三回目
朝だな、と思う。
うとうとしていると、楽しそうな声が聴こえてきた。今日は、息子一家が遊びに来ていたっけ、と考える。
はっとした。
部屋を飛びだして階段を駈けおりる。リビングには父母といつきが居る。
「おはよ、お兄ちゃん。……どうしたの?」
いつきは生きている。
在人は泣いた。父母もいつきも、在人が泣いたことに驚いたようだった。
「父さん」
在人は泣きながら、父に懇願した。「いつきを……今すぐ病院へ」
「お兄ちゃん? なにいってるの」
「お願いだから、いつきを山下病院へ。すぐ、すぐに検査を、しなくちゃ」
突然だったが、在人は普段、泣き喚いたりしない。父母が顔を見合わせている。在人はリビングの床に正座して、体を投げ出すように土下座した。「お願いします! いつきを山下病院へつれていってください!」
土下座までした在人に、家族は仰天した。泣きじゃくる在人も車にのせ、家族四人で、病院へ行った。いつきが最後に入院していた病院へ。
検査の結果はすぐに出た。在人にいつきの病状説明をしてくれていた先生が居て、やっぱりいつきの病状説明をしてくれた。
「肝臓がんです」その言葉はでも、少しやわらかい調子で語られた。「ただ、超早期ですので、二ヶ月程度の入院でなんとかなるでしょう。この部分の切除は必要になりますが」
「がん……ですか?」
母が震える声で訊く。父はまっさおになって、今にも倒れそうだった。
先生は頷いて、不思議そうに両親を見る。「なにか、兆候があって、いらっしたのでしょう?」
「いえ……あの……この子が。いつきの兄なんですが、今朝突然、いつきを病院へと……」
先生はまだ泣いている在人を見た。頷く。
「妹さんと仲がいいんだね。なにか、異変を感じとったんでしょう。子どもは鋭いですから」
父母が戸惑い顔で頷いている。
いつきはそのまま入院した。在人は両親に感謝された。
夢で報せたのだと考えた。先生のいうとおり、なにかいつきの言動や顔色なんかに異変を感じていて、それが夢の形をとって出てきたのだと。
囲碁部からの誘いはない。妹ががんで入院したと学校中が知っている。七海はしかし、話しかけてきて、いつきちゃんのお見舞行ってもいい? と訊いてきた。在人は礼をいった。
ある日、クラスメイトが三人ほど、違うと気付いた。
前……といっていいのか、とにかく、居た筈の人間が居ない。居なかった人間が居る。そして誰もそのことを気にしていない。それに、幡野が囲碁部にはいっていた。前は、生徒会が忙しいからと、部活はしていなかったのに。
だが、あれは夢だったのだと在人は考えた。
七海に告白した。
七海は泣いて喜んだ。でも、鶴城くんは今弱ってるから、いつきちゃんが元気になっても同じ気持ちならと、彼女は控えめだった。
いつきは三ヶ月して、退院した。これからも検査は定期的にうけないといけないが、ほとんど心配はないとのことだった。食生活や生活習慣を見直し、鶴城一家は健康的になった。
七海にあらためて告白し、付き合い始めた。囲碁部にはいった。
前の学校の友達と、幡野中学の囲碁部とで、練習試合をした。男女混交の団体戦だ。以前は……夢のなかでは友達になっていた、留島と、七海、一郎丸、幡野はそこで初めて顔を合わせた。
七海と付き合っているというと、留島にからかわれた。
七海と同じ高校がよくて、内部進学にした。
高校二年の冬休みに、ふたりで短い旅行をした。七海ははじめてでないことを申し訳ながった。在人はなにも気にしなかった。
三年生になって、留島が事故死したと報せがあった。
葬式の数日後、仲がよかった友人達で、留島の遺品整理と、形見分けに行った。それは、留島の母親の希望だった。突然の息子の死に、留島の母親は憔悴し、遺品を見ることすらつらいのだと聴いた。
一番仲がよかったのは在人だからと、留島の日記や手帳、ケータイ、手紙の類は在人が任された。
日記を開いて後悔した。
留島は七海を愛していた。
俺が鶴城の立場だったら。俺が先に彼女と知り合っていれば。彼女以外の女性は考えられない。鶴城ばかり得をしてずるい。
そんなようなことがずらずらと書いてあった。
留島は自殺かもしれないと誰かがいっていたのを思い出した。
抱えきれることではなかった。在人は、七海に日記のことを話した。
「それでも……」
七海は泣くのをこらえているようだった。
「それでも、わたしは、鶴城くんを好きになったと思うわ」
それで少しだけ救われた気がした。
留島の日記は、形見分けでもらった。
幡野大学まで、七海と一緒に進み、結婚した。妹は再発することも、転移することもなく、元気に勉強し、大学にも通った。
子どもが三人できた。保育園には通わせず、ベビーシッターを頼んだ。老後の為にとお金を貯めるより、子どもと、妻の安全が第一だからだ。
いつきはルポライターになった。自身の経験がきっかけで、小児のがん患者についての本を上梓し、それなりに売れた。
いつきは在人達の子どもを、自分の子どものように可愛がったけれど、結婚する気はないようだった。
孫が生まれた頃、在人は体調を崩し、病院へ行った。入院し、ベッドで寝たきりの生活が続いた。ななが看護してくれる。いつきもだ。
懐かしい、一郎丸や、幡野も見舞に来てくれた。いや、幡野はずっと昔に一郎丸と結婚したから、一郎丸姓になっている。
目が覚めた。