宝石の夕陽【1:1】
「宝石の夕陽」
高瀬/♂ 高校生
大葉 /♀OL
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高瀬:うわっ…すっげー綺麗……
高瀬(M):雲ひとつないよく晴れた日のこと。ビルの谷間からゆらゆらと、言葉にならないほど綺麗な夕陽が見えた。これなら、見晴らしの良い場所から見た夕陽はさぞ綺麗だろう、と。高校生特有の好奇心に従い、通学路から外れた場所にある廃ビルに登った。
ここからなら、綺麗な夕陽を独り占めできる──はずだった。
大葉:ありゃ、人が来ちゃったか。
高瀬(M):そこには、缶チューハイを飲む、スーツ姿に裸足の女性がいた。
大葉:君、学生さんだよね。あ、わかった。君わたしと一緒でしょ。
高瀬(M):彼女はそう言って西の方角を眺める。夕陽に照らされた横顔は、見惚れるほど、美しかった。
<<場面転換>>
大葉:あー、また来た。知ってた?ここ立ち入り禁止なんだよ?
高瀬:そんなの大葉さんだって一緒だろ。それに大葉さんは勝手に入った上お酒こんなに飲んでる。
大葉:私は大人だからいいのー。(チューハイを飲む)
高瀬:あーずりぃずりぃ。こんな大人になりたくないね。
大葉:そうだぞー。こんな大人になるなよ少年!
高瀬:はは、もう酔ってんのかよ。
高瀬(M):数度目になる挨拶に似たやりとり。よく晴れた日の夕暮れ、彼女は必ずここに来る。
大葉:高瀬くんもほらー、一口飲んじゃいなよ。
高瀬:うわ、わっるい大人!
大葉:うははは、大人はだいたい悪いんだよ。さあ飲め飲め!
高瀬:いーやーでーすー。父さんに飲まされたから知ってるよ、まずいんでしょそれ。
大葉:ふっ子供舌め。まあお姉さんもこれ、そんなに美味しいと思わないんだけど。
高瀬(M):変なの。と笑う俺と、チューハイを飲みながら裸足の脚をぶらつかせる彼女。
宝石のような夕陽に照らされる奇妙な関係が、心地よかった。
大葉:高瀬くんはさー、どうしてこんなところ来てるの?
高瀬:んー?どしたの急に。
大葉:だって君、話してみたら明るいしいい子だし、悩みなんてないでしょ?
高瀬:ははは、褒められてんのか貶されてんのかどっちだこれ。
大葉:ふふ、褒めてる褒めてる。で、なんでなの。
高瀬:えー…そうだな……まず、夕陽が綺麗なのは外せないな。宝石みたいだ。
大葉:おー、高校生のくせにやけに詩的じゃない。
高瀬:うるせっ。大葉さんもいつも見にくるくせに。
大葉:あははごめんごめん。それでそれで?
高瀬:あとは……だってここ、俺たちの秘密基地だし。
大葉:それ、バカっぽい。
高瀬:男の子はそういうの好きなんですー!大葉さん、こういうの嫌い?
大葉:ふふ、嫌いじゃないよ。いいじゃん、秘密基地。気に入った。
高瀬:あ、それと大葉さんがこっから落ちてかないように!
大葉:…ははは、わたしそんなに落ちちゃいそうにみえる?
高瀬:そりゃもう。だっていっつも裸足だし、大葉さんドジそうだし、バナナの皮でも踏んで落っこちちゃうね絶対。
大葉:あー!ばかにしてる!わたし年上なんですけど!敬って欲しい!
高瀬:いっつもお酒飲んでる人は敬えませんなぁ。
大葉:むむ、一理ある。お酒の量減らすべきかな…。
<<場面転換>>
高瀬(M):苗字は大葉、下の名前は秘密。
特別好きなお酒はない。どうして飲んでるのかは秘密。
いつも裸足になってるのはなぜかも、当然秘密。
大葉:やっほ。今日も来ると思ってたよ。
高瀬:どうも。あれ?今日お酒それだけ?いつも袋いっぱいなのに。
大葉:ん、今日はこれだけでいいかなって。君も酔っ払いの相手しなくて済むでしょ。
高瀬:ふうん…あ、いいやわかったぞ!
……金がない。
大葉:ぶっぶー。高瀬選手、失格です。敗因は社会人を舐め切っていること。
高瀬:くぅ…俺の5億円が…
大葉:ぷっはは!賞金高すぎだよ。
高瀬:参加賞の500万円で勘弁してあげますよ?
