27
気が付けば私は薄暗い場所にいた。
「ここは……」
見覚えがある……昔通っていたパチンコ屋のスロットコーナーだ。
店内にはスロット台がずらりと並んでいる。
そのどれもが消灯していた。
普段の姿とは異なり眠りについてしまった世界のなか、向こうの列で一台だけ稼働しているらしくポップな電子音がここまで聞こえてくる。
遮蔽物の向こうで発せられた安っぽい光が磨き上げられた床に反射し、最低限の視界を確保できた。
どうしてここに……?
今の世界にこんな科学的な代物は存在しないはずだ。
私は手掛かりを得るために、光に向かって歩を進める。
コツコツとフロアを反響する私の靴音。
そして、唯一稼働する台に辿りつく。
あまり座り心地の良くない回転椅子に、誰かがそれに腰を下ろして遊戯に興じている。
もうずっと手入れをしていないであろうぼさぼさ髪に、年季の入った真っ赤な革ジャン。
「来たのか……」
けだるそうにボタンを叩いていた男は、床を蹴って回転しながら言う。
ぐるりと半回転してこちらを向いた。
うっすらと生え無精ひげに、生気の感じられないよどんだ瞳。
全体的に覇気の感じられない男は、こちらをじろりと見下ろすと深くため息をつく。無意識にやっているようだ。
「もう少しマシだと思っていたけど、こうして見ると受け入れがたいものがあるなぁ」
私は不満を隠すことなく、表情に出す。
この人を相手に取り繕う必要がないと思ったからだ。
「それはこっちのセリフだ。女でちびっこになった俺の姿なんて、受け入れがたいどころじゃない」
私に相対する、自己評価より三割増しで目が腐っていた男は、なんと俺と同じ姿をしていたのだ。
「あなたは誰?」
俺と同じ外見をした男。無人のホールで一人スロットをしていたぼさぼさ頭。
その存在を「はい、そうですか」と認める訳にはいかなかった。
なぜなら、私のなかには『俺』として生きた記憶も、その意識も確かにあるからだ。
同じ人間が目の前にいる事態が異常以外の言葉で言い表されようか。
「俺は――いまさら自己紹介する必要もないだろう。お前だよ、お前の精神の一部。ギフトの相談役にして受け渡し役といったところか……」
私の一部。
生まれ変わって体に馴染んでしまった自意識を、過去に戻って引っこ抜いてきたみたいだと思った。
それくらい、過去の私に似ていた。自分の一部だというのも、感情を抜きにすれば納得できる。
「昔の私なんだね、あなたがギフトを私にくれるの?」
力強い、私だけのギフトを……
期待して見上げた私の顔が、どこまでも光の差し込まない俺の目に映る。
「いいや、俺はお前に何も与えるつもりはねぇよ」
俺は視線をどこかにさ迷わせたまま、はっきりと否定した。
発せられた言葉を理解できずに、一瞬固まる。
――勘弁してほしい、なんのためにここまで来たと思っているんだ。
「どうして? それがあなたの役割なんでしょ」
「どうしてって無駄だからに決まっているからだろ。少し居心地の良い環境に生まれただけでお前はすっかり忘れたようだが、運命の冷酷さは一つも変わっていない――」
紡がれる言葉は呪いにも似た私の過去。
聞きたくない、考えるだけでまた現実になるかもしれないから……
「――どうせまた、すべては失われるだけだ」
絶望、諦めの根底となっていたその言葉に引きずり込まれるように、封印していた過去の記憶があふれ出し、私は溺れる。
高校で仲の良かった友人たちの姿が暗闇に浮かび上がる……なつかしい。
クラス決めの初日に声をかけてくれたことで形成されたグループだ。
一緒にいて居心地は良かったし、あいつらの考えていることならなんでも分かると自信をもって言えた。……そのくらい、信頼していたんだ。
それぞれが進学してからもしばらくは連絡を取り合っていたが、次第にその数は減っていき、ついにはなくなった。
今でも顔ははっきりと思い出せる。だけど、どんな話をしていたかまでは思い出せない。
もし町で出会っても、ぎくしゃくとした態度をとってしまうのだろう。
……あのときは心通じ合う最高の仲間だと思っていたのに。
部活動でもそうだ、野球部のメンバーとも疎遠になってしまった。
致命的な挫折でチームがバラバラになったわけでもない。淡々とした現実がもたらす別れに、呑まれてしまっただけだ。分かりやすい敵役すら出てこずに、絆は失われた。
与えられたものは、すべからく奪われる運命にある。
「どうしてそれが、今の家族では起こらないと思うのか……」
すべてを諦めたような俺の声。
人との関わりを減らして死んだように生きていた、数年前までの私の声。
その絶望は身に染みるほど知っている。なにせ自分自身の口から出た言葉だ。
だけど、
「私は――」
「ほら、見ろ。また一つの関わりが消えようとしている」
低い音が私の声に重なる。
俺が指を鳴らすと、何もない空間に映像が照射された。
そこに映っていたのは先ほどまでいた聖堂。
灰色のガーディアンが緩慢な動きながら巨体を振りまわし、何かを部屋の隅に追い詰めている。
必死に動きまわって命を繋いでいたのは――
「レイネ⁉」
かけがえのない友人の姿だった。
大きな怪我はないようだが、息を切らして遠目に見ても分かるほどに消耗している。
――すぐに助けなきゃ!
私は店の出口へ向かおうと踵を返す。
「どこへ行くんだ」
椅子に座ったままの男に呼び止められる。
「元の世界、あそこから出れるんでしょ? 私はレイネを助けに行くから」
「無駄なことだ。別れを少し遅らせるだけのことになんの意味があるんだ。大体戻ったところで力もないお前に――」
「あのね、一つ私とあなたの違いが分かったよ」
数年前の俺になくて、今の私にはあるもの。
「――私は絶っ対に諦めない‼ もうなにも失いたくないから、今度は諦めないであがいてみるよ!」
そう告げると、私は出口へと駆け出す。
「待てよ! まだ力を――」
焦燥した様子で立ち上がる。後ろで椅子が倒れる音がした。
『どうして力を求めるのか』
頭の中に残っていた、初めてのはずなのに聞きなれた声。
その奇妙な感覚も、問いかけの内容もずっと気になっていたんだ。
だけど、ようやく分かった。
あれは俺の声だったんだ。
「ついでに質問にも答えてあげる。私が力を求めた理由はね――大切な人たちを守りたいから! レイネを守れなくなってまで力なんか欲しくない!」
走る足を止めずに、思いっきり叫んだ。
霧が晴れたみたいな気持ちだ。言葉にすることで、私の望みがはっきりと分かった。
今から私はガーディアンに立ち向かう。
力がなくても諦めない人間の強さを、石人形と、ついでに根暗なぼさぼさ男に教えてやろうじゃないか。
「待った! ホントに待った!!」
ぜいぜいとヤバげな呼吸で必死に追いすがってきた俺に、思わず振り返る。
運動不足とニコチンでやられた肺のツーコンボで汗だくになった男は、私に追いつくと息を整える。
「――これ、は餞別、だ――」
ジーパンのポケットに手を突っ込んで取り出したのは、百均で買ったオイルライター。
安っぽい緑色のそれを、私の手のひらに乗っける。
「……戦うには、武器が必要だろ? 使えそうなものなんてこれしかなかったけどよ」
「これが、ギフト……」
思い描いていたものとはだいぶ違ったけど、私らしいと言えば私らしいかもしれない。
「この力は誰かに与えられたものじゃない、俺から俺に渡しただけだ……だから、運命の神だって奪えやしない」
「……うん。この力で、大切な人全員を守って運命の神様を半泣きにさせてくるね」
「おう、途中で諦めるんじゃねぇぞ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべる俺。
やっぱり最初から私を試していたんだ。
だって諦めさせるつもりなら、『どうして力を求めるのか』なんて夢の中で尋ねる必要はなかったはずだから。
「そのライター、使い方は……聞くまでもないか」
私は透き通った緑色のオイルライターを手元で転がす。
髪の色と同じ翡翠のそれは、私の魂を象ったものだと理解できた。ゆえに、その使い方も体に染みこんでいる。
……これなら、レイネを助けられる。
「ありがとう。行ってくるね」
「……ぶちかましてやれ」
これまでの人生に、理不尽に一矢報いてやれと俺は拳を固める。
その熱い思いを背に受けながら、私は店の出口を押し開けた。