鶴城いつき
鶴城いつきはゆっくりと、家へ向かって歩いていた。
ケータイの画面を眺める。そこには、兄の友人の、留島アンリの姿がある。こっそり撮った写真は、少しぶれていて、留島の姿ははっきり見えない。
またいつでも機会はあるのだと思っていたけれど、そんなことはなかった。自分ではどうしようもない理由で、引っ越すことになって、転校して……。
でも、転校先の幡野中学校は、いいところだった。
いつきはふふっと笑う。今日も、兄のクラスの幡野藤という女生徒が、放送部を見に来てくれた。彼女は生徒会副会長で、幡野中の理事の娘だ。だから、転校生のことにも気を配らないとならないの、とちょっときついものいいをするが、本当はとても優しくて、中途半端な時期に転校してきたいつきが学年で孤立しないように心を砕いてくれている。
兄も友人に恵まれた。
一郎丸颯佑というクラスメイトと、兄はたまに喋っている。留島と雰囲気が似ているからか、接しやすいようだ。兄はひと付き合いがあまり得意ではないから、いつきは心配していた。兄は友人とはしゃぎまわるようなタイプではないが、一郎丸と話す時はリラックスして見える。
それに、そう。
七海なな。とても素敵な女性だ。自分が男だったら絶対に好きになっていた、と、いつきは断言できる。
やわらかそうな頬で笑って、いつきのことを妹のように可愛がってくれて、兄のこともなにくれと気遣ってくれる。兄はそれを受け容れている。
兄は多分、七海が好きなのだ。でも、その感情を持て余している。はやく気持ちを伝えてしまえばいいのにといつきは思っている。
自分は留島に気持ちを伝えられないのに。
でも、それはまだ、機会がある筈だ。
高校は、兄や留島達と同じところへ進めばいい。
それまでに、幡野や七海みたいに綺麗になることはできなくても、幡野のように優しくて、七海のように他人を気遣える人間になりたい。
そうしたら、留島も、「鶴城在人の妹」ではなく、いつきそのものを見てくれるかも。
いつきはだるさを覚えて、バス停のベンチに腰掛けた。このところ、すぐに息が切れて、気分が悪くなってしまう。それに、生理が不順だった。
母に相談したいけれど、はずかしくてできない。生理用品の減り具合で、気付いているとは思うが、母からなにかいわれることはない。初潮は去年だったし、はじまったばかりの頃はこんなものなのかもしれない、と、いつきは深く考えないようにしている。
ぼんやり、ケータイの画面に触れて、写真を次々に見ていく。
少し前に、留島が電話をかけてきた。兄に用があるみたいだったのに、いつきと話してくれた。いつきはそれが嬉しくて、その晩はうまく眠れなかった。
いつきは安斉では、美術部にはいっていた。幡野中にはないので、部活動をするかどうか迷ったのだが、鶴城さんは声が素敵だからと幡野が放送部をすすめてくれて、そのおかげで先輩達とも面識ができた。幡野はやっぱり、素敵なひとだ。
一郎丸は、兄だけでなく、いつきのことも気遣ってくれる。幾ら幡野中に慣れたといっても、たまに不安になって兄の顔を見に行くと、一郎丸が取り次いでくれることが多々あった。かげのあるひとだけれど、兄にもいつきにも優しくて、過度に干渉しない。
七海先輩はお兄ちゃんに必要なひとだといつきは思っている。
兄が七海を見る目で解る。兄は七海を好いている。
少し息を整えると、落ち着いた。いつきはケータイを仕舞い、再び歩く。最近、足がむくむ。起きたばかりは手もむくんでいることが多かった。あまりにむくむので、手を握れない。でも、放っておけば、十分もすればそんな酷い状態は脱する。だから、いつきはそれを重く考えてはいない。
少し、貧血気味なのかもしれない。だから、生理が不順なのかも。それに、立ちくらみや息切れも、貧血の所為かな。
いつきは鼻歌を奏で、橋を渡る。
いつきは家に辿りつき、きちんと錠を閉めてからシャワーを浴びた。癖のある髪をドライヤーでどうにかした頃、兄が帰ってきた。ふたりはおやつにすいかのシャーベットを食べて、一緒に課題をこなした。
テレビをつけると、一瞬だけ、流星群のことがうつる。その話題は丁度終わったようで、近くの観光地にあるホテルの話題にかわった。いつきはチャンネルを変えて、海外のドキュメンタリー番組を見る。字幕をつけて、でも吹き替えにした。
両親が戻って、夕食の席で、いつきは流星群のことを話した。兄はまともに取り合ってくれなかったけれど、父が流星群の見える場所まで連れて行ってくれると約束になった。
いつきは満足して、洗面所で歯を磨いてから、部屋へ行った。
いつきは髪をとき、窓の網戸の向こうを見る。空は晴れていた。これなら、流星群はしっかり見えるだろう。
いつきはヘアブラシを机に置いて、ふーっと息を吐く。
ベッドに腰掛け、用意したヤッケを点検する。明けがたは冷えるから、ヤッケを着ていくように、母にいわれた。
ヤッケは無事だった。いつきはそれにハンガーを通して、クローゼットの把手にひっかけておいた。
ベッドに横たわる。
どきどきした。心臓が、不規則に跳ねている。
でも、体をしっかり起こし続けているのはつらい。
いつきは照明を見る。この家の照明は、好きになれない。なんだかどれも黄色っぽくて、いやだ。
明日は体育があったっけ。いやだな。最近、体が硬くなったみたい。それに、走っていると本当に気分が悪くなる。
いつきは机の上の時計を見る。
まだ今日は終わっていない。
流星群は、凄いものだそうだ。放送部の友人から聴いた。
沢山の星が流れる。
なら、どれかは願いをききいれてくれるかもしれない。
願いごとはひとつだけだ。
お父さんとお母さんに、大好きな留島と、兄の友人である一郎丸、いつきと兄を気遣ってくれる幡野、兄に必要な存在である七海、それに、いつきにとってたったひとりの兄である在人。
その全員が、いつまでもしあわせだったらいい。
それくらいしかお願いはない。わたしは健康で、恵まれているから。
いつきは目を瞑った。時計の秒針の音が遠ざかる。
待っていて、流れ星。




