第九十一話 風の坂道:下り最速・足利持氏
第九十一話 風の坂道:下り最速・足利持氏
そういえば、最近、赤松満祐君が病気で療養中らしい。
――― 持氏とやり取りした内容がばれそうで引籠っているのかね?
俺が将軍になる前に、デカい顔していた宿老共で生き残っているのはあの矮躯の禿げだけだ。
オリジナル義教なら、一色義貫なんかを色々理由を付けて殺したりするので、『万人恐怖』となっているのだが、俺は『餅公方』と呼ばれ、割と親しまれている。やっぱ、人気取りって大事。
言葉を尽くしてなお調子に乗る奴らは許さないという事だよね。だって、叡山の首桶だって八つ当たりの放火魔を許さなかっただけだし、沢・秋山族滅だって、繰り返し南朝を騙り悪さしていた山賊集団だろ? 死んで良し!
それが、世の中の論だ。今回も持氏に大いに非がある。室町将軍の代官の分際で、将軍に成り替わろうとか、それを嗜める勅使を弑すとか、自分の息子を太郎義家になぞらえて元服させるとか、叡山に俺の呪詛を依頼するとかだな。なんか、一個でもOUTだろこの内容はさ。
それを何度も許してきたにも拘らず……申し開きも反省もないのだから「俺の首、とれるもんなら取って見ろ」って事だと理解している。
家族全てを目の前で殺して、散々放置した後、飢え死にさせようかな。体を土に埋めて。でもまあ、助け出す愚か者がいないとも限らないので、頭にカナ釘でも打ちこんで、忘れないようにしないとね。
――― 鎌倉公方は室町将軍の代官であって、成り替わることはできません
木の札に書にして頭に釘で打ち付けてやろう。
駿河での打ち合わせは終わり、先鋒を今川、その後に斯波の本体を甲斐と朝倉が率い、後衛は俺と奉公衆が受け持つ。総勢三万の軍勢。割と多いんじゃないでしょうか。半分以上、斯波だけど。
京に逃げていた上杉禅秀の子上杉持房・上杉教朝らも帯同している。この機会に、犬懸上杉を再興したいからだが、ちょっと難しいかな。京で近習してほしいもんな。
「足柄の先で鎌倉公方の派遣した上杉憲直を大将とする軍と交戦中とのことです」
ゆっくり進む間に、先鋒はかなり進んでいるようだ。ちょっと早いかもな。上杉憲実と武田・小笠原が関東平野を南下してくるだろうから、それに合わせて西と北から鎌倉を攻める態勢を整えているんだが。
数は驚くほど少ないという。やがて「大将上杉憲直討取りました」という伝令も到着。どの道、側近も族滅なので仕方がありませんね。女はともかく男の子供は全員処刑だな悪いけど。
「まさに、鎧袖一触ですな」
「時間をかけて調略を進めただけの効果はありましたな」
等と、緒戦の勝利に少々浮かれ気味である。富士川みたいにならないと良いけどな。今川は戦慣れしているから問題ないが、こいつら戦場童貞が多いから、いくない。
俺? 大和で経験済みだよ。輿に乗って移動したいけど、見た目があるから騎乗で移動しているから、ドキドキするよ。暗殺の類は伊賀の地侍と愛宕聖たちが警戒してくれているからそうそう近寄れないけどな。でも、知らないところで殺し合いが起こってるんだろうな。
早川からそのまま東に向かわず、海老名に向け相模の中央を移動する。旧の東海道、令和なら大山街道国道246号に当たる街道を移動する。
国衙のあった海老名は交通の要衝と言うよりは渡河しやすい相模川の中流域であり、また、情報では武蔵国分倍河原に向かった鎌倉公方の軍とここで接触できると踏んでいる。
「鎌倉公方が軍、海老名に陣を引いておりまする」
「では、鎌倉の方向に間隙を残し、半包囲で打ち滅ぼせ」
俺が命じると、中軍に控える甲斐常治が意見する。
「大樹、それでは持氏輩に逃げられるではないか!!」
こいつも、斯波義将の薫陶を受けた脳筋やろうなんだよ。馬鹿にも分かるように説明してやろう。
「尤もだ。これが戦に勝つだけであれば囲んで討取れば良い」
「では、なぜそうせぬのか!」
心を攻めるを上策とするってやつだよ。
「あの男の心を折るのだ。誰も付き従わず、散り散りになって鎌倉に逃げ込む。そこには、寝返った三浦一党が待ち構えている。味方もなく、逃げまどい朝敵と呼ばれ、心底心を擦り減らすであろう。女子供がおびえる姿を目の前にして、己が行いを心底から悔いるが良い。来世で同じ過ちを繰り返さぬようにな」
朝敵になった時点で、どうもならないんだから、自分の首を差し出して女子供の命乞いするくらいしか条件闘争できないと何で理解できないのかな。
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