兄の笑顔
「ミツ、お前動画投稿始めたのか」
そう聞くのはミツの兄、賢一だ。
母から聞いたのかな、と思いながらミツはコクリと頷いた。賢一と会話するのは珍しいことだ。今も家の廊下ですれ違いざまに声をかけられただけだ。
「そうか、楽しいか」
「うん」
低評価1
と付いていたのを思い出し、ミツは心がズキッと痛んだ。でもそれをおくびにも出さないようにして笑顔で返事した。
「なんか手伝えることあったら言え。絵とか描いてやる」
賢一は美大に通っている。でも賢一の描く絵はごりごりの抽象画だった。
「お兄ちゃん、キャラクターとか描けないじゃん」
そう言ってミツはいつもの愛想笑いをした。
賢一はニコリともしなかった。
賢一とミツの違い、それは笑うか笑わないかだ。どちらも友達がいないのには変わりなかったが、笑わない分賢一は中学高校と虐められてきたようだ。
ミツには賢一のことがよく分からない。嫌いではないし嫌われてはないんだろうけど、会話は弾まない。なるべく自然な兄妹関係にしようと思うのだが、相手がニコリともしないのでは距離を測りかねた。
「そうだ。MHO届いてたぞ。部屋に置いといたから」
そう言われてミツはパッと心が浮き立った。「ありがと」と言って自分の部屋に向かおうと思ったミツに、賢一から驚きの事実が告げられた。
「お前もやるんだな。あれ、結構面白いよ」
お兄ちゃんもMHOしてるんだ。いや、それよりも大事なことがある。
賢一が微笑んでいるように見えたのだ。見間違いかと思って目を凝らしたが、やはり賢一は微笑んでいた。
お兄ちゃんって笑うんだ……。
15年間の付き合いがあって、初めての事実だ。賢一は普通に笑う。その事実に、今までどれだけ適当に兄妹をやってきたかが見せつけられるようで、少しミツは落ち込んだ。
ミツは心の底のどこかで賢一はあまり普通の人間ではなくて、そしてそれをとりつくろえない欠陥人間だと感じていたのだ。だからコミュニケーションが弾まないのも悪いことではないし、無理にコミュニケーションを取ることは迷惑だろうと思っていた。
なのに賢一は自然に笑った。
もしかしたら、欠陥人間は自分の方なのではないか?
自分は変わっているだけではなくて、それを無意識にさらけ出している欠陥人間なのだ。
ミツは潔癖すぎた。今だって、欠陥人間だとこっそり兄のことを評していたことに、自分はヒトの心がない、冷たいやつなのかもしれないと動揺していた。
ミツは、世界が変化していくということが頭から抜けている。これまでずっと続いてきたことはこれからも続いていくのであって、新しい発見は自分が気付かなかっただけ。そして今が絶頂で、どんどん衰退していく、とミツは自然と考えていた。しかしそれは偏見なのだ。
ミツは世界も自分も完成されていると思っていて、自分が大きな変化の流れの中にいると気が付いていない。
賢一の笑顔は、中学高校の虐めが去り、大学生として心が成長し、そして自然と漏れたものなのだ。
賢一が変化したように、ミツもこれからどんどん変化していく。良いところも悪いところも時間と共に流されていくものなのに、彼女はそれはありえないと決めつけている。
自分の考えは煮詰まっていて、大人になっても変わらないとそう疑わないのは、変化を密かに恐れているからだ。
ミツは分かりにくいが、思春期なのだ。