閑話1 クララが立った!【クララ一歳ごろ】
どうも、クララ・ベル・ナイト・フォース一歳です。
未だ赤ちゃん部屋から出ることも叶わぬ身でありますが、今日はなんと二人もお客さんが来ているのです。
それがこちら。
「歩く練習くらいさせたって大丈夫よ。私たちはクララの姉なんだから」
「いいや、僕たちだけじゃ危険だよ。ママかせめてメイドさんを呼ばないと……」
私より少し大きい子供が真剣な表情で話し合っている。
やる気に満ち溢れた姉のキャロラインと対象に、兄のフレディは引け腰だ。
話を聞く限り、どうやら歩行の練習をしてくれるらしい。
それは、館内を早く歩き回りたい私にとってありがたいことではあるが……
「ダメよ! 私たちだけでやらなきゃ意味がないじゃない! 成功したらきっとお母さまだって褒めてくれるわ!」
「ママが……。パパも褒めてくれるかな?」
「ええ! きっとよ!」
当事者を置き去りにして勝手に盛り上がっていく少年少女。
小さな体に煌びやかなおめかしをした二人の姿は、その優れた容姿も相まって大人が見たら思わず笑みを浮かべてしまうほどに愛らしく感じられるのだろう。
だが私からすれば、二匹の悪魔がろくでもない陰謀を巡らせているようにしか見えなかった。
なにせあの頼りない腕。とくに姉はまだ幼児と言ってもいいほどの体躯で、腕ももちもちだ。
――私が転倒したら絶対に支えられない。
下がふかふかの絨毯とはいえ、わざわざ危険を冒したいとは思わない。
私は降りるぜ。今回ばかりは相手が悪い――
「ほぉら、クララ。こっちへおいでなさい。ここまで来れたらおいしいお菓子をあげるわよ?」
「お……おぁし」
姉の発言にお座りしていた私は思わず顔を上げる。
えっ、マジで? マジでお菓子くれるの?
キャロラインがドレスのポケットから取り出したのは、簡易な包装紙に包まれている飴玉だった。
生まれてこのかた食事というものをしたことのない私は固形物に飢えている。
歯が生えてきて、あらゆるものをカジカジしたい欲求と合わさってそれはもう相当なものだ。
「す、すごい目で飴を見てる……どうしよう、今ならまだ引き返せる気がするけど」
「な、なにを言ってるのお兄様。ク、クララがやる気になったのであればそれでいい……じゃない?」
なんだぁ、今更反故にしようってんじゃねぇだろうな?
飴玉に釘付けになったままハイハイで近寄ると、二人はズササッと後ずさった。
その飴玉、おとなしく渡してもらおうか。
私の華麗なあんよに見惚れな!
という訳で、さっき降りるといったばかりだがものの数分で参加することになってしまった。
まあルパンでも、一度降りた次元はなんだかんだ言って戻ってくることだしありでしょう。
「う、うぅ~」
両手を地面から離し、むっちりとした足を震わせて私は上体をじわじわ起こす。
お座りから変化させているので、今の体勢はさしずめ相撲取りがしこを踏んだときのよう。
「がんばってクララ! しっかりと踏ん張るんだ!」
「その調子よ! あなたも自立して立派なレディとしての一歩を踏み出すのよ!」
「ふぬぬぬ――」
真横から飛んでくる暑苦しい兄妹の声援を聞きながら、太ももに力をこめる。
つかまり立ちとは違って二本の足で体重をもろに支えるので、相当きつい。
「うぁあ⁉」
――ペタン。
バランスを崩してしりもちをついてしまった。
幸いおむつのおかげで痛みはない。
上下運動を意識しすぎてバランスを意識するのがおろそかになってしまった……
というか、二人ともこんなに近くにいたのは、もしもの時に支えるためじゃなかったの?
「クララ大丈夫⁉」
「お尻痛くない?」
はっとなった二人は慌てて私を抱え上げると、服をめくって私のお尻を確認する。
「よかった。赤くなって無いみたい」
おいやめんか。
「どうする? もう止めてもいいんだよ」
心配そうに差し出された兄の手を払いのけ、私は姿勢を正す。
どうしても、どうしても飴を食べたいんだ。
「ふふっ、やる気みたいね」
「うん。僕たちも精いっぱいサポートしよう」
兄たちの気合も十分だ。
気合――そうだ、今度は勢いをつけて立ち上がろう。
考えてみれば、昔も足の力だけではなく反動を使って立ち上がることが多かった気がする。
こんなふうに床を両手で押して、足で蹴りだすように――
よいしょ!
力強く地面を蹴った私の体はグーンと上昇し、キャロラインの頭一つ下くらいまで視界が到達した。
やった! 立ち上がれた!
「……へっ?」
だが、そのままの勢いで体が前方へ倒れ始める。
バランス! バランスとるのまた忘れてた!
ゆっくりと倒れていく景色の端に、びっくりして大きく口を開けたフレディが映った。
バネのように飛び上がった兄は、すかさずおなかに両手を差し込んで支えたが、力及ばず一緒に倒れていく。
一歳児って体重十キロくらいあるからなあ。お米の袋一つ分くらい。
突然倒れたら、五歳の子供が支えられなくとも責められまい……
責められまいが……やっぱり子供だけでやるのは無謀だったよ!
