17
天候のすぐれないどんよりとした空。
荒廃した山道の中腹。
戻って来たんだ……。この場所に。
相も変わらず土以外が見当たらない荒野に、ぽつんとしゃがみ込んだレイネの姿があった。
その距離はさっきよりも開いている。
「どうして……また来たの」
「……レイネとおともだちになるため」
私はこの子と友達になりたい。
たとえ試練を突破するために必要でなくとも。
「いらない……お友達なんていらない! 帰って!」
レイネが地面に手を叩きつけると、氷のつぶてが雨のように降り注いだ。
しかし、私に直撃する寸前で、うっすらと緑色をした壁が目の前に現れて、そのすべてをはじき返す。
「ありがとうコレット!」
「このくらいなら十分は持つわ!」
杖を携えたコレットが、私の横で優雅に羽ばたいている。
いつもと違い本気を出しているのか、ライトグリーンの鱗粉がぱらぱらと舞う。
数えきれないほどの光の粒に包まれたその姿は、本当に頼もしい。
「……ほかにも誰かいるの?」
私と会話するコレットの声が聞こえたのか、レイネが顔を伏せたまま反応する。
実体を保っている今は誰にでも見えるはずだが、視界に入れなければわかるはずも無い。
「わたしのおともだち。コレットだよ」
「お友達……」
「ようせいさんのおともだちでね、わたしのことをたすけてくれるの」
「こんな、重労働……今回だけにして欲しいわ!」
「ありがとね」
今も飛んでくる魔法に、杖を振るって打ち消しているコレット。
もし助けてくれなかったら、レイネとこうして会話をすることもできなかった。
やっぱり帰ったらおやつも分けてあげよう。
「……お友達……いるじゃん」
レイネが小さくなにか呟いた。
その言葉は魔法によって生じた爆風にかき消され、私の元までは届かない。
「えっ……なんて」
「私は一人が好きなの! 友達なんていらない!」
レイネの激情に伴って、属性魔法が四方八方にまき散らされる。
それはレイネの心の荒れようが具現化したようだった。
一人が好き、か――
「それは、ちがう」
「勝手なこといわないで!」
レイネが声を荒げた。
私には分かる、レイネは好きで一人でいる訳ではないと。
確かに一人は楽だ。
相手のことを気遣う必要もないし、好きな時に好きなことができるというメリットは、一人でいるときだけの特権だ。
だけど、人は集団生活をする生き物で、一人っきりでは生きられない。
残念なことに、長い年月のうちにそういった仕組みが遺伝子のなかに組み込まれてしまった。
たとえ肉体的制約から解放されたとしてもそれは、変わらない。
ここではご飯を食べずとも、水を飲まずとも生きていける、社会的生き物になる必要がない。
それでもなお、人は人を求める。
「だったら、もういちどきくね。レイネはあのとき、どうしてわたしたちについてきたの?」
「それ、は――」
言葉に詰まるレイネ。
心の底から一人が好きだなんて、きっとレイネは思っていない。
この広い世界にずっと孤独で過ごして、その寂しさを知っているはずだから。
「だいじょうぶだよ、わたしたちならきっとおともだちになれる」
レイネが受け入れてくれるなら――
「――だって。……私だって本当は友達になりたい、いっしょに遊びたい――‼ でもダメなの、私はこの魔法のせいでみんなを傷つけてしまうから……」
ようやく出てきた本音。
友達になりたいと言ってくれた。
思いが一方通行ではなかったことがわかり、胸のあたりを安堵と高揚が駆け巡る。
その言葉を聞くためだけに、危険を承知で接近したのだ。
嬉しくないわけがない。
お互いに気持ちは同じ、あとは仲良くなるだけ。
レイネと友達になるうえで一番の問題は魔力の暴走だ。
これのせいでみんなレイネに近づくことすらできない。
だけど私は知っている。距離が離れていても友人関係は成立しうることを。
「近づけなくたってお友達になれるんだよ。レイネはしらないかもしれないけど、世界にはあったこともないのに仲良くしている人がたくさんいるの」
「ほんとう?」
レイネの期待のこもった言葉に、私は首肯する。
二一世紀には、パソコンやSNSなどで顔も知らない友人関係を構築していたんだ。
魔法のあるこの世界でそれが再現できないとは思えない。
だから――
「私と友達になってくれる?」
「――うんっ!」
レイネは花のような笑みを浮かべた。
同時に飛び出した本日最大級の業火は、コレットが魔法で打ち消してくれた。
これでやっと前に進める。
「ねぇクララちゃん……」
「なあに?」
レイネの声のトーンが普段より少し低いことに気づいたが、私はあえて普通に返事をする。
私とレイネは友達になったんだ……別れの挨拶なんていらない。
「……時々でいいから、会いに来てくれる?」
そう言ったレイネの目から涙がこぼれ落ちる。
やっぱり、ちゃんと理解しているんだ。
自分の危険性を、外に出るだけでどれほどの被害をもたらすかを。
「……それはいやかな」
「ごめんなさい……わがまま言って」
暗い顔をして首を垂れるレイネ。
なにを勘違いしているのか。
こんなところに何度も会いに来れるはずがないだろう。
私はできもしない約束をするつもりはない。
だから、
私はゆっくり足をあげると前に進んだ。
「なにやってるのクララ! 早く戻りなさい‼」
コレットが血相を変えて叫ぶ。
その必死な表情に私は思わず微笑んでしまう。
心配してくれているんだなぁ。
でもその思いには応えられない。
このまま私が納得して帰るとでも思ったのか。
目の前で泣いているというのに、そばにいてあげることもできない、それのどこが友達だ。
私のポケットには父からもらったハンカチが入っている。
これだけあれば涙を拭うには十分だ。
――パリィン‼
鋭く尖った氷の破片が魔法の障壁を突き破り、私の右腕に掠った。
「ぐっ……」
被弾した場所が熱を持つ。
じわりと滲んだ血が白いドレスを汚した。
袖が破けちゃったか……高そうな服なのに悪いことをした。
帰ったら怒られるかも。
……そのまえに、無事に帰れるのか。
家族のことを考えたとき、私の足はすくんでしまった。
頭の中でネガティブな思考があふれる。
今のが軽傷で済んだのは偶々だ。
次に魔法が飛んで来たら、今度はおなかに風穴が空くかもしれない。
危険だ。常識的に考えて、回れ右して帰るべきだ。
正論だ。これらの思考は全部正しい。
だけど、正しいからといって――見捨てていい理由にはならない!
「おともだちがひとりぼっちで泣いているのに、わたしがたのしく過ごせるわけ――ないでしょう!」
進みやがれ、足!
私は震える右足を強引に踏み出した。
また一歩、レイネのもとに近づく。
一段と魔法が強くなるかと思われたが、その逆だった。
なぜだか衝撃がやってこない。
いつの間にか飛び交っていた魔法の弾幕が途切れ、レイネを覆うように周りの土が壁を形成し始めていた。
「レイネなにを……⁉」
「……ありがとう。友達できて嬉しかった!」
じわじわと集まっていく土壁の合間から笑顔のレイネと目が合う。
「まって――!」
だがそれは一瞬のことで、すぐに土に隠れて見えなくなった。