十三回目
まただ。また違う部屋だ。
「お兄ちゃん、流星群見に行こうよ」
部屋の外からいつきの声がした。「急がないと終わっちゃうよ」
在人は息を整えて、体を起こし、ベッドを降りた。扉を開けると廊下があって、ヤッケを着たいつきと母が居た。
そうだ。両親は離婚した。父の家から、母と、在人と、いつきで、出ていったのだ。そうして藁積町へ来た。ひとり親家庭にとっても子育てがしやすい環境であるここへ。
在人は立っていられなかった。恐怖と、おぞましさがあった。
「お兄ちゃん?」
「いつき、病院へ行こう」在人はぜえぜえと、全力疾走した後みたいな呼吸をしていた。「お前は病気だ。今なら治る。山下病院へ」
在人は倒れた。
母は賢明だった。在人といつきを病院へつれていってくれた。どういう考えかは在人には解らない。おそらく、いつきになにもなければ在人が安心すると踏んだのだ。
いつきは肝臓がんで、母が倒れた。
父もやってきて、説明をうけた。つまらない行き違いで別れた両親は、もとの鞘へ収まるようだった。
在人は二・三日休んだが、その後は登校した。囲碁部にはいった。自分と結婚したら、七海は不幸になるのではと、思っていた。結局妄想だったのはあの精神科医の見解で、自分はこうやってまたループしている。
七海は、留島のような男に任せたほうがいい。あいつは責任感も、甲斐性もある。自分のように追い詰められても、きっと暴れたりしない。
だがそうなるといつきは。
いつきは入院し、在人は土日にかならず見舞った。囲碁の大会には出られる筈がなかった。そのうち、七海がついてくるようになった。いつきの見舞に来ていた留島と知り合って、留島は七海にひと目ぼれした。
ほかの部員達も来てくれた。一郎丸や、幡野だ。幡野は留学していないし、囲碁部に所属している。
いつきは留島の態度で、七海を好きになったと解ったようだった。哀しんでいるかどうか、在人には解らなかった。
「鶴城」
部活を終えて、ひとりで帰ろうとすると、一郎丸が走ってきて、隣に並んだ。「一緒に帰ってもいいか。方向、同じだろ」
「ああ」
こんな会話を何千回としてきた。そう思った。
一郎丸はなにか話があるらしいのに、なかなか切り出さなかった。「じゃあ、俺、こっちだから」
橋を示す。一郎丸は頷いたが、ひゅっと息を吸っていった。
「あのさ!」
「……なんだ」
「俺、お前の妹さんのこと、好きになった」
ああ。
そうか。
そうなるのか。
在人は黙りこんだ一郎丸を見た。
「そうか。それは、本人にいってやってくれ」
「でも、いつきは、留島が……」
在人は微笑んだ。「お前の気持ちと、いつきが誰を好きかが、関わりあるのか?」
「……鶴城」
「俺はお前が弟になるんなら嬉しいよ」在人は手を振る。「じゃあな」
その日のうちに、一郎丸はいつきを見舞、告白したそうだ。母から電話があって、いつきが快諾したと聴いた。
幡野から告白された。
いつきが退院して一年経ち、両親の再婚を経て、在人は安斉中学に再編入していた。受験直前の忙しい時期に、幡野はわざわざ安斉の前までおしかけて、在人をつかまえ、好きだから付き合ってほしいといってきたのだ。
「俺と?」
「あ、あなた以外に誰がいるというの?!」
「……受験前に?」
「受験前だからでしょう! あなた、どこへ進学するのか、教えてくれないのだもの。もしかして、どこか遠くへ行くんじゃないかと……」
幡野は涙ぐんでいた。実際のところ、在人は別の地方へ逃げるつもりだった。自分が居たら、七海が不幸せになる。
幡野は今にも死にそうな顔だった。在人は断れなかった。
幡野との付き合いは、情熱的なものではないけれど、安心できるものではあった。幡野は聡明で、在人の気持ちに配慮してくれた。在人が七海を好いていることは、なんとなく気付いているようだった。
在人は実家から離れたところにある高校にうかって、寮にはいった。
在人はもてた。女生徒からアプローチされることは多かったし、男子生徒からのアプローチもあった。どれもきちんと断った。
幡野とは、休みの日に、たまに会った。幡野は一郎丸と、いつきのことを、教えてくれた。ふたりはなかよくしているらしい。
「あなた、聴いてないの?」
頷いた。呆れられる。在人は、家族とも、ほとんど連絡をとっていなかった。無視しているのだ。なにもかもがこわくて。いつきのがんが再発したり、転移したり、七海や一郎丸や留島が死んだり、そんなのはもうごめんだった。
幡野と結婚した。大学を出てからだ。さずかり婚だった。
ほとんど同じ時期に、留島と七海、一郎丸といつきが結婚した。いつきはあれ以降、再発も転移もなく、健康にすごしている。結婚の報告があった時、子どもの難病患者やがん患者についての本を書いていると聴いて、結局そうなるのだなと笑えた。
幡野は家柄がどうのこうのと煩い家で、藁積へ戻らざるを得なかった。
子ども達が同学年になって、三組の夫婦は交流を再開した。一郎丸と幡野、留島といつきが並んでいるのを見ると、妙な気分になる。こういう組み合わせの時もあったのだ。そして、俺と七海が並んでいる時が。
七海は在人を避けていた。彼女のほうにもまだ、自分への気持ちが残っているのかもしれない。そう思うとやるせなかった。
子ども達はそんなこと関係ない。なかよくなった。将来、結婚するかもしれない。そんな話をして、六人で笑った。
留島と、藤が、死んだ。
一緒に居たのだ。少し離れた観光地の、ホテルだった。火事が起きて、ふたりは焼け死んだ。不倫だったのではないかと噂になった。
真相は知らないし、不倫だった気配はない。
七海と相談して、本当は自分達も行く筈だったと、そういうことにした。ふたりの名誉を傷付けるつもりは、在人にも、七海にも、なかった。
周囲の人間はそれで納得したようだった。
一郎丸といつきが死んだ。いつきの取材旅行へ一郎丸が同行し、のっていた船が橋脚に激突して、運悪くふたりは海に放り出された。そして、別の船のスクリューにまきこまれた。
在人は七海と再婚した。一郎丸といつきの子どもはひきとった。一郎丸に親戚は居ないと思っていたが、一郎丸の父親が一郎丸家という名家から追い出され、再婚したが夫婦ともに亡くなり、天涯孤独のような情況だったのだ。今は一郎丸の兄が生きている。一郎丸颯佑は、一郎丸家に認められていない。
七海が留島と藤の死に関わっているというような疑いをかけられた。
彼女はそんなことしない。
そんなことをしなくても、ひと言在人に好きといえば、ふたりで逃げられるのだから。
ななは妊娠した。
在人は喜んだ。
ななも喜んでいた。
子ども達は、親に任せて、定期検診に行った。
目が覚めた。




