第九十九話 播州夜曲
第九十九話 播州夜曲
嘉吉の乱と称される足利義教暗殺事件は、本来は俺が死んでから怒涛のグダグダ展開が始まり、美味しいところを山名持豊と細川持之がかっぱいでいくという展開になるのだが、ここからは俺のターン。
既に、京で待機していた番衆五千、大和の守護代筒井氏が率いる五千、その先陣は越智と箸尾。更に、伊賀から仁木率いる三千が播磨を目指す。
「御着替え下さりませ」
「勿論だ」
俺は一旦、室町第に戻り、家族に安全な姿を見せたのち、先触れを出してあった御所へと移動する。帝をはじめ朝廷の者たちに健在であることを示し、合わせて、『赤松治罰綸旨』を発していただくことにしてある。
未だ軍の先頭に『錦の御旗』は掲げられていないのだ。
花園君はすっかり青年天皇となっていたが、相変わらずの気安さで安否を尋ねてくれた。俺は「あなたの義兄を信じなされませ」と軽口を叩き、二人は笑いあう。そういや、義兄弟なんだよな俺たち。どっちかと言うと、叔父甥みたいな関係だけどな。
俺が参内している間に、さらさらと綸旨は書かれ、帝が承認し俺がその場で受取、退出する。
「大樹よ、共に花見をしたいものだな。吉野の見ごろはいつ頃であろうな」
「左様でございますな。山奥ですので、四月の終わりごろではござりませぬか」
「では、間に合うか」
「間に合わせまする」
一月あれば、赤松の領国を接収することは可能だろう。赤松の庶流を連れて行くので問題ないだろうな。
将軍直卒の軍は播磨に、備前には阿波・備中から細川が、美作には山名がとることになる。俺たちはともかく、山名の動きが早いのは……絶対的につるんでいたと思われる。俺が死なずに当てが外れたな。
もっちーは心の準備だけさせておいたので問題ない。心の舎弟だからなあいつ。多分、俺が生きている間は調子よく協力するだろう。
既に、赤松が朝敵となり、満祐兄弟が京で捕縛されたこと、赤松一族に加担した場合、朝敵と見なす事。また、協力すれば本領安堵とする旨を赤松領国に「足利将軍名」で出してある。けして、山名持豊名ではない。
「既に、摂津の三郡はこちらに恭順しておりまする」
義雅の所領だな。これでもっちー分は終了だな。備前は但馬と交換で山名に譲渡、美作も山名、播磨は守護代を赤松貞村として将軍直轄に。山名を滅ぼしたら備前・美作は貞村の家に与える。ついでに、俺の娘も嫡子に嫁がせて姻戚にしよう。嫡子は赤松教貞になるのかな。
俺は頭の中で算盤をはじきつつ、どうするかを考える。
播磨はメンドクさい奴らの土地なんだが、抑えておかねばならない。まあ、血の気の多い風土だから、九州人と噛み合うが良さそうだな。幕府の番衆に追加して直卒の前衛としてぶつけるようにしよう。
摂津・有馬氏は赤松支流だが幕臣として仕えているので問題なし。この有馬さんは有馬持家で俺の相伴衆の一人で尚且つ、あの「三魔」の一人。東播磨の上月氏も外様衆として将軍に仕えているのでこれも帰属している。
問題は、赤松重臣の別所に、赤松庶流の小寺・宇野あたりか。
別所は平安から続く赤松の支流で重臣の家柄だが、ニ代前の持則は満祐の大叔父である。定期的に本家から養子を後継に入れているので、赤松に対する忠誠度は低くないだろう。当代は別所祐則。
小寺は播磨国の姫山に拠点を構える赤松支流である。歴史的には、当代の小寺職治は西播磨の国人を束ねる存在のようで、実際、赤松討伐では備前口の大将を任され、最後に赤松宗家の者を落した後、自らは自刃し果てている。これも惜しい人材だろう。死ぬなら九州でな☆
宇野は西播磨八郡の守護代を務める家柄。それなりの影響力がある。とはいえ、東播磨の守護代を務めた有馬氏が既に下っていることから時間をかけて崩していけば、さほど問題は無いだろうと思われる。
「つまり、赤松満祐の一族のみを罰するとすればよいのでございましょう」
近習の赤松『播磨守』満政が呟く。まあ、野心家のお前さんは遠くに行ってもらいたい。とりま、西播磨の守護かな。東播磨は『守護代』貞村にしておいてからの、娘婿教貞が備前守護になる感じだろうか。君は飼い殺しだよ。もう側近は坊主どもで十分だし、赤松の血は京の政ではなく、戦場で流してもらいたい。
「奉書でも御教書でもどんどん出すが良い」
「お願い申し上げまする」
俺は花押を入れるだけの簡単なお仕事だ。愛宕聖や伊賀・桔梗屋育ちの草の者たちがひっきりなしに西へと向かう。十日もゆっくり過ごせば、問題なく落とせるだろう。
因みに、俺と細川の軍は錦の御旗あり、山名君は無しだ。いいとこ見てみたいだけだよ。
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