ごすん。
一秒後、私は顔から床にぶつかった。
――痛くは、ない。
背が低く頭の位置が低いからか、はたまた絨毯が衝撃を殺したのか、顔から落ちたというのに私の頭にはたんこぶすらできていなかった。
あるいは兄が支えてくれたおかげかもしれない。
「クララ! クララ! しっかりしてくれ――」
だけどめっちゃ怖かった。
私は絨毯にうつぶせたまま動かない。
ゆさゆさと揺らしてきてしつこいのでちらりと顔を向けると、途端にフレディが安堵の表情をつくった。
やはり外傷はないらしい。
だけど、もう歩くのはいいかな。
一生横になったまま暮らしていこう。
ご飯は赤ちゃんベッドまでメイドさんに運んでもらおう……
「――クララのいくじなし!」
そんな私の思考を遮ったのは、キャロラインの大声だった。私を振るい立てようと、つたない語彙で懸命に言葉を紡ぐ。
「なによ! 一回失敗したくらいですぐに諦めて! ううっ、もう――クララのバカ!」
「ぶふっ」
「わ、笑ってる……どうしよう、きっと頭を打っておかしくなっちゃったんだわ」
ちがう、ちがうんだ。
キャロラインの言葉がまんまアルプスの少女ハイジのセリフと同じなんだ。
クララのばか! って……
「本当にどうかしてしまったのかもしれない……すぐにメイド、いや医者を!」
「わかったわ」
マズい。みるみるうちに事態が大ごとになっていく。
そして飴玉の夢は遠ざかっていく。
これを止めるには私が元気であるという証拠を見せるしかない。
「ぁい!」
私は再び座りなおした。
両足を組んで座禅に似た姿勢、手のひらは地面についている。
「……やるつもりなんだね」
「今度は私たちで絶対に支えてみせるから、思いっきりやりなさい」
覚悟が伝わったのか、人を呼ぶのを止め、真剣な表情で私に向き直る。
大丈夫だ……さっきのでコツは掴んだ。
両手を突っ張り棒にして体を浮かすと、さっきの要領でつま先を地面につけて起き上がる準備をする。
そして両手で床をぐいっと押して――ロケットのように垂直に立ち上がる。
腕が絨毯から離れた――これで手のお仕事は終わりだ。第一エンジンはよくやってくれた。
ここからが勝負だ。
メインのエンジンである両足に力を入れて、真上に飛び上がる気持ちで力を入れる。
「ふぬぬぬう――!」
ぎゅーんと視界が上昇し、真剣な表情で見守る姉のすぐ真下まで到達。
今度は倒れない。
交差していた足をぱっと開き、私は横に一歩スライドする。
――ザザッ
地面を滑る私の足が絨毯の毛をめくりあげ――ぴたりと止まった。
私は自分で立ち上がることに成功したのだ。
ちょっとガニ股だが気にするまい。
今もバランスを保つのでいっぱいいっぱいだが、気でも散らされない限りは倒れることは無いだろう……
「信じていたわ。クララ、ついにやった――」
「立った! 立った! クララが立ったぁ!」
ジワリと涙を浮かべたキャロラインの言葉に、興奮したフレディの声がかぶさった。
マズい……よりにもよってフレディが言った言葉は、アルプスの少女の超有名シーンのあれじゃないか。
クララが立ち上がるというシーンまでばっちりだ。
頭の中でペーターみたいな恰好をしたフレディが私の周りをぐるぐる回る光景が思い浮かんでしまった。
ダメだ、もう耐えられない。
「ぶふ――」
私は吹き出すと、体をくの字にして二人のいる方に倒れこんだ。
フレディとキャロラインは両手を広げて私を受け止めようとしたが、またしても支えきれずに三人はだんごになって倒れてしまう。
た、頼りにならない……
ずしーんと大きな音がした。
上に乗っかった私は何ともないが、下敷きになった二人は大丈夫だろうか。
「あいたたた……二人とも大丈夫?」
一番下に押しつぶされたフレディに、キャロラインが「なんとか」と答える。
苦しそうにしているが、笑みをつくるだけの余裕はあるようで一安心だ。
「ちゃんと立てたじゃない」
「うぃ」
「えらいよクララ!」
兄たちに称賛されるのは悪い気分でもなく、私は頬を緩ませる。
ほら、あれくれるんやろ? あれ。
「なにかしら……こっちに手を差し出してくるわ」
「きっと飴玉を欲しがっているんだよ。自分の力で立つことができたから」
「でも立ち上がっただけで歩けてはいないのに……」
「クララも頑張ったんだ。今日は褒めてあげようよ」
しぶしぶといった感じでキャロラインの手から待ちに待った飴玉が渡される――といったところで、
ガチャリ。
部屋の扉が開けられて、母が入ってきた。
「あらあら、みんなして寝そべってなにをしているの?」
「え~とね、そうだおひるね、みんなでおひるねをするところだったんだ!」
なんとかごまかすフレディの真上で、光の速さで飴玉を隠すキャロライン。
やっぱり許可を取っていなかったんだな。
「仲が良くてお母さん嬉しいわ」
朗らかに笑う母に薄っぺらい笑みを浮かべて同調する子供たち。
歩行訓練を勝手に行ったのはいいけど、報酬はよろしく頼むよ。
「飴」
「あははっどうしたのかしらクララったら! 口に何かついてるわ。今お姉さんが取ってあげるからね~」
「むぐ~」
飴をせびろうとするとすぐさまキャロラインに口を塞がれ、私は二の句も継げなくなった(物理的な意味で)。
労働者の声なき声は力あるものによって抑えられてしまうんだね、悲しい。
と思っていたんだけど、母がいなくなった後フレディとキャロラインは約束通り私に飴玉をくれた。
その場で母やメイドにバレないように食べた飴の味が格別だったのは、わざわざ言うまでもないだろう。