大葉:甘いよ高瀬くん、敗者には罰ゲームです!肩をもんでください。
高瀬:おばあちゃんみたいな要求だね。
大葉:むむ?舐めてない?
高瀬:ふふ、ないない。
高瀬(M):秘密ばかりだけど、それでも、廃ビルの屋上で、打ち捨てられた椅子に座って、笑い合う。この一瞬が面白い、それだけでよかった。そのときは本当にそう思った。
大葉:毎日飽きないね、君も。
高瀬:大葉さんもでしょ。ほら、今日も綺麗な夕陽ですよ。
大葉:……今日はいけると思ったんだけどなあ。
高瀬:…?あっ大葉さん!今日お酒の量やばいじゃん!
大葉:ふふ、もう全部飲んじゃった。
高瀬:うわ、まじだ。全部空けてる…
大葉:…ねえ、高瀬くん。誰かを好きになろうとしたことって、ある?
高瀬:えっ……?
大葉:………ふふ、驚いてやんのー。さてはお姉さんに気があるな〜?
高瀬:えっ、えっ!?今のもしかして演技…!?
大葉:酔っ払いのお姉さんに騙されてやんの〜!
高瀬:はー最悪、心配して損した。
大葉:(笑う)……心配してくれたんだ?
高瀬:だってあんな深刻な顔で…!あー次からもう心配してやんねー!
大葉:…夕陽。
高瀬:え?
大葉:大葉、夕陽。私の名前。
高瀬:えっなになに?ずっと秘密だったのに。
大葉:んー?なんとなく、君には知ってほしかったの。忘れてもいいよ。
高瀬:忘れないよ。
大葉:いっつも褒めてくれて、むずがゆかったよ。
高瀬:んん……!忘れて…!
大葉:忘れなーい。
高瀬:……そっか、夕陽さん、か。
ここにぴったりの名前じゃん。
高瀬(M):気づけば、遠くの町に落ちる夕陽を何度となく二人で眺めたていた。まだ未熟な俺は、名前を知っただけで舞い上がっていた俺は、これからも、この綺麗な夕陽を二人で眺めていくんだと無邪気に思っていた。
<<場面転換>>
大葉(M):靴を脱いで、揃える。裸足に小石が刺さって痛むが、これももう慣れた。一歩一歩、屋上を進む。ゆらゆらと揺れる夕陽が顔を照らす。ああ、あの子、あれのこと宝石みたいだっていってたっけ。
高瀬(M):今日も学校帰りに夕陽を見た。今日は一段と強く綺麗で、怖いくらいだったのを覚えてる。
この屋上に、今日もきっと、椅子に座りながらお酒を飲む夕陽さんがいるのだろう。
大葉(M):慣れた手つきで、錆びた手すりを乗り越える。いつも、ここで足がすくんでしまうが、昨日からはそれもない。
いやに夕陽が眩しい。
なにも遮るもののない大空が、世界の終わりのような赤に染まっていた。
これを綺麗だと形容できる心の余裕は、私にはなかった。
高瀬(M):階段を上る足取りはいつも軽やかで、今日はなんの話をしようか考えるだけで楽しかった。
ドアの前、呼吸を整える。
このときは、なにも知らなかった。
大葉(M):ああ、でも、良かった。彼があの夕陽を宝石だと言うのなら、それでいい。それがいい。
大葉(M):大葉夕陽は、宝石の夕陽に焼かれながら死ぬのだ。
大葉(M):それは…とても詩的で、とてもしあわせだろう。
そうして私は、空へ足を踏み出し、
高瀬:夕陽さんっ!!!
大葉(M):力強い腕に、後ろから抱きとめられた。
高瀬:だめだ!だめだよ…!夕陽さんっ……死んじゃ、だめだ…!
大葉:…君も、おんなじこと、いうんだね。
高瀬(M):彼女がいつも裸足なのはなぜか、いつもお酒を飲んでいるのはなぜか。
秘密のわけを、何も知らなかった。
<<場面転換>>
高瀬:…落ち着いた?
大葉:…ありがとう。うん、落ち着いたよ。
高瀬:そっか……
大葉:ねえ…もう離して。痛いよ。
高瀬:だめ。また飛ぼうとするでしょ。
大葉(M):手すりの内側、打ち捨てられた椅子の上。いつも夕陽に照らされていた私たちの秘密基地が、静かな宵闇に包まれるまで数十分。彼は私を抱きしめて離さない。
高瀬:………。
大葉:………、昨日の質問、覚えてる?
