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十六回目


 懐かしい地獄が待っていた。


 在人はいつきの部屋へはいった。父母が居た。在人は膝から崩れ落ちた。支えはないし、救いもない。

「父さん、母さん、いつきを病院へ……山下病院へ」

「在人?」

「どうしたの?」

「いつきは病気なんだ。肝臓を患ってる。今なら助かるから、だから、お願いします、いつきを、いつきを助けて」

 在人は気を失った。


 いつきは病気が見付かって、治療の為に入院した。在人も入院した。精神状態が悪いと判断された。

 表向き、精神がどうのという話はせずに、いつきのことで心労が祟って倒れた、ということになっていた。クラスを代表して、一郎丸が見舞に来てくれた。何故か幡野もだ。理事の娘である幡野は、成績優秀で、内部進学なら特待生間違いなしの在人を見舞っておくよう、親にいわれたらしい。一郎丸が、うちの学校らしいやと笑っていた。

 そこに、いつきの友達経由で、鶴城兄妹の入院を知った留島達、安斉での囲碁部仲間もやってきた。

 留島と幡野は、お互いにいい印象を持ったようだった。それは端で見ていても解った。一郎丸の表情がわずかに曇った。


 退院後、七海と付き合い始めた。

 七海は本当に在人を好いてくれていた。

 楽しかった。


 いつきが退院し、留島と幡野が付き合い始めた。いつきは留島のことで泣いた。在人にはどうしようもできない。


 在人は七海を振った。七海が処女ではなかったことを詰って捨てた。


 囲碁部で、一郎丸に、どうして七海と別れたのかと詰め寄られた。

「お前に関わりない」

「あるね!」

 一郎丸は在人の胸ぐらを掴んで、唾を飛ばして喚いた。「ただ振られたくらいで七海があんなに泣く訳ないだろう! お前、なにをいった?!」

 こいつは七海をよく理解しているな、と思った。七海は優しいから、いえないのだ。我慢するのだ。在人にどれだけ酷いことをいわれたとしても、それを誰かにそのまま伝えられるようなひとではない。

 だが一郎丸くらい気をゆるした相手になら涙を見せただろう。

 一郎丸の前で泣いたのか、と、少しだけショックだった。

「なにって、事実をいったまでだ」

「事実?」

「吹聴するようなことじゃない。流石に、彼女の名誉に関わる」

 その返答は、一郎丸を怒らせた。在人は一郎丸の拳をまともにくらった。歯が二本とれたし、三本欠けた。脳しんとうで病院へ運ばれた。


 一郎丸は停学をくらい、在人は入院した。いつきの定期検診は、いい結果に終わった。

 在人は疲れた。疲れていた。退院してから、部屋に閉じこもった。


 一郎丸と七海が付き合い始めたと聴いた。

 大学生になったいつきからだ。在人は相変わらず部屋に閉じこもり、食事と風呂とトイレ以外はそこからでなかった。留島とも、七海とも、幡野とも、当然一郎丸とも、一切の連絡を絶っていた。

 いつきは再発も転移もまったくなく、健康的にすごしていた。いつきの進学について、在人はなにも聴こうとしなかったし、聴かされそうになったら逃げていたから、知らなかった。四人と同じで、幡野大学へ行ったらしい。

「留島も?」

「ん。お兄ちゃん、やっぱり聴いてなかったのね。留島さんは、幡野さんと婚約してるし、どうせだから同じ大学にってなったの」

「そうか……」

 あのふたりは巧くいっているのだ。よかったと素直に思えた。それに、一郎丸と七海なら、きっと巧く行く。自分が関わってひっかきまわすより、余程いい。きっといい結末が待っている。


「お兄ちゃん。ねえ、どうして、こうやって家でじっとしてるの」

 いつきは真剣に、心配そうに、そう訊いてきた。在人はベッドの上でだらしなくあしを放り出し、壁により掛かっていた。

「七海さんのこと? それとも」

「七海のことかもな」

 在人はなにも考えていなかった。

 いつきが在人を見詰めた。

「俺は、何度も繰り返してる。ループしてるんだ。中二の、あの日から」


 在人は話した。いつか、精神科医に話して、とても手の込んだ妄想だと判断された、ループの話をした。

 いつきは信じてくれた。信じる、といってくれた。在人は寧ろ驚いて、眉をひそめた。

「何故」

「だって、お兄ちゃんは、お医者さんでも解らないようなわたしの病気を、見付けてくれた」

 妹の声はしっかりとしていて、在人はそれを聴いていると胃がぎりぎりと痛んだ。

「お兄ちゃんがどうしてわたしの病気に気付いたのか、解らなかったけれど……そんな理由があったのね」

「ああ。お前を無駄に死なせてきたよ」

「ううん。お兄ちゃん、凄く頑張ってたと思う。わたしが同じ立場だったら、たえられないよ」

 そうだろうか。在人には疑問だった。いつきも強い人間だ。在人とは違う。


 いつきは次の日も、在人の部屋に来た。

「どうやったらループを抜け出せると思う?」

「知るか!」思わず声が大きくなった。「解っていたらやってる! お前、俺の話を聴いてなかったのか」

 いつきは頭を振る。表情は真剣だ。

「聴いてるし理解してる。でも、今まではお兄ちゃんだけで考えてきたでしょ。話し合えば、なにか別の方法を思い付くかもしれない」

「それは……」

 反論できない。いつきは勝手に、在人のベッドに腰掛け、クッションを抱えた。「覚えてること、話してよ」


 在人は話した。話ながら泣いていた。

 いつきにとっても、つらい話はある。在人は何度もいつきを看取り、葬式をあげている。

 すべて話すのに一日ではとても足りない。在人は咽が枯れるまで話して、疲れたといって眠った。翌日もいつきは部屋にはいって、在人は長い話をする。そうやって、覚えていることをすべて話すのに、一週間かかった。

 それでも話せばこの程度の量なのだなと思って虚しかった。


 いつきは、ループの起点になっている日に起こった出来事を、図書館で調べ、新聞社に問い合わせして、割り出した。

「お兄ちゃんが起きるのは、いつも、三時四十分くらいなんでしょ」

「ああ」

 在人はのど飴をなめていた。暫くぶりにひとと会話したのに、一週間も毎日毎日咽が枯れるまで喋らされ、咽が切れていた。舌も筋肉痛だし、顔も痛い。

 いつきはなにかの表とにらめっこしていた。

「ねえ……」

「……なんだ」

「わたしも、覚えてるのよ。お兄ちゃんが、わたしを病院へつれてけっていって、倒れた日。その、前の日」

「ああ……」

 あの日か。在人は頷く。

 いつきは腕を組んだ。

「流星群の話、したでしょ。わたしは、丘の広場から見たらいいと思ってたけど、それよりも春風公園のほうがいいんだって。あの後、お見舞に来た子達から、聴いたの」

「ああ……」

「あの日、ほんとに、お父さんとお母さんと、お兄ちゃんとわたしで、丘の広場に行ってたら、どうだったのかな。流星群、見られたかな」


 いつきは暫く来なくなった。大学生はひまではない。

 在人は、リビングにまで出るようになった。両親とも喜んだ。いつきの病気のことをいいあてたり、その後倒れて入院したりしたから、在人は繊細でもろい神経の持ち主だと思われている。

 在人は、散歩に行くようになった。午前二時頃だ。それくらいなら、誰も居ない。とぼとぼ歩いて、四時頃に家に帰る。それから八時まで寝て、朝食を食べ、庭に出てぼんやりした。本を読み、映画を見、両親と会話した。

 丘の広場に行くようになった。星は見えるが、人気(ひとけ)がなくて、空気のじめっとしたところだ。昼間ならまったくこわくないのに、夜は不気味な雰囲気になる。春風公園は、夜空の見やすさでは丘の広場に劣るけれど、近くにコンビニもあって、明るい雰囲気だった。


 夏休みになって、いつきと頻繁に顔を合わせた。

 夜の散歩にいつきもついてくるようになった。

「ねえ」

「ああ」

「お兄ちゃんのことはさ」

 在人は相槌を打たない。

「誰かが、星に願ったのかも、ね」

「……星?」

「そう。お兄ちゃんが、死なないように、とか」

「ばかな……」

 在人はそれ以上なにも云えなかった。

 いつきもなにもいわなかった。


 在人は昼間も外出するようになった。

 勉強もした。

 就職した。

 留島と幡野が結婚し、一郎丸と七海が結婚した。

 七海がしあわせでいつきが生きていて、それ以上に何を望めばいいんだろう。

 在人はひとりですごした。いつきもそうだ。両親が死に、ふたりだけの家はがらんとしていて淋しかった。


 目が覚めた。



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