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一回目


「お兄ちゃん聴いてる?」

 妹のいつきの尖った声に、鶴城(つるしろ)在人(あると)は我に返った。

「なんだ?」

「もう、やっぱり聴いてない」

 一緒に夕食を食べている、父と母が、くすっとした。妹は怒ったように続ける。「今日、流星群が見られるんだって。今日っていうか、明日の朝はやくね。四時くらい」

「そうか」

「そうかって……ほーら、丘の広場があるでしょ。あそこ、流星群が綺麗に見えるんじゃないかって、だから見に行こうよ」

 いつきは椅子の上で跳ねている。在人は餃子を口へ運ぶ。

「四時に丘の広場って……起きられるのか、お前」

「寝ないで起きてる」

「明日も学校あるんだぞ」

「でも、なかなか見られるものじゃないんだよ」

「俺はパス」

 妹がむくれた。

 結局、父が妹を流星群見物へつれていくと決まり、在人は漸く解放された。


 翌日、四時頃に目が覚めた在人は、トイレにたって、また寝た。トイレの窓から父の車が見えたので、結局妹は起きていられなかったのだろう。


 在人は少し前に、隣の校区から引っ越してきた。祖母が亡くなり、住んでいた家を売って遺産を分けたのだ。その後、両親のかねての希望だった、藁積町へ引っ越してきた。ここのほうが子育て世帯にはありがたいらしいが、中学二年生の在人にはよく解らない話だ。

 学年の途中での転校、しかも、ひとつ下の妹は折角学校になじんだばかりだったので、かなりいやがったが、家が人手に渡った以上どうしようもない。いざ引っ越したら、在人よりも妹のほうが町にも、学校にも、なじんでいる。

「鶴城くん」

 昼休み、購買へ行こうとしていると、同じクラスの七海(ななみ)ななが話しかけてきた。やはり同じクラスの、一郎丸(いちろうまる)颯佑(そうすけ)も一緒だ。一郎丸は在人と目を合わせ、微笑んだ。

 七海はにこにこして、紙切れをさしだしてきた。

「これ、先生から、渡すようにって。うちの学校の部活の案内」

「ああ……」

「いつきちゃんは、放送部にはいったんだったわよね。鶴城くんはどこか決めてる?」

 七海はおっとりと訊いてくる。妹のいつきが度々、在人のクラスへおしかけるので、面倒見のいい彼女はいつきと友人になっていた。名前が回文になっているのは親がふざけてつけたのだと、いつきから聴いた。

 在人は七海が苦手だ。七海は可愛くて、親しみやすいし、在人にも壁をつくらない。好きだと思ってしまって、それに戸惑っている。だから、苦手だ。


 在人は頭を振って、紙切れをうけとる。ここ、幡野中学校は、五割くらいは、内部進学で幡野高校へ進み、やはりそこから五割くらいが内部進学で幡野大学へ進む。留学や海外との交流に重きを置いている方針で、小学生でも海外の姉妹校へ留学することはざららしい。

 だが、部活は数が少なかった。放送部と書道部、文学部。運動部だと、野球部、テニス部、体操部、水球部。それくらいだ。

「あのね」七海はにこにことしたまま、続ける。「もしよかったら、部じゃなくて同好会なんだけど、囲碁、やってみない?」

「囲碁?」

「うん。鶴城くん、前の学校では囲碁部だったんでしょ? 今、わたしと、一郎丸くんと、後は男女ひとりずつなの。鶴城くんがはいってくれたら、男子は団体戦にも出られるし、五人以上からは部にもどれるから」

 もともと部だったのが、人数が足りなくて同好会に格下げされたということらしい。在人はちょっと考えて、もう一度頭を振った。

「悪い。勉強に集中したいんだ」

「あ……そう……ごめんなさい」

「こっちこそ、誘ってくれたのにごめん」

 七海がちょっとだけ哀しそうに微笑んだ。

 胸が痛んだが、在人には約束がある。前の学校の仲間達と、同じ高校へ行こうと誓ったのだ。強豪囲碁部のある高校で、そこにうかるには、部活をしているひまはない。また一緒に打とう、と約束した友達がいる以上、この誘いにはのれない。

 それじゃあ、と在人はふたりと別れた。


 夏が過ぎ、秋が終わって冬が訪れ、翌年の初夏、在人は泣いていた。学校でいつきが倒れ、病院へかつぎ込まれたのだ。そして、検査が行われた。いつきは肝臓がんだった。

 ステージ3。進行がはやい。この病院ではどうしようもない。

 在人はトイレの個室で泣いた。つらいのは妹の筈だ。だから家族に泣き顔を見せたくなかった。


 仲間達との約束は破るしかない。妹の治療に幾らかかるか解らないから、在人は受験を諦めた。在人の成績なら、幡野高校へ特待ではいれる。特待生は学費全免除だ。いつきは普段煩いくせに、病院のベッドで、お兄ちゃん高校は行ってね、と頼んできた。だから進学そのものを諦めることはできなかった。


 いつきの見舞に、七海が来てくれた。彼女はいつきに笑顔を見せ、いつきのクラスからだという寄せ書きや、花束、お菓子などを楽しそうにいつきに見せた。いつきは久し振りに、声をたてて笑った。

 七海を家に送った。彼女は帰り道、ずっと泣いていた。いつきの命は薄氷を踏むような情況だと、彼女には解ったのだ。


 在人は高校生になった。七海と一郎丸も内部進学して、同じクラスになった。いつきのクラスメイトは、いつきが転院する度に、見舞に来ることは間遠になったが、七海と一郎丸、それに前の学校で一緒だった、留島(るじま)アンリも、たまにいつきを見舞ってくれた。

 いつきは留島になついていたから、一度見舞に来てほしいと頼んだのだ。留島は約束の高校へ進学して、囲碁部にはいっている。大会もあって忙しいだろうに、いつきに会いに来てくれた。


 山下病院という病院へ転院してから、いつきの容態は安定していた。そちらでの治療法が、いつきの体にはあったらしい。薄皮を剥ぐように、彼女は段々と、昔のようになっていった。

 でも、もう手遅れだった。


 いつきは病室で息をひきとった。七海が差しいれてくれたリボンを手首に結んで、留島が持ってきた本を傍らに置いて、痩せこけた妹は死んだ。

 在人は泣くこともできなかった。

「いつきちゃん」

 七海が涙を流している。彼女は可愛らしかった。こんな時に、なにを考えているのだろうと、在人は自分を殴りたくなった。「綺麗ね」

 そうだろうか。いつきはやつれ、骸骨のように痩せている。治療の為に、髪もなくなっていた。七海が長い髪を切って、いつきに提供してくれて、それでかつらをつくったのだ。妹の死体はそれをかぶっていた。その上に、一郎丸の持ってきた帽子をかぶっていた。

 七海がその場に膝をついた。看護師達が来て、医師が来て、父母が泣いている。七海と在人は病室を追い出された。七海はロビィの長椅子に座って泣き続けた。在人は外に出た。いつきが死んだことを認めたくなかった。いつきが、どうして、死ななくてはならないのだ。

 駐車場を歩いていた。在人はなにも聴こえていなかった。彼の体は車にはねられ、ぽんと宙を舞った。


 目が覚めた。



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