高瀬:うん、覚えてる。
大葉:私ね、あるんだ。誰かを好きになろうとしたこと。
高瀬(M):夕陽さんは、ポツリポツリと話してくれた。喧嘩の絶えない家、息苦しい会社、その全てを好きになろうとして、できなかったこと。
好きだったものに、なんの興味も持てなくなったこと。
くだらない話も交えて、いつものように。
大葉:誰かを好きになるっていうのはね、いつか、何かを嫌いになるっていうことでもあるの。
私ね、ぜーんぶ嫌いになっちゃった。
家も会社も、味のしないご飯も、宝石みたいな夕日さえ。
今は、ぜんぶきらい。
高瀬:でも、それでも、死んじゃだめだよ。俺には何にもわからないけど、それでも──
大葉:何にもわからないなら!
<<間>>
大葉:死なせてよ………
高瀬:………死んじゃいやだ……
大葉:……青臭いなぁ、きみ。
高瀬:まだ、子供なんでしょ。許してよ。
大葉:…私ね、君のこと好きだよ。
高瀬:っ……
大葉:高校生のくせに、なんでもわかってますって顔が憎たらしかったけど。
高瀬:ひど…
大葉:自分のわからなかったところは素直にうなずくし、明るい君がね、好きなんだ、って。
大葉:だからね、私。君を好きなまま死にたい。君を嫌いになりたくない。
君が宝石みたいっていったあの夕陽を見ながら、死にたいの。
高瀬(M):夕陽さんは、ゆっくりと、俺の腕をどける。
不思議と、抵抗しちゃいけない気がした。
少しずつ、彼女が離れていく。
大葉:ね、名前。教えて。
高瀬:…そら。高瀬、空。
大葉:いい名前。ねえ、空くん。次の夕暮れは、来ないでね。
高瀬(M):特別なものは何にも求めなかったのに、ただ生きることさえできなくなった彼女を支えるには、俺の手は小さすぎて。そして彼女は俺なんて必要としていないらしくて。
それでも手を伸ばしてしまった。
俺には、その責任があると思った。
大葉:バイバイ。
高瀬:おれがっ!
大葉:?
高瀬:俺が、あなたの好きを守る!俺を嫌いになる暇なんてないくらい、死にたいって思わなくなるくらい!俺が、あなたを‥!
俺も、あなたのことが──
<<場面転換>>
大葉(M):しばらく雨が続いた。あの子とは、しばらく会ってない。
次に会ったら、きっと私はもう立てなくなる。
死ぬための勇気さえ出せなくなる。
死ぬのは嫌だけど、もうこれ以上、生きたくなんてないのだ。
大葉(M):そうして、宵闇の秘密基地から数日。
晴れ渡る青空が、赤く染まっていた。
高瀬:……夕陽さん。
大葉:…君は、ばかだけど、弁えてる子だと思ってたんだけどな。
高瀬:無理だったんだ。俺は、どうしても見捨てられない。
大葉:そう言うのを飲み込んで、みんな大人になるんだよ。帰って。陽が沈んじゃう。
高瀬:帰らない。
大葉:…帰ってよ。
高瀬:……帰らない。
<<ゆっくりと近づき、抱きしめる高瀬>>
大葉:敵わないなぁ……こういうの、若いっていうのかなぁ……
高瀬:一緒に帰ろう?夕陽さん。
大葉:……ばか、ばか…ばかぁ……ずるいよ…う、うう、ああぁぁ………
高瀬(M):ポロポロと、涙をこぼしながら俺を叩くそのゆるく握った拳が、どうしようもなく痛かった。
大葉:死にたくなんかないよぉ……!
<<間>>
高瀬:……一緒に、どこか遠くに、誰にも見つからないくらい遠いところへ行こう。
大葉:……(静かに泣いている)
高瀬:そこで二人で、夕陽を見て暮らそう。いつかあなたが、それを綺麗だなって言えるまで。ずっとそばにいますから。
大葉:それ……ばかっぽい。
高瀬(M):夕焼けの秘密基地で、格好悪い告白をした。相手は大人で、格好良くて、なんにも知らない俺はずっと子供だった。
大葉(M):夕焼けの秘密基地でどこか遠くへ行こうと言われた。青臭くて、向こう見ず。それも悪くないと思ってしまった。
高瀬(M):それでも頷いてくれた彼女は、いつまでも泣いていたままだったけれど。
大葉(M):ちらりと顔を見たら、彼も少し泣いていた。ああ、彼の言う夕陽が、私も見たい。
高瀬(M):いつかまた、
大葉(M):いつかきっと、
大葉・高瀬:宝石の夕陽を見よう。