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十二回目


 ベッドから転がり落ちてはっとした。違う家だ。

 在人は戸惑いながら部屋を出た。二階ではなく一階だ。リビングで、父がソファに寝ている。

 靴箱に母といつきのくつがない。せまいキッチンには、食器が少ししか置いていなかった。

 電話をたしかめた。母の旧姓でアドレスが登録されている。そうだ、と、()()()()()。父と母は離婚した。在人は父に、いつきは母にひきとられ、別の家で暮らしている。

 在人は電話をした。母にだ。「はい」

「母さん」

「在人、どうしたの、こんなはやくに……」

 母は眠たそうだ。在人は低くいう。

「母さん、今すぐいつきを病院へつれていって。山下病院がいい。精密検査をしてもらって。肝臓に病変がある筈だから」

 母は黙っている。在人は更にいいつのろうとしたが、母はいった。

「解った。いつきのことは心配しないで」

「ああ……ありがとう……」

 これでいい。これでいいんだ。


 学校に行った。在人が引っ越したのは、離婚に伴って父がかりた部屋が藁積町にあったからだ。そういう理由に()()()()()

 学校へ行って、混乱した。クラスメイトが半分くらい、知らない顔だった。そのうちの八割は、ほかのクラスだった筈の生徒で、残りは見たこともない、名前を聴いた覚えもない生徒だ。

 でも、七海は居た。囲碁部もあった。一郎丸も、別のクラスだが、囲碁部ではあった。ただ、幡野は居なかった。幡野は留学していたのだ。


 在人は囲碁部にはいった。「ありがとうね、鶴城くん」

「礼をいわれるようなことじゃない」

「でも、男子は少なかったから、これで団体戦に出られるわ」

 一郎丸と、名前も知らない見たこともない生徒が、()()の囲碁部も男子部員だ。それに引き合わされ、在人は笑顔で自己紹介した。女子生徒は十人程度居て、ほとんどが一年生だ。

 七海は可愛かった。綺麗だった。抱きしめたかった。

 いい碁会所があるのだと、七海達は在人を誘った。今日はそこへ行こうということになって、みんなで正門まで、のんびり歩いている。部にはいっていない生徒達が、お喋りしながら帰っていく。

「今は留学してるけど、幡野藤さんって子も、囲碁部なの。あ、女子だけどね。彼女とっても強くて、主将になる筈だったんだけど」

「七海」

「うん?」

 七海が振り向いた。黒髪がさらさらと揺れた。在人は微笑んだ。

「好きだ。付き合ってほしい」

 七海は一瞬、驚いたようだったけれど、にっこりした。「わたしも、好きよ、鶴城くん」


 大勢の生徒が居るところで、臆面もなく告白した在人は、校内でヒーロー扱いだった。ついでに、在人と七海が付き合っていることは、校内に知れ渡った。

 一郎丸がそれに影響されたらしい。ある日、部室へ行くと、一郎丸がケータイを耳に当て、ほかの部員が固唾を吞んでそれを見ていた。在人は、少し離れたところに居る七海に近寄り、小さく尋ねる。

「どうした?」

「一郎丸くん」七海はやはり、小さく返してくる。「告白したの。ほら、この間話した、留学中の幡野さんに」

 一郎丸が椅子から跳び上がった。「ほんとか?! ほんとにいいのか、幡野! ほんとに俺と……!」

 その言葉と、みるみる赤くなる一郎丸の顔を見て、皆歓声をあげた。


 幡野はその冬、帰国した。在人と七海、一郎丸と幡野で、よくでかけた。在人は前の学校の仲間と、連絡しないようにしていた。留島と七海を会わせないようにだ。

 冬休みは楽しかった。幡野の別荘に行って、四人でスキーをしたり、温かいココアを片手に映画を見ながら夜更かししたり、近場の温泉へ行ったりした。一郎丸と幡野は、同衾したらしかった。在人と七海はそういう進展はなかった。


 季節が巡って、初夏、母から連絡があった。

 いつきが学校で倒れ、病院へかつぎ込まれた。


 在人は父と一緒に病院へ駈けつけた。いつきにはなにか緊急的な措置が施されているらしく、近寄ることはできなかった。

 母は憔悴しきっていた。まっかになった目と鼻と、しわしわになったハンカチが、情況の悪さを物語っていた。

 母にはいつきの病状を説明する気力がなく、父は医師と一緒にどこかへ行った。「母さん」

「在人……」

「すぐに山下病院へ転院させたほうがいい」

 在人は自分の声が遠くから響くように聴こえるのを感じていた。俺はなにをいっている。俺はこの言葉を何回いった?

 母が洟をすすった。「在人、どうして解ったの。どうして」

「どうして? 母さんこそどうして、いつきをすぐに病院へつれていかなかったんだ。去年だったら、まだ、いつきは」

 自分のいうことのほうがおかしいのだ、と思った。突然、離れて暮らしている子どもから、妹が病気だから検査をうけさせろ、なんて電話があっても、信じる訳がない。

 在人は笑った。畜生と喚いて長椅子を殴った。どうして、あの後確認しなかった。

 留島と関わらないようにだ。いつきはまだ安斉に通っている。いつきと関わったら、留島とも関わるかもしれない。七海をとられるかもしれない。

 わがままだ。


 山下病院へはすぐに転院できた。治療は難しいそうだ。それでも、ある程度は好転した。在人は見舞に行ったが、七海をつれていくことは絶対になかった。いつきとずっと同じ中学だった、留島が、いつきを見舞ってくれていたからだ。

「なあ、鶴城」

「ああ」

 眠っているいつき、痩せこけたいつきを見て、留島はいった。「いつき、もらってもいいか。俺は、彼女を愛してるみたいだから」

「……ああ」

 留島はいいやつだ。とても。だからいやな死にかたをしてほしくない。幡野も一郎丸もだ。


 留島はいつきにプロポーズした。まだ中学生のくせに。いつきは喜んでいたと、母から聴いた。

 いつきは学校には行けなかった。よくなったり、再発したり、よくなったり、転移していたり、そういう持久戦になった。留島はいつきの為に膨大な時間を割いてくれた。いつきが結婚できる年齢になってすぐ、ふたりは結婚し、ささやかだが式も挙げた。両家の親しい親族だけの式は、静かに、つつがなく執り行われた。


 いつきはそれからほとんどの時間、病院で過ごした。

 在人と七海、一郎丸と幡野は、それぞれ結婚した。七海ははじめてではないことをはずかしがった。そんなことはどうでもいい。生きて、ここに存在してくれているだけで、在人には充分なのだ。

 一郎丸と幡野は、どちらも地元の由緒ある家柄だそうで、随分盛大な結婚式が挙げられた。ずっと前は、式は挙げなかったのになと、在人は不思議に思った。後から、一郎丸の兄が死に、家を出されていた一郎丸が急遽跡目をとると決まって、結婚式はそのお披露目も兼ねているのだと知った。


 なながひとり目を妊娠し、いつきが息をひきとった。

 葬式の途中で在人は倒れた。いつきの葬式が何度目だったか、考えたくないのに考えてしまったからだ。


 留島は父方の親戚が居るフランスへ行った。

 在人はいつきのことを哀しんだが、長男が生まれた辺りでそれもだいぶやわらいだ。傷はあるが、その痛みをごまかすのが巧くなったのだ。

 一周忌は、在人の家で行った。いつきは人生の半分近くを病院で過ごし、友人はほとんど居なくなっていた。だから、留島の両親と、親戚と、担当だった看護師が来てくれた。

 それから、一郎丸夫婦だ。一郎丸は、葬式で在人が倒れたのを、心配していた。一周忌でもそうなるのではないかと。

 ななはふたり目を身ごもっていて、体調を崩して入院していた。だから、御斎を用意したりだとか、そういったことはななの母と、幡野……一郎丸藤がやってくれた。


「鶴城」

 在人は泣いていた。ベッドに突っ伏して泣いていた。いつきのことは、やわらいだが、痛みそのものが消え去りはしない。どうやってもだ。

 一郎丸は後ろ手に扉を閉めて、在人の傍に両膝をつき、そっとせなかを撫でてくれた。在人は一郎丸に手を伸ばし、一郎丸がその手を掴んでくれた。

「お前、ほんとに、妹さんのこと大切だったんだな」

 一郎丸の声はやわらかかった。「ごめんな。俺、なにもできやしない。友達が泣いてるのに、どうやって慰めたらいいかも解らない」

 在人は体を起こした。なにも考えたくなかった。自分がいつきを助けられなかったことを、直視したくなかった。

「鶴城?」

 一郎丸が不思議そうに目を瞠った。在人はそれにキスした。


 一郎丸は在人を責めなかった。自分が悪いといっていた。自分が、なにか気に触ることをいったんだろうと。

 そうじゃない。

 俺が全部悪い。

 一郎丸は服を整えて、逃げていった。在人は泣いていた。涙はとまらなかった。


 長女が生まれて、いつきと名付けた。

 一郎丸が死んだ。

 留島が帰国した。


 一郎丸は、飲み会の帰りに、車道へ飛びだして車にはねられたそうだ。

 事故とも自殺ともとれる情況だった。

 自分が殺したのだろうなと思った。

 在人は入院した。精神科だ。


 薬は効いた。気分がやわらいだ。医師と話をするのもよかった。在人は自分が何度もループしているのだと話した。医師はそれを、とても手の込んだ妄想だと考えているらしかった。在人もその説を信じることにした。きっとそうだ。だから、いつきを助けられなかったのは、自分の責任ではない。

 一年半して、病状が好転したといわれ、在人は家に戻った。


 家には、ななと、子どもふたりと、在人の父と、ななの両親がいた。ななひとりで乳飲み子をふたりもみられない。在人は父にも、義父母にも、心から感謝した。薬のおかげでだいぶ安定していた。

 留島と、まだ一郎丸姓のままの藤が、付き合い始めたらしい。それもいいなと思った。


 夏になって、海水浴へ行った。

 留島と、一郎丸藤と、一郎丸の子どもと、一緒になった。留島は、ななに対して興味を持たなかった。

 一郎丸の子どもが溺れた。

 在人は泳いでいって、一郎丸の子どもの手をひっぱり、ひきあげた。肩へ掴まらせ、陸まで必死で泳いだ。留島が泳いできている。藤が叫んでいる。なながまっさおになっている。

 留島に一郎丸の子どもを引き渡した。


 目が覚めた。



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