された。罵られた。七海が死んだのは在人の所為らしい。
ショックだった。
学校で、七海がいじめられていたと知った。在人は特待生だから、クラスは別だ。なにも知らなかった。幡野も特待生だから知らなかった。
幡野が原因だった。一郎丸が幡野に詰め寄ったのだ。どうしてこんなに間違ってしまったのだろう。幡野と一郎丸は結婚していたのに。
「幡野!」
特待クラスに一郎丸がのりこんできたのは、七海が死んで一週間経った頃だった。一郎丸は七海が死んでから、急に痩せたようだった。
一郎丸は、怯える幡野に掴みかかった。在人は煩わしい、眠たい、死にたい、と思いながら、一郎丸と幡野の間に割ってはいった。一郎丸をきつく抱きしめた。七海が死んでから、巧く眠れない。
「幡野! 七海が死んで満足か?!」
「一郎丸」
在人は喋っているが、なにも考えていないしなにもしたくない。
なにか考えたら死にたくなるからだ。
一郎丸は喚いた。
「お前のお友達が、七海をいじめてたんだ! 七海は誰にも相談できなかった!」
「わ、わたし、わたし……」
幡野はショックをうけたようで、倒れた。一郎丸は泣き崩れ、過呼吸を起こして倒れた。ふたりとも救急車で運ばれていった。在人は黙って、じっとしていた。いじめ。七海が、いじめを苦にして自殺。そんなの信じたくない。
幡野が、在人が七海を思っていると気付いて、友達にそれをもらした。友達は気をまわして、七海にいやがらせをした。七海の半裸の写真を撮って、ネットで拡散させた。七海は男遊びをしていると中傷した。
七海はそれを苦にして死んだ。書き置きがあって、誰も責めないでほしいと書いてあったそうだが、七海をいじめていた連中が七海が死んで喜んだ。幡野のことなんてみんな忘れていた。きっかけなんて。
幡野はなにも知らなかった。
幡野は七海への謝罪を残して自殺した。
在人は家から出られなくなった。外へ行ったら誰かを不幸にする。自分が関わらなかったら、七海は死ななかった。幡野も死ななかった。
一郎丸が謝りに来た。一郎丸も、幡野に対してあんなことをいうべきではなかったと悔やんでいた。一郎丸も死にそうでこわかった。死なないでほしいと頼んだ。一郎丸は死なないとはいわなかった。
ろくでもないことをした。一郎丸と寝た。それで一郎丸が死なないならよかった。
在人は外に出ない。留島はたまに来て、在人と少し喋り、いつきとデートに行った。いつきは定期的に検査をうけて、なにも心配はないと太鼓判を押されていた。
一郎丸もたまに来た。本当に愚かしいけれどその度に寝た。一郎丸は泣いた。自分の所為で幡野まで死んだのだと泣いた。違う。全部俺の所為だ。
一郎丸は死なない。在人が居る限り死なない。そう約束した。在人はそれを信じた。一郎丸を死なせない為に自分は生きている。
七海と幡野が死んで三年、在人はひきこもった。それから、ある日、ふと思い立って一郎丸と一緒にでかけた。
「今から一年頑張ればお前、俺の後輩になれるよ」一郎丸は笑った。「お前頭いいからさ。予備校、行けよ」
それもいいのかもしれない。一郎丸と一緒に居ればいいのかも。七海と幡野の死に責任を持ち、一郎丸が死なない為に生きている自分は、一郎丸と一緒に居るべきかもしれない。
一郎丸が笑っているのが見えた。
なにかが巧くいくような気がしていたのがばかだった。
一郎丸が刺された。在人の目の前で。通り魔だ。そいつはなんの感情もなかった。在人は自分を見ている気がした。
一郎丸を刺したナイフでそいつは在人を刺した。
目が覚